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作者のプロフィール

登場人物の紹介


 
2002/12/31  実の嫁も子供達も誰も居ない大晦日の朝を迎えたのです。先ず、洗濯機を 回したのです。次に、何時もは嫁がやっている経理のお仕事をし、残り物の関東炊を暖めて(蒟蒻、牛蒡天、平天、大根、それにアルミ箔で包んで有るジャガイ モ)、貰い物の千枚漬け、菜っ葉と榎の和え物、それに最後に残ったお茶碗一杯の御飯、これらが私の胃袋へと流れ込んだのです。昨夜は店長を誘って、あの高 級焼肉屋「五宛屋」で食事をしたのです。帰ってから、風呂に火を点け、チョッと仕事をしてる間に沸いたのです。風呂上りに今朝も食った関東炊を肴に冷酒を 少々飲んだのです。夕刊が無かったので朝刊を読みながら自然に熟睡となり、目が覚めたのは6時40分。独身の朝はする事が多く、これをしたためたのが午前 9時40分となったのです。これから洗濯物を干すので有ります。「平々凡々」されど「光陰矢のごとし」を実感するこの一年で有りました。
2002/12/30  昨夜、宇都宮から次男が帰って来たのです。実の嫁に名古屋あたりから メールが有ったのです。彼女は本当に嬉しそうなのです。私とでは扱いがかなり違うのです。其れも其のはず、彼は実の子、私は赤の他人。仕方の無い事なので す。今日から、母達と一緒に彼女は次男共々「パラディウ夢」へ行くのです。ですから今日は鰥夫となるのです。昨夜は今年最後の忘年会だったのです。午後7 時開会だったのですが、社員が二人休み、二人早退と言う事で居残りになってしまったのです。会場に駆けつけたのは8時35分、鍋は無残にも食い散らかさ れ、うどんが三筋ほど残るばかりで有りました。でも、良心の欠片が存在したのです。私の為に新たに鍋が用意されたのです。勿論、周りのシャーク共の餌食に なったのですが、幾許なりかのお零れに預かったのです。終わったのは10時半、まあ皆さん飲むは食うは、元気な連中なのです。帰りにチョッとショットバー に寄り、真面目にご帰宅したので有ります。
2002/12/29  昨夜は餅つき大会が有ったのです。まあ、大会と言っても優勝者が誰で、 誰がブービーと言う訳や無いのですが・・。「4丁目のオーディオ屋」の倉庫で1斗4升の餅を石臼でつくのです。石臼1個、杵2個、蒸篭4個、釜、業務用ガ スコンロ等々を準備しなければならないのです。一番手間が掛かるのが、前の日からもち米を水に漬けておかなければならないのです。餅つきは先ずコネが大事 なのです。出来上がりの八割がこれで決まるのです。そしてつくのです。私などは、コネ半分、つき1/4なのです。いえ、どう言う意味かと言えば、ちょっと で音を上げる、息が上がる、まあ そんな意味なのです。2升づつつくので7臼なのです。おろし餅、きなこ餅、海苔巻き・・、色々な食べ方が有るのです。 後、寿司に豚汁にビールに焼酎、日本酒、ワイン等々、食いまくり、飲みまくり、なのです。私はこれだけでは収まらないのです。昨日今日、町会の夜警が有る のです。両方を掛け持ちしなければならないのです。餅つきは「オーディオ屋」の一族、「山椒大夫」の一族、「素手で杵を折ったおっさん」、「工具屋のおっ さん」、「隣のおっさん」、「ビクターのおっさん」、「くっさん」、「たーちゃん」等々が参加したのです。夜警は「4丁目の不動産屋」、「なかちゃん」、 「健康器具屋のおっさん」、「難波の不動産屋」、「裏の洋服屋」等々が参加したのです。戸締り用心!火の用心!
