雑記帳

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1998/12/31  話を聞くと、その男は個人タクシーの運転手だったのです。難波から日本橋3丁目の方へ走っていて、丁度 道具屋筋の横断歩道にさしかかった時に 追突されたのです。降りて 話をしようとした時に 相手の車が発進して 跳ね上げられて、そのままボンネットの上にしがみついていて 私どもが見失った一寸先で 振り落とされて、後ろから応援してくれていたタクシーに乗ったのだが相手の車を見失って 戻ってきて、今 警察に電話をしたところ 現場へ戻れというので そうするところなのだそうです。勿論、我々も自主的(只の、野次馬?)に現場検証に立ち会うこととなり、駆けつけた2台のパトカーの警官共々 ああだ、こうだ と言っていたのです。幸い、タクシーの運転手がナンバーを覚えていたので 遅かれ早かれ 捕まると思うのです。
 ああだ、こうだ と言っている内に大晦日になってしまったのです。光陰、矢のごとし とはよく言ったもので 一年経って ただ歳を一つとっただけなのかとも思うのですが、たとえばホームページも開けたし、日本橋スターズも結成できたし、ゴルフも100を切ったし、嫁や子供達とも仲良くしているし・・・、継続こそ力と言うなれば もう52年もぐうたらしていても生きてこれたし、運 不運に文句を言うつもりは更々ないのです。来年は此の調子に もうひと味、何を加味しようかな?と考えているところで もう一寸勉強をして 何がしたいのかじっくりと考えようと思うのですが、この冬が越せそうに無い この弱い頭と身体の事を考えると じっくり考えている閑も無いようです。ですから、来年も適当にするのでしょう。
 9月に予想した株は13842円で終わったし、円相場はニューヨークで114円台になり、ニューヨーク株は9320ドルとなって 私が予想した14000円、120円、5000ドルと比較すればニューヨーク株だけが異常なので これは来年 修正される事になるでしょうと云う負け惜しみを言ってみるのです。ついでに来年の末には株は18000円、円は100円、ニューヨークは7000ドルで、ついでに日本の長期金利は3%とこう云うことにしておこうと思うのです。それじゃあ・・ また、来年 良いお年を! 私も結構良い歳なのです。
1998/12/30  たった二日間ですが 町会の夜警が昨日で終わりました。実質的な防犯、防火にどれだけの効果が有るのかは分かりませんが、地域の皆さんが顔を合わせる事、一緒に行事をする事、それを世間に知らしめる事 これらの事が今後の色々なことに役に立つのではと思います。それでも 昨夜は一つの事件に出くわしました。丁度巡回を開始して一つ目の四つ辻に来たときでした、「助けてー!」と云う 木綿を裂くような声が聞こえたのでした。見ると、白い乗用車のボンネットに必死の形相で人がしがみついて居るでは有りませんか。しかも、その後ろを 緑色のタクシーがエマージェンシーランプを点滅しながら ぴったりと追走しているのです。追いかけたのですが 所詮、我々の鈍足で届くわけも有りませんので 見失ってしまったのですが、しばらくすると向こうから件(くだん)のタクシーが戻って来るでは有りませんか。しかも、先ほどの必死の形相の男を後ろに乗せて。私どもは 我先にそのタクシーのぐるりに群がったので有ります。 此の続きは明日また!
1998/12/29  忙しいときには用事が団体でやってくる物で、昨日の夜の予定は会合が有って その後、歳末夜警へ行って12時まで”火の用心”をする予定だったのですが、其処へゴルフ仲間のお父さんが亡くなられて 今晩お通夜だと云う知らせが入りました。まあ、近所なので 他の予定を変更する事もなく お通夜へ行きましたところ 近所の工具屋のおっさんに「”のら”でまってるで!」と言われてしまいました。私の場合気が弱いので よう断れずに「ああ・・」と言ってしまったのです。そこで、会合をこなし、夜警を済ませ、駆けつけたところ もぬけの空でした。何でも、ハム屋のおっさんと2時間ほど居って 何処かへ行っちゃったとの事でした。仕方がないので 居合わせた塾屋のおっさんとだべって、家に着いたら1時前でした。こんな生活 もう いや! いや! 
