澤田沢治の雑記帳

登場人物紹介

牡蠣殻 New! 2012年02月06日(月)

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延々と続いているのは牡蠣殻が積み上げられているのです。遥かに見える青いバスは我々が乗って来たバスで、其の向こうで煙が上がっている所で我々は牡蠣を食っているのです。持ち込んだ酒類は、ビール、大吟醸、ウィスキー、赤ワイン等々枚挙に暇が無いのです。まあ、こうして毎日楽しくさせて頂いて、極楽なのです。「吾唯知足」(「牡蠣の国浦村」食べ放題「山安水産」、2012.02.05、鳥羽市浦村町1530−1)
 


皇大神宮 New! 2012年02月06日(月)

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 総勢20名、「いたけ旅行会」でお伊勢さんにお参りさせて頂いたのです。今回は実の嫁も一緒だったのです。お伊勢さんは正式には単に「神宮」と言うのだそうです。伊勢神宮とは内宮、外宮を含めて此の地方、4市2郡に散在する125の別宮、摂社、末社などの総称なのです。今回は「正式参拝」なのです。本殿の御垣内での参拝なのです。一般の人は此の場所での参拝を認められていないのです。特別な縁故の者のみに認められているのです。ですから、男子はスーツとネクタイの着用が必須、女子もスーツまたは此れに準ずる服装が義務付けらているのです。要するに不敬に当たらない服装を要求されるのです。一般的に「御垣内参拝」をする為には第62回式年遷宮のために寄付をすれば良いのです。一番安いのは千円以上で「協賛員」と呼ばれ、1回のみ「外玉垣南御門外」での参拝が許されるのです。1万円以上で「2級協賛員」になると平成28年までいつでも参拝出来るのです。10万円以上の「3級有効会員」に成ると「中重御鳥居際」での参拝が出来るのです。10個有る等級の最高位、「特別名誉会員」になると「内玉垣南御門外」での参拝を平成45年まで許されるのです。でも、1千万円以上の寄付を強いられるのです。いずこの世界も金次第なのです。そんな訳で、午前8時40分に出発したのですが、バスの中での飲酒は控えたのです。勿論、そんなことは無いのです。節度有る飲み方でも無かったのです。まあ、私は普通だったのですけどね。普通、とは缶ビール一本、ワンカップ白鷹一本、赤ワイン少々だったのです。でも、30分近く歩くと、アルコールは飛ぶのです。本殿への階段を上がった御垣外からは写真撮影が禁止されているのです。色々と勿体を付けるのが「権威」を主張する輩(やから)なのです。勿論、私としても神仏は尊んでいるのですが、どちらかと言えば物見遊山なのです。参拝の前に五十鈴川で手などを清めたのです。其の昔、高校生の砌(みぎり)に此の五十鈴川で褌(ふんどし)一丁で禊(みそぎ)をしたことを思い出したのです。夏とはいえ、川の水は冷たかったのです。今回、お参りの後、昼食に「牡蠣食べ放題」が用意されていたのです。他にも色々食材を持ち込んで、色々と頂戴して満足したのです。とりわけ、「白身魚とエノキのホイル焼き」をポン酢と紅葉下ろしで頂戴したのが、私に似合って上品で美味しかったのです。酒が進んだのは言うまでも無いのです。帰りは、アッと言う間だったのです。どうやら、飲むだけ飲んで、途中で寝てしまったようなのです。私など他愛無いものなのです。合掌。(皇大神宮とは内宮のこと、御垣外で皆さんが頭を下げておられるまん前は賽銭箱なのです。2012.02.05、三重県伊勢市 伊勢神宮)
 


博之春秋 百三 New! 2012年02月06日(月)