2002/12/28  12月27日(金)は「のら」の本年最後の営業日だったのです。「パ パ」、「ダーリン」、「アッキー」というカタカナで呼ばれるおっさん達。それに、「ノンちゃん」、「白塗り」等々、満員の盛況で有ります。何でも前日は鬼 の霍乱、発熱でのらは早退したそうなのです。点滴でリセットされ翌日に復帰となったのです。「よしこ」が帰って来ていたのです。彼女は昔「のら」でアルバ イトしていた小娘なのです。今、東京でフリーライターをしているそうですが、実家が高槻、それで年に一度「のら」に来るのです。アフリカへ行ったり、小笠 原で1年余り住んだりとか豪放磊落な小娘なのです。其処へ「三郎」、「鶴」、「てっちゃん」、「ハム屋のおっさん」が来たのです。「山椒大夫」が「1号」 と来て、「工具屋のおっさん」、あまつさえ「嫁の実家が酒屋のおっさん」、「くっさん」まで来たのです。こいつらは昨日も居ったそうで、あの「へのもと」 も居たそうなのです。彼の二段変身も見たとか・・。こうして、「のら」は良い年を迎えられる事となったので有ります。
2002/12/27  昨日は午後5時半から「ホテル日航」の「弁慶」でお寺の会合が有ったの です。先日、筆頭総代さんが亡くなられ総代が二人になってしまったので、新しくご就任戴いた方との顔合わせの会なのです。併せて、住職の次男さんが次期住 職の資格をご本山より承認戴いたお披露目も兼ねているのです。ご住職ご夫妻、次男さんご夫妻、其れに我々三人の合計7名なのです。話が弾み、お開きになっ たのは9時半だったのです。ご住職が家まで送ると言われたので、「寄るところが有るのでここで失礼致します」、そう言ったのです。ところが、「お寺の会合 で遅くなったのでは、奥様に申し訳ない」、と言われ、どうしても家まで送ると言われるのです。断りきれずに、送って貰い、結局「のら」へは行けなかったの です。「日航」からだと「のら」までは少し歩くだけで行けるのです。家を出る時から其の心算(つもり)だったのです。お土産に戴いたケーキやらを持ち帰 り、この話を実の嫁にすると大笑いするのです。世の中、ままならぬモノなのです。
2002/12/26  母が一昨日から来られていて、昨日 朝帰られたのです。午前11時ごろ に家に帰りたいと言い、早すぎても遅すぎてもいけないと言うのです。何か予定が有るみたいなのです。母の家は近鉄小阪。其処で、実の嫁が10時10分ごろ に母をタクシーに乗せ行き先を告げたのです。嫁は嫁で地下鉄日本橋から茨木の入院先まで弟の見舞いに行ったのです。私は10時30分から12時30分まで の会議に出席するのですが、朝の段取りが済むまで出られないのです。店の営業時間は午前11時から午後8時まで。事務所から店に出勤するのは毎日10時 20分、通勤時間は約1分。4階の事務所に居る時、10時15分に電話が有り、対応していて23分になってしまったのです。店長が出勤するのが10時22 分なのです。慌てて入り口を開けに行ったのです。店長は既に来ていたのです。そして、自転車で会議の場まで出かけたのです。約3分遅れたのです。でも、7 名の会議の5番目の出席だったのです。午後2時からも会議なのです。1時過ぎに来客が有り、食事の時間は23分しか無くなったのです。1時58分に会場に 到着、4人の会議の3番目だったのです。会議はキッチリ3時まで。そして夜の会議は7時から。まあ、毎日忙しいのです。小人閑居して不善を為す。忙しいの が一番なのです。