1998/12/28  季節感の無い師走も余す所4日となりました。なんでも、地球全体の一年を通じた平均気温が観測史上最高温度を記録したとか。それでも行事だけは暦通りのおこなわれようとしています。町内会の歳末恒例の夜警が今日、明日の二日間執り行われます。正式には、難波東振興町会と日本橋西通り商店会とが合同でする歳末夜警に 日本橋北振興町会が便乗させて貰うのです。12月25日までは、商店街、でんでんタウンで実施した歳末夜警でしたが 終わったとたんに今度は町内会と言うことで、両方参加するのも おつな物です。ご用とお急ぎの無い方は是非 ご一緒しませんか?そう言えば、昨日も日水会のお誘いをしたところですが、町内会、日小会、新木会、日緑会、パソコン倶楽部、日本橋スターズ等々数え上げたらキリが無い位の会へ誘われて 気が弱いばっかりに よう断れずに 忙しい、忙しい もうすぐ正月です。
1998/12/27  日水会の大納会ということで、朝7時にグランドへ眠たい目を擦りながら行ったところ 結局、みんなで9人となったところで 一本締めで締めくくりとなり、大初会は正月6日(水)と告げられました。最初と最後だけは行こうと 心に決めているのです。なぜなら、出席していることを一番印象づける事が出来るからです。日頃 サボっている者としては、細かい所まで気を使わなければいけないのです。何?ちゃんと、毎回 参加すれば良いのにって? 素人はこれだから怖い、そんなことをすれば 身体が保たないのです。細く、永く 小っさい事から コツコツと。無事 これ名馬、これが長持ちする秘訣なのです。どうですか?皆さんも日水会にお入りになりませんか?只今、キャンペーン期間中なので 特別 100本ノックを無料で やったりまっせ!
1998/12/26  友人のお母さんが亡くなられて、お通夜に参らせていただきました。97才の大往生でした。危なくなってからは2週間と言うことでしたが、それまでも寝たきりと言うことで 看護の方も大変だったと思うのです。高校へ通う娘さんが一人と夫婦、それにお母さんの4人家族だったのですが、お母さんは寝たきりになられるまで大変な働き者だったと聞いています。初めに、97才で大往生と書いたのですが、ひょっとしたら ご本人は「こんなに若くして死ぬのは嫌だ!」と思いながら亡くなられたのかも知れず、はたまた 「こんなに長生きさせて貰って・・・」と思われていたのかは分かりません。20才で亡くなられても、満足した人生を送ったと思われる方も居られるかも知れません。私は勿論、身体も頭も弱く この冬が越せるかどうか分かりません、それでも今日も明日もする事が有るので お呼びが掛かるのはその後にして貰いたい物だと思っています。 
1998/12/25  昨夜はイブにもかかわらず 歳末夜警・火の用心 の最終回が40人余りで実施されました。その後 久々に南界隈に近所の電気屋のおっさん、事務局のおっさん、”あこぎ屋”のおっさん(別に本人やその会社が”あこぎ”やと言うわけではなく、その業界の一部にあこぎなのがいると言う意味です)と出かけたところ、いわゆる客引きのおばちゃんに声をかけられました。いつもの風景なのですが「飲み屋です、5千円です、一寸どうですか?」とか「ラウンジです、1時間だけ よって下さい?」とか言うのが普通の声のかけ方なのですが、今回 近所の電気屋のおっさんへの声は「お兄さん、ラウンジです 一寸だけ どうですか?つけで、年金払いで どうですか?」だったので有ります。この”おっさんは”62才で有りますが、一寸老けて見えるのです。客引きも 相手をよく見て、最適な言葉を選んでいるのだなあ、と感心したものです。商売の原点を見た思いでした。
1998/12/24  今朝、目が覚めて ふと子供の寝顔を見ていると 瞼がぴくぴくと動いているのであります。よく見ていると 瞼が動いているのは目が、目玉が動いているからで有りました。これは多分 夢を見ているのだと思いました。夢を見ているときは目が動く そう聞いた事が有るのです。注意して顔を見ていても 表情が変わるわけでも無く、どんな夢を見ているのか その動きからは分かりませんでした。この子が小さいときの事をいろいろと思い出すのです。幼稚園に行くのがいやだと言って”ごねている”のを無理矢理 背中に背負って連れていったけれど、あまり泣くので そんなに嫌なら やめさせてやろうと、5ヶ月ほどで幼稚園中退となった事とか、半年して 次の幼稚園へ連れていったときも 泣きわめいて 主任さんがずっと抱いていてくれたのが、一週間もたつと どろんこになって帰ってくるように成ったときは 本当にほっとした物でした。その子が大学3年生。私もそんな思いを 親にさせていたのだなあと思いながら 今、キーボードに向かっているのです。 