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百三.孫娘

 博之は二人の弟の事を考えると、今も涙が出て止まらない。幼い頃から三人はいつも一緒、遊ぶのも食事をするのも女を抱くのも一緒だった。あれは博之が22歳の時だった。一番下の弟が18歳の時、三人で旅行に行った。金も無い頃なので、あっちこっちへとヒッチハイクで旅していた。其の日は山道を歩いていたのだが、日は暮れ掛けて来るし、ああ 今日は野宿か、と情けなく思った時、向こうに明かりが灯るのを見つけた。駄目元で戸を叩いた。暫くして、中から現れたのはもう70歳は随分と超えたと言う老婆。博之が「旅の者ですが、泊まる処が無くて難渋しています。今晩、一夜の宿をお願い出来ませんでしょうか?」と哀願調で尋ねた。老女は「ああ、其れはお困りでしょう。いいですよ。なにもお構い出来ませんが、どうぞお泊り下さい。」と言った。三人は其々に感謝の言葉を告げた。老女は続けて「ひとつだけお願いが有ります。私には孫娘が一人居りますが、決して孫娘には手を出さないで下さいね、お願い致します。」と言うので、博之が「そんな、滅相も無い、誓ってお孫さんには手出し致しません。ご心配なさらないように。」と丁重に答えた。ところが、其の孫娘と言うのが年の頃なら17,8歳、メッチャ可愛かった。出るところも一人前に出ている。三人ともが辛抱が出来ず、お婆さんとの約束を破って、可愛い孫娘に手を出してしまった。翌朝、三人ともがお婆さんに縛り上げられてしまった。其の横でお婆さんは包丁を研ぎ出した。実はお婆さんは鬼婆だった。三人は震え上がってお婆さんに詫びた。幾度も幾度も自分たちの過ちを悔い、許しを請うた。しまいにはお婆さんも、少し可愛そうに思って三人に「そんなに謝るなら、三人に一回だけチャンスをやろう。」と告げた。三人はすっごく喜び、お婆さんの次の言葉を待った。「お前たち三人には、表の野原に出て、一つずつ果物を取って来て貰おう。そうすれば許してあげよう。」とお婆さんは話終えた。三人の喜んだ事、勿論 三人は隙を見て逃げようとの思いも有ったが、鬼婆の力を知ってしまったので、其のような考えは吹き飛んだ。縄を解かれた三人は喜び勇んで野原へ出た。博之が一番に帰って来た。手には小さな葡萄を持っていた。お婆さんは博之に「ほんなら、其の葡萄を尻の穴に入れなさい。」と言った。博之はパンツを下ろすと、難なく葡萄の一粒を上手に入れて見せた。お婆さんは「よし、お前は許してやる。何処へなと行くが良い。」博之の喜んだ事。そして、次男の年之が小さなスモモを持って帰って来た。お婆さんが博之に言った通り年之に告げた。年之は苦労して大方其のスモモを入れる事に成功した。其の時、ふと窓の外を見て、笑いを我慢出来ず、吹き出してしまって、スモモも落としてしまった。お婆さんは「お前は殺す。でも、おお方入っていたやないか。どうして、吹き出してしまったのや?」と年之に尋ねた。年之は「いや、弟の末之が大きなスイカを抱えて、嬉しそうに走って来るのを見てしまったからです。」と答えた。勿論、其の後 年之と末之は鬼婆に殺されてしまったのは言うまでも無い。
 


マイブーム New! 2012年02月05日(日)