2002/12/25  近年は歳末とかクリスマスとか正月とかを感じる深さが無くなったので す。昔は正月になると百貨店を初めほとんどの商店がお休みだったのです。ですから、お正月の食料を確保する意味で、おせち料理が有ったのです。でも、昨今 はコンビニを初め、元旦からスーパーやら百貨店やらでんでんタウンまで開いてるのです。年中無休なのです。季節感が無くなったのです。慌てて年の瀬に買い 物をする必要が無くなったのです。でも、忘年会と新年会は何故か増えているのです。昨夜は防犯パトロールの打ち上げで、帰って来たのは12時前だったので す。お付き合いを頂いたのは「嫁の実家が酒屋のおっさん」だったのです。でも、「のら」へ行くと「山椒大夫」を初め「元喫茶店のねえちゃん」、「くっさ ん」、「ターちゃん」、「ミキパパ」、「先生」・・・、盛沢山に居るのです。こうして今年も暮れて行くのかなあ〜、と思うのです。今日も朝、昼、夜と公務 が有るのです。大変なんですから・・。幸せは其れに気付いてやらなければならないのです。積極的に探して、見つけてやらなければならないのです。そして、 大切にはぐくんでやるのです。そうすれば、きっと幸せは大きく大きく育って行くのです。
2002/12/24  「工具屋のおっさん」が初孫に車を買ってやったのです。いや、まあ息 子夫婦に買ってやったのですが、本当は孫に買ってやったのです。息子の嫁はペーパードライバーなのです。車庫入れが出来ないのです。そう言えば実の嫁がそ の昔、子供たちを乗せていた時に電信棒で擦ってきたのです。前のフェンダーから後ろまで4枚で有ります。子供が帰るなり私に言ったのです「お父さん!お母 さん、ぶつかってても車止めない!」震えながら言ったのです。上の子が小学校低学年だったのです。それで4枚なのです。それ以来、嫁は車に乗ると言わない のです。でも、帰って来た時の言葉を今でも覚えているのです「だって、おかしいねん。あんな所に電信棒が有るのん。電信棒が悪いねん!」そう言えば「工具 屋のおっさん」も今乗ってる車を下ろしたての時、駐車場の鉄無垢の円柱にバンパーを擦りながら言ったのです。「大丈夫、大丈夫」、バンパーはボコボコに なっていたのです。彼の弟さんも其の車に乗るのです。弟さんは大の車大好き人間。弟さんの本当に情けなそうな顔を思い出すのです。昨日、「工具屋のおっさ ん」が孫の新車で町内を一周して来た時に言ってやったのです。「バンパー、大丈夫か?」
2002/12/23  昨夜は「なべちゃんの鍋パーティー」が有ったのです。「山椒大夫」は 時々こういう行動に出るのです。兎も角12名の精鋭を12月22日(日)午後7時に集めろ、と言う指令が彼から下ったのです。別に深い意味は無いのです。 ただ単にはしゃぎたいだけの様に思われるのです。まあ、其れに呼応する我々にも問題は有るのですが、この際そう言う事はどうでも良く、人間 時として刹那 的になるのも人間的ですら有るのです。「山椒大夫」が声を掛けた連中に確実にアポを取るのが私の仕事なのです。誰に声を掛けたかすら定かで無いのですか ら、作業は困難を極めたのです。それほど大層な事も無いのですが・・。集まったのは「ビクターのおっさん」、「くっさん」、「べべのようこ」、「新べべの たえこ」、「のら」、「のら娘」、そして風邪をひき「日本橋麻雀倶楽部」を欠席した「京都に嫁の居る電気屋」、「太郎」、「1号」、「2号」、そして嫁に 拉致されていた「4丁目のオーディオ屋」。彼は家族サービスデーだったのです。ですから解放されてからの参加だったのです。勿論、胸に有ったバッチは外し ていたのです。もう一人「工具屋のおっさん」が来る予定だったのですが、こちらは初孫に拉致されてしまったのです。
2002/12/22  昨日は朝から茨木の病院へ見舞いに行っていたのですが、帰りの新御 堂・千里中央付近で大渋滞に巻き込まれたのです。100m進むのに5分も掛かるのです。普通、50分程度で帰られるのですが、この渋滞で40分ほどをロス し、1時間半を掛けて家までたどり着いたのです。事故が有った訳でも無く、工事をしている訳でも無く、自然渋滞と呼ぶのでしょうが、なんだったんでしょう ネ?帰るなり、飯も食わずにお葬式のお手伝いへとはせ参じたのです。夜は「日本橋麻雀倶楽部」の本年の打ち止め。まあ、忘年会を兼ねた様なもんで、何時も の事ですが、飲めや飲めやの大騒ぎだったのです。参加9名での準優勝。これで持点が20,000点から19,000点へと昇格したのです。此れが少ないほ ど格が上なのです。現在「白塗り」が17,000点でトップなのです。優勝は「4丁目の照明屋」で、べべが「白塗り」、ブービーは「嫁の実家が酒屋のおっ さん」だったのです。今回「京都に嫁の居る電気屋」は風邪でお休み。鬼の霍乱で有りました。
2002/12/21  昨日は朝から大忙しだったのです。先ず、午前8時半に人と会う約束を していたのです。これは30分ほどで済んだのですが、10時20分に浪速区役所で例の「エリア集客創出事業」に付いての会合が有ったのです。午後7時半か らと思っていたのが午前に変わっていたのです。予定をオーバーして、終わったのは12時40分。1時には人を待たせて有ったのです。隣組の会費の集金に二 人で行くという仕事なのです。月3,000円の会費を1年分、36,000円を集めるのです。通常、年2回集金していたのですが、ずぼらして一度で集めよ うと言うのです。20軒の会員の内、不在等のところを除き17軒分を集める事が出来たのです。優秀な成績だったのです。会の名前は「ニコニコ会」。日本橋 連合振興町会に6個有る町会の一つ、日本橋北振興町会の其の又幾つか有る隣組組織の一つなのです。何時もニコニコ、大変良い名前の会なのです。この集金に 要した時間が1時間半。遅い昼飯を食い、午後6時からはご近所のお通夜のお手伝いなのです。享年38歳と大変若い仏さまなのです。ご冥福を祈りたいと思う のです。8時からは日本橋の今後にとって大変重要な会議が急遽入ったのです。終わったのは10時を回っていたのです。「のら」に出勤して帰って来たのは 12時半ごろだったでしょうか・・。
2002/12/20  雨の金剛山も中々のものです。雪山を想定してアイゼンも用意したので す。しかし、麓(ふもと)の気温は8度、山頂で2度と暖かい登山となったのです。長袖のTシャツにハイテク保温スポーツシャツ、ベストにウインドブレー カー、リュックを担いでの出で立ちだったのですが、一枚、二枚と音楽も無しで脱ぎ、頂上に着いた時にはTシャツ一枚の姿になっていたのです。勿論、暫くし て直ぐに着込んだのですが・・。持って来たカップヌードルにポットの熱湯を注ぎ、3分待って、ホッカイロで暖めた鱈子オニギリと一緒に食べたのです。ま あ、何と!美味しい事。山登りの楽しさの一つなのです。上りも下りも1時間30分の時間を掛け、ゆっくりと歩いたのです。ですから、抜かれた人の数は勘定 しなかったのですが、抜いた人の数はゼロだったのです。
2002/12/19  「ピン!ポン〜!」とチャイムが鳴ったのです。昨日の朝、丁度9時 半。実の嫁が応答に出たのです。「お早うございます。ハイ。チョッとお待ち下さい」こんな時間に誰やろ?そう思っていると「4丁目のオーディオ屋さんで す」と嫁が言うのです。其処で「あっ!」と思い出したのです。9時半に一緒に28日にする餅つきの機材を小学校に借りに行く、そんな約束をしていた事 を・・。パジャマ姿の私は慌てたのです。待たしてはいけない、と、パジャマの上に服とズボンを着て、大急ぎで出て行ったのです。表では車に乗った彼が待っ ていたのです。学校にたどり着くと管理作業員さんが「大きな臼と、小さな臼と、どちらが宜しいでっか?」大きな臼にしたのです。杵を2本と蒸篭を4杯、そ れに釜。其れだけを車に積み込み倉庫へと運んだのです。後は蒸篭に敷く木綿とガスコンロを用意すれば良いのです。夜には新木会の理事会が有り、全日程を決 めたのです。1月23日、西脇。3月6日、泉が丘。5月15日、万寿。7月3日、読売パブリック。9月18日、セントレイクス。11月6日、ウォータヒル ズ。勿論、全部木曜日なのです。え〜と、時刻は午前7時、これから嫁と一緒に冬の金剛登山なのです。
2002/12/18  まあ、一応報告しておきたいと思うんでっけど、