1998/12/23  大蔵大臣の発言に拠る 円、株、債権のトリプル安が故意になされた物か、不用意になされた物か判断に苦しむ所ですが、私は故意になされた物と思うのです。なぜなら、日銀総裁も同じ事を言っているのです。二人の連携に拠ることは明白なのですが、と言うことは 長期金利の高め誘導及び短期金利も応分に上がると云うことで、低金利でかろうじて生き延びてきた企業群に「君たちは死んでも良いのですよ」と云うメッセージを送った事に成るのです。このことは 政府が金融システムの再構築に目途がたち、経済運営に自信を持ったと云うことなのでしょうか、大きな疑問が有るのです。今後市場がどう動くかは 予断を許さないところですが、あえて言えば 日本の異常な人為的低金利は金融ビッグバンによるグローバルスタンダードの下では成り立たないと云うことに当局も目を向けた訳で、今後の金利は好むと好まざるとにかかわらず 上がって行かざるを得ないと云うことです。企業のサバイバルがいよいよ始まるのです。其処にビジネスチャンスも生まれてくるのです。 
1998/12/22  いよいよクリントン米大統領の「弾劾裁判」が上院で1月にも開始されることと成りました。先の、イラク爆撃に加えてのホワイトハウスの処理のまずさが、米国の威信の失墜といった形での結果を招いてしまったのです。それにしてはニューヨーク株式が9000ドルを回復するなど、私の予測通りには進んでないのが不思議なのです。此の年末、東京が14000円、ニューヨークが5000ドル、為替は120円と予測したのが9月初めなのですが、ニューヨークだけが思い通りに行かないのです。ドルの垂れ流し、ユーロの台頭、伝統的な先取り消費、経済のかげり どれをとってもアメリカのバブルが何時はじけてもおかしくない状況なのにもかかわらず しぶとさを保っているのは驚異ですら有るのです。経済アナリストとしての私の名声は一気に地に落ちるのでしょうか。これからは地道に しょうもないギャグの仕入れに専念したいと思うのです。 
1998/12/21  最近、上の子は三日に一度ぐらい家に帰ってきて、一晩泊まって 着替えを持って また出て行きます。卒業論文の締め切りが近いので 学校へ泊まり込んで書いていると云うことで、女が出来て同棲しているわけでも無さそうです。子供が大きくなるのは嬉しいことですが、一面 寂しくも思えるのです。妻にとって 子供は心の中の大きな部分を占めているようです。私はと言えば、子供は大好きなんですが、結婚する前から 子供という物は 親の前を通り過ぎる物だとそう思っていたし、妻にも子供が離れていった後 心にぽっかり穴が空いてしまわないように 子供にかまけず 婿はんを大事にするように、今も 日夜、言い続けているのです。
1998/12/20  朝6時に起きる予定が、7時になって それでも起きて日水会に行って来ました。自分で自分を誉めてやりたい、みんなには馬鹿にされるけど それはしょうない。昔は、夜遅くなってもきっちり起きて 練習に行っていたのに 15年も経つと生活環境も変わってくるし、体力にも衰えが出てくるし、精神力も萎えてくるし、他にしたいことも出てくるし・・・。
 これからは酒を一寸だけ慎もうと思います。これで、時間を作って新しい試みにチャレンジしたいと思うのです。マンネリ化した今の生活を打破し、日に新たな活動を続けて行く限り 青春は永遠に私の物だから。 
1998/12/19  久しぶりにパソコン倶楽部に顔を出したのですが、丁度みんなが帰るところでした。それからミーティングと云うことになり、皆さんご存じ無いでしょうが”天狗”と言う「国際会議場」で世界情勢全般をも含めての論議となりました。最初の話題は”カレー事件”で、我々パソコン倶楽部の質の高さが実証された訳で有ります。この”カレー”を持ちネタにしているのが”工具屋のおっさん”で、「真須美容疑者は二回子供を堕ろしていると報道されてされているけど、あれは嘘や。真須美容疑者はずっと”否認(避妊)”しているのに 妊娠するはずがない!」しょうむないネタなんですが、これが結構うけるので有ります。 
1998/12/18  昨日は今年最後のゴルフを六甲カントリー倶楽部へ工具屋のおっさん達と行って来ました。スコアは50/47と最後のゴルフとしては決して満足のいく物では有りませんが、うんと悪いと言うこともなく、こんなもんかなと言うものでした。12月も後半に入ろうという気候とも思えない、穏やかで絶好の日和となったのも ひとえに私の日頃の精進の良さと感謝するところです。しかも 蛇、駱駝、河童、それと ゴリラ 4枚の札を最後には私一人で頂くという快挙を成し遂げたのです。それも、最終ホールでロングの三打目をOBで しかも池へほりこんだのでした。それまで持っていた 蛇、駱駝 に加えて河童、ゴリラの2枚で四冠王に輝いたのです。ちなみに 蛇は3パット、駱駝はバンカー、河童は池、ゴリラはOBをすると貰えるのです。勿論、一枚貰っても”あほ”と呼ばれるのです。 
1998/12/17  日東幼稚園の白組に毎日通っていた頃は、私も若かったのです。現在は独立して別の場所に有るのですが、当時は日東小学校の校舎の一部を使用していたのです。今で言う「年長組」しか無かったのですが「白組」、「緑組」それに他にも組が有ったように思います。何分にも古いことなので、記憶が定かでは無いのです。(お昼に何を食べたか、思い出せない事が有る位なんですから) 弟が通った、日本橋小学校付属幼稚園は、まだ出来ていなかったのです。姉の時は、此の日東幼稚園も出来ていなかったそうです。日本橋小学校に 無試験で入学したのは、私だけでは無かったのですが、その頃は校舎の三階に職員組合だか何かが居残っていて、校舎の全てを学校が使っていた訳では無かったのです。一年と二年を井上先生に三年から卒業までを中達先生に習ったのでした。 もう、お二人ともこの世には居られないのですが、いろいろな思いが走馬燈の様に、メリーゴーランドの様に、アポロ2号の様に浮かんでは消えて行くのです。 一年から六年まで ずっと2クラスしか無く、しかも組替えも無かったので男子16名、女子26名、都合42名のクラスメートは 6年間、ずっーと 一緒だったのです。勿論、私は優秀クラスの一組でした。(二組の人が聞いたら、きっと怒こると思いますが)
1998/12/16  久しぶりに?飲み会が有って、帰ってきたのが12時過ぎでした。最近、12時頃に帰ることが増えてきたようで、体力の衰えを感じるのです。5,6年前までなら、平均すれば帰宅時間は午前2時で、遅くなったなあと思ったら4時頃と云うのがパターンだったのですが。その、一番体力の有った頃に、午前4時頃に 遅くなったなあと思いながら ふらふらと家の前までたどり着いたところ、向こうから近所の電気屋のおっさんが(当時は まだ若かったので”にいちゃん”かも)歩いてきて「澤田さん、これから飲みに行こ!」そう言われたのであります。そんな時間からも飲ます所が有るのかな?なんて、考えたものでした。上には上がある、あほには際限が無い、そんな見本の様な男でした。その彼も、結婚し子供も出来て 幼稚園でPTAの役までやらされようとする様になってくると、一寸は大人しくなるようです。(本人がそう言っているだけですけど) 歳の流れに身を任せていて、良いのでしょうか?もう一寸、頑張って見ようと思うのです。 
1998/12/15  先日の飲み会でもめ事が有りました。酒に酔った一人が誰彼無く絡み始めたのです。初めの内は皆、相手にしなかったのですがだんだんとエスカレートしてくるので、一言二言反論すると十倍にも成って帰ってきて、日頃おとなしい人もだんだんと腹に据えかねる様になってくるのです。売り言葉に買い言葉と云う様相になって、何とかなだめようとしたのですが、その時 全くそれまで気配も見せてなかった者が「表に出ろ!此のおたんこなすの馬鹿たれめ!」と云う言葉をはいたからたまりません。みんなでよってたかって二人を引き離し 事なきを得たのですが、白けた雰囲気のみが後に残るのでした。酒は気違い水、とは よく言ったものです。50才も越えてわめき散らす、はかなさ、むなしさを分かるぐらいなら、わめかないのか?それとも、酒癖の悪いのは病気なのか?どうすれば治療できるのか?いっそ、酒を飲むのには「酒飲み許可書」か「酒飲み免許書」が要るようにすれば、もめ事も減るのでは無いでしょうか?勿論、私は「大型二種」を取るつもりで、無免許のまま 受験勉強に励みたいと思います。
1998/12/14  日本債券信用銀行が国有化されることに決まった。資産内容が日本長期信用銀行よりも悪いにもかかわらず、此処まで日債銀が永らえたのは、やっぱり政府、日銀とぐるだったのではと疑わせます。12月10日の日経で中央信託銀行との合併は無いと言う報道が有り、11日(金)は日債銀の記事は1本も無く、12日(土)に日債銀 国有化の記事と成っています。8日(火)の株価が175円出来高146万株、9日(水)174円 135万株、10日(木)163円 935万株、11日(金)158円 1、098万株 と成っているのです。株価が大きく下がらずに、出来高のみが大きく7倍、8倍にも膨らんでいるのは内部情報に基づく売り逃げ いわゆるインサイダー取引がおこなわれたのは歴然としています。金融監督庁は此の3年間に日債銀に政府、日銀と何が有ったのかをはっきりとさせる義務が有るのです。此処に至るまでにも甘い汁を吸って糖尿に成った者が居るはずなのです。金融監督庁の報告がベストセラーに成ることは間違いないでしょう。
1998/12/13  今朝は、夕べ早くに寝たお陰で4時半に目が覚めました。日水会へ6時に行く予定だったので、もう一度 うとうとして次に目が覚めたのが8時でした。一寸前までは 早くに目が覚めて そのまま寝られなかった事が多かったのですが、喜んで良いのやら まあ、サボった言い訳の屁理屈にでもしておこう。なぜなら 今晩、日水会の忘年会が有るのです。朝、練習に行っていないと 恐らく、いろいろと非難されるのは目に見えているのです。こちとらとしても うまい酒を飲むためには 理論武装をしておく必要が是非とも要るのです。サボっている連中も こんな時には顔を出すので、結局15,6名は来るかと思うのですが まじめに常時来ているのは半分居るか居らないか位です。しかし おかしな物で、宴会の後 しばらくは参加者が増えるのです。こんな事なら、月に5,6回 宴会をするように、今晩進言してみようかな。
1998/12/12  何年か前に、東本願寺まで出向き2泊3日で奉仕、聞法した事があります。その時に”お剃刀”を受け「寂定」と言う法名も頂いたのですが、「静かに定まる」と言う法名の意味とは裏腹に「かしましい」日々を送っています。昨夜も「パソコン倶楽部」の忘年会が有り、ホテル南海の2階バイキングで食い放題、飲み放題と云うことで、普段 顔を見せない(私も最近、サボっているのです)17名のおっさん達が集い、わいわい がやがや やかましい事でした。その後、健康器具屋のおっさんと電気設計屋のおっさんと3人で、もう一寸呑もうと云うことで 約一名はウーロン茶で 約二名は なんじゃかんじゃで 話が弾んだのでしたが、今朝起きれば例のごとく 何の話をしたのかは定かでは無い、今日この頃です。 
1998/12/11  蓮如上人は5回妻をめとって二十余人の子供をもうけたのです。羨ましいと思う人も居ると思うのですが、別に弁護するわけでは無いのですが、全て死別なのです。九十幾つまで永らえればそんなことも有るかと思うのです。その宗祖 親鸞さんの師匠が法然上人なのですが、ご存じのように浄土宗を興した人なのです。それまでの日本の仏教は、いわゆる山岳仏教で最澄が開いた比叡山の延暦寺、空海の高野山、禅宗、曹洞宗 等々の教えでは自ら修行を積んで悟りを開かなければならない、そんな自力本願の仏教だったのです。法然さんは妻帯も許し、当時としては新興宗教で有る浄土宗を興したのですが、自分では妻帯しなかったのです。その弟子、親鸞は妻もめとり、子も もうけたのでした。当時としては異端の彼らは 時の権力者の逆鱗に触れ、それぞれ四国と新潟に流刑となるのです。親鸞は師匠の法然のとばっちりを受けたわけですが、こうして雪国の人達と語り合えるのも師匠のおかげさまでと感謝するのです。その彼が、いくら修行を積むよりも、南無阿弥陀仏の六字名号を唱える方が救われるのだと説いたとき、新興宗教で念仏仏教であり、他力本願の真宗が始まったのです。合掌!
1998/12/10  今年も余すところ3週間と成りました。12月9日はうちの寺で「報恩講」が毎年開かれます。真宗大谷派 藤井山(とうせいざん)光泉寺と言う今里新地のど真ん中に有るお寺で、昭和61年頃にすぐ近くの中川から引っ越ししたのです。鎌倉時代に奈良県宇陀郡の地に建立され、東大阪市の長瀬(今、近畿大学が有るところ)に移って、次が中川、そして今 新今里と言うことです。「報恩講」と言うのは 「広辞苑」に親鸞上人の報恩講と有るのですが、古くは各派の寺がお釈迦さまや宗祖の為に催した法会を言うのです。昼の部と夜の部が有って、中学へ上がった頃から 私は親父に連れられて、此の光泉寺の報恩講へ来させて貰っているので、かれこれ40年にも成ります。その間、お寺の建て替えで2年ほど無かった時を除いて 皆勤でお参りさせて頂いています。初めに御前唱と言う親鸞上人の一代記が節を付けて語られます。全部で15段有るのですが、昨夜は半分の8段でした。次に説教師が講話をなされるのですが、今回の題目は真宗8代目で中興の祖と慕われる蓮如上人のお話でした。この方は真宗の教義をわかりやすく「御文(おふみ)」と言う、手紙の形で皆に示された方で、蓮如が居なければ現在の隆盛は無かったと言われています。昨夜の説教師が言われたことを要約すれば、お釈迦さんは人の一生という物は一瞬である、今生まれて 今死ぬのである、そう言われたのだそうです。毎日、毎日を大切にせよ、と言うことなのでしょうか。私はお釈迦さんより もう一寸 気が長くて、この冬は越せないような気がします。南無阿弥陀仏。
1998/12/09  昨日は難波会と言う日本橋の町会の連中とのコンペで茨城国際へ行って来ました。電気屋のおっさん、まんが屋のおっさん、不動産屋のおっさんがメンバーで、コンペと言ってもたったの4人なんですが、がんじがらめのにぎりで わくわく、どきどきの連続です。そんなに大きくは成らないのですが、複雑なのです。先ず、前回のスコアでハンデを決めるのですが、これが そのスコアの差をそのままハンデとするのです。100の者と120の者では20のハンデが付くのです。その3/4で”ベ”のハンデを決めます。そして”へび”をするのです。にぎりの総合計で一番勝った者が優勝となり、皆からご祝儀を貰うわけですが、地元へ帰ってきてからの会食は優勝者持ちなのです。今までの6回で、その内の5回までが優勝者の持ち出しと成っています。結局、二位に成るのがベストなのですが、名誉もほしいし、痛し痒し 難しい判断を迫られるのです。今回、私は53/47でグロス二位、”握り”は最下位と成りました。まあ、別に難しい判断をするほどの技量も無いのですが。
1998/12/08  生暖かい変な天気が12月になっても続いています。おまけに昨日は朝、雨まで降ってきました。別に、雨が嫌いなわけでは無いのですが、9時から灰皿、ゴミ箱の入れ替えを商店街でしたから、天気の方が都合が良かったのです。私と でんでんタウン事務局のおっさん(40も越えたら”おっさんやろ”)と二人で、軽トラに乗って 古い灰皿の回収をしたのですが、これが思いの外 手間取り、お昼近くまでかかってしまいました。スタンドボックス型の灰皿なので、キャップの下に吸い殻溜めが有るのです。一番参ったのは此の吸い殻溜めが無いのに吸い殻を捨てるものですから、ボックスの中が吸い殻でびっしり埋まっているのが有るのです。これがまた雨水を吸って重たいの、臭いの、汚いの そりゃひどい物でした。ゴミ袋に空けるのですが、泥がそこいらに飛び散ってズボンは汚れるは顔にまで汚泥が着く始末なのです。ズボンを汚したら嫁に怒られるのです、こんな事なら新しいのを配る方にしといたら良かったのにと、愚痴るのです。愚痴りながらでも、最後までやり遂げた、自分を自分で誉めてやりたい! そんな、大層な事でも無いか? それよりも、突然誘って お手伝いしてくれた”事務局のおっさん”には、感謝!感謝!
1998/12/07  金融機関の不良債権の処理が進んでるというのに金融不安が収まらないし、我々としても釈然としない訳は、不良債権の帳面上の処理は進んでいるが実際の処理がされていないと云うことで、金融機関の資金ショートが起こりうると云う不安を肌で感じ取っている結果なのではないかと思います。何かと云えば、たとえば100億円融資している会社が返済不能に陥ったとします、土地を担保としてとっていたとして、現在の時価が60億円とすれば、日本で言う不良債権処理とは40億円を貸し倒れ引当金として計上されることを言います。しかし、その60億円の土地か実際に売却されなければ、100%不良債権が処理さているにもかかわらず、この60億円は使えないお金なので、資金が足らなく成るのです。今は、政府・日銀が安易に公的資金注入とかで資金繰りをさせているのですが、これも金融機関にとってはコストのかかるお金、すなわち借入金の一種と考えるのが正しいと思います。と言うことは、実際にその土地を売って現金に換えるまでは、国に借入金の金利または配当を払い続けなければ成らないのです。それを政府は低く抑えようとしているのですが、これは税金を投入している事と同じなのです、それは我々のお金なのです。ですから、金融機関が見せかけのリストラをしたぐらいで、我々としては金融機関を決して許しては成らないのです。彼らが我々より惨めな生活をするまでは。 
1998/12/06  日水会で関谷公園の掃除をするという案内を貰ったのです。しかも、来週の日曜に忘年会をすると云うことも併せて書いてあったのです。美味しい酒を飲もうと思ったら、やっぱり掃除に行かなければならないと、自らを叱咤激励して、今朝6時に行って来ました。普段なら5,6人しか来ない練習日に(試合の時は結構来るのですが)14名が来ました。考えていることは皆同じで、美味しい酒を飲みたい一心なのです。昨日の雨でどっかの亭主と同じで、濡れ落ち葉というのはまとわりついて掃除しにくいのです。おまけに、水分を十分吸い込んだ”うんち”はやっかいの種なのです。それでも、めげずに掃除をしながら考えたのですが、新幹線のホームの清掃なんかに使われている”げろ”を固めるスプレーが有ると聞いたので、これが手に入らないものかと、誰か知りませんか?
1998/12/05  今月になって、恒例になってきた「歳末、防犯夜間パトロール」が実施されています。皆さん熱心で、初日など40人を越える参加者が有りました。良いことをしている、と言う意識と、皆さんに負担をかけている、と言う意識が相まって居るのですが、これも世の為 人の為 自分の為 と割り切って12月いっぱい頑張ろうと思うのです。地域の皆さんにもパトロール中 暖かいお言葉をかけていただく事も多いのですが、しかし一方、思わぬところで人に不快な思いをさせている事も有るのです。「戸締まり用心火の用心!かちかち! とやったら「お前ら!嫌みでやってるのか!」と怒鳴られてしまったのです。何の事か分からなかったのですが、その家は以前に”ぼや”を出した事があるのです。その人にとっては そのことでずっと心を痛めてたしたのです。その家の前で「火の用心!」とやれば、他意は無くとも その人にとっては嫌みと受け取れるのは よく分かるのです。事情を良くその方に説明して誤解を解く必要が有るのです。何か行動を起こせばプラスだけでなく、予期せぬマイナスのリアクションがあると云うことが、今回の事でよく分かったような気がする、今日この頃です。
1998/12/04  草踏会が八重桜カントリ−クラブと云うところで昨日有りました。一昨日に続いてと云うことで、かなりお疲れだったんですが(疲れてるんやったら、行くな!の声が聞こえたような気がしましたが?)頑張ってきました。朝、終わり2ホール連続OBで46、昼から、スタート4ホールで9オーバーが残り5ホール連続パーで45と、不安定なのやら、安定しているのやら、うまくなったのやら、下手なのか、本人もよく分かりませんが、結構楽しいゴルフが出来ました。来年の事を言うと鬼に笑われるかも知れませんが、平均ストローク95を目指したいと思いますので、鬼に笑われてもかまいません。
1998/12/03  結局、昨日は55/45で、4位で「大波」と言うことでした。例のおっさんは51/57で 一応 勝つことが出来ました。勝ったと言うよりは、相手が負けたと言う方が、より正確で有るのですが。そこで、優勝、準優勝、ベスグロの方々の挨拶の後に「大波賞」の方も挨拶せよとの仰せが有りました。私、元来 人前で挨拶することは「嫌い」なのですが、仕方がないので 嫌々「挨拶」させて貰いました。「本日、朝”55” 昼から”45”と云うことで、図らずも”大波賞”を頂戴致しました。先ずは、同伴競技者の皆様に厚く 御礼申しあげる次第です。此の方々に足を引っ張られ 朝”55”も 叩いてしまいました。昼からは 実力で”45”で あがらせて頂きました。今後ともよろしくお願い申し上げます。」と つい言い過ぎてしまうので「挨拶」は 嫌いなので有ります。
1998/12/02  今日は”年末時局懇談会”で有ります。何の事か分からないと思うのですが、ある人は政治的な会合と思い、ある人は商売上の会合と思ったり、また ある人は、来年に向けての抱負を語り合う会と思われるのですが、実はゴルフコンペなのです。此のご時世、また この時期にゴルフなんてと思われるのがいやで こんな名前を付けたのだと思います。そんなことはともかくとして、例のおっさんも一緒に行くのです。今回のハンデは、私が彼にハーフ二つ出すのです。今日勝てば、来年のこととなるのですが次回はラウンド6つのハンデを出すことになるのです。朝のあわただしい中なので、それじゃまた。私に幸運を!
1998/12/01  師走になると、洒落で何時も言っている「良いお年を!」が、もう使えなくなって、次のギャグを考えなければなりません。何かと忙しいことです。昨夜、工具屋のおっさんと飲みに行く約束をしたので、下駄屋のおっさんを誘ったのですが、珍しく家に居ったと思ったら、「風邪引いてしんぞいねん、明日 生理休暇とるねん」と、おっしゃるのであります。其処へ、飲み屋に居てる 役所のおっさんから電話がかかってきて、「お前のおかげで損をしたから、早よ来い」と、言うのであります。先日のゴルフコンペで、私が本命になっていて、私から三口も買ったのに11位で 馬に絡まなかったのを言っているので有ります。「パドックで馬体も見ずに、場外で買った奴に言われたない」と、まあ 言い訳しておいたのです。その役所のおっさんは、年に二度ほど、1週間休暇を取って、福岡と仙台へ競輪に行くのであります。その軍資金を溜めるために仕事をしているのだそうで、先日 福岡から帰ってきたばっかりです。今回は負けなかったので、鼻息が荒いのです。彼の友達に鶴橋のおっさんが居るのですが、結局 此の四人で12時近くまで騒いだので有りました。世の中、結構 楽しいので有ります。