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 昨年の10月24日より始めたのが新手の趣味、「散歩」なのです。始めは、今日は天王寺、明日は中ノ島と日本橋を基点に散歩をしていたのです。ところが、此れでは行くところが決まって来るのです。より遠くへということになれば、時間も掛かるし、足もくたびれるのです。まあ、足で歩くから散歩で、くたびれるも無いものだとは思うのですけれどね。そんな訳で、帰りに電車に乗ったりするようになったのです。此れで随分と行動範囲が広く成ったのです。そうこうする内に、行きにも電車を利用するようになり、遠出をするようになったのです。此れで久宝寺緑地とか桜ノ宮公園などと結構遠くに目的地を定めるように成ったのです。其れから、仁徳天皇陵とか古市古墳群とか、古墳ブームが花開いたのです。ブームと言ってもマイブームなのですけどね。其れが暮れのお話なのです。もう一つ、暮れも押し迫ったところで「ナビ」を手に入れたのです。「カーナビ」「自転車ナビ」「歩きナビ」の三つの働きをする優れものなのです。此れでまた動きが変わって来たのです。当初、念頭には「金剛登山」の新しいルートの開発が有ったのです。等高線入りの山岳地図が内臓されているのです。標高も位置も方向も分かる優れものなのです。山歩きには必需品と言っても良いのです。ところが、未だ「金剛登山」のお役には余りたって無いのです。ところが、お散歩の有力なツールに成ったのです。今は神社巡りが新しい標的に成っているのです。始めはナビを頼りに強引に神社巡りをしていたのです。ところが、此れでは非効率だと気付いたのです。大阪神社庁が宗教法人登録をしている大阪府内の神社を全て網羅したホームページを立ち上げているのです。其の地図で予め行く神社と順番を決めるのです。其の上で一番目の神社近くまで電車で行き、ナビを頼りに順に神社を巡るのです。神社と神社の距離が2キロを超えるようなら、電車で移動することを考えるのです。まあ、無ければしょうがないのですけどね。そんな訳で、昨日は家を午前11時20分に出発、鶴見区内の神社を8つ回って、午後3時20分には日本橋に帰って来たのです。勿論、途中で食事もしたのです。中華料理屋が有って、一瞬迷ったのですが、結局 ひなびた大衆食堂で「鍋焼きうどん」を食べたのです。此れがええ味を出していて、肉が結構な量入っていて、ネギ、蒲鉾、玉子と鍋焼きの定番が入っていたのです。500円は安かったと思ったのです。残念なことはビールも酒も飲まなかったことなのです。まあ、此れは何と無く飲んではいけないような雰囲気が其の店には有ったからなのです。南無阿弥陀仏。(JR放出駅なんですが、恐らく生まれて初めて此の駅で降りたのです。此処から最初に訪れた「阿遅速雄神社(あちはやおじんじゃ)」は直ぐ近くなのです。2012.02.04、鶴見区放出東三丁目21-52)
 


博之春秋 百二 New! 2012年02月05日(日)

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百二.二番目の娘

 博之の電気屋も大きく成って、幾つもチェーン店を展開するようになった。博之の努力の賜物だった。勿論、運にも恵まれたと博之は思っている。社員も随分と増え、組織も大きく複雑になって来た。其処で、博之は秘書を一人採用する事にした。まあ、大方の雑用、秘書的な事は総務部がやってくれるのだが、色々と不便も多いし、何よりもスケジュールの管理が大変だった。人事部長を呼んで、秘書採用の件を伝え、激務に耐えられる、頭脳と体力が有り、性格も良い娘を一人選ぶように、と告げた。人事部が「社長秘書採用」との求人広告を打った。流石、伸び盛りの会社だ、たった一人の採用に、100人を超える応募が有った。写真と履歴書で篩(ふる)いに掛けて、30人までに絞った。次に筆記試験を実施して、更に3人までに絞り込んだ。人事部は社長秘書の採用には細心の注意を払うべきと判断し、人事部で判断を下す前に、心理学者に心理テストを依頼した。3人の候補者に、心理学者が一人ずつ質問した。「2と2を加えるとどうなりますか?」三人に同じ質問をしたのだ。「4になりますわ。」と第一の候補者が答えた。「22にする事が出来ます。」と第二の候補者が答えを示した。「4にもなるし、22にもする事が出来ますわ。」と第三の候補者が答えを出した。心理学者は人事部長宛に報告書を出した。其処には、『第一の娘は、明快な答えを示し、第二の娘は、思慮深さを示した。そして、第三の娘は、明快でも有り、思慮深さも併せて示した。以上が心理学的所見だが、最後の決定は、雇い主で有る社長が下すべきだ。』と認(したた)めて有った。人事部長が社長室にやって来て、報告書を渡すと共に、「其処にも報告されている通り、最後の決定は社長自らされるようにお願い致します。」と言った。博之は三人を別々に面接室に呼び込んだ。人事部長も同席した。三人を帰した後、社長室に人事部長を呼び、「2番目の娘にしよう。」と決断を下した。人事部長が採用の理由を尋ねると、博之は、「ああ、2番目の娘は素晴らしく綺麗な目をしていたし、其れに胸も大きかったからなあ。」と答えた。
 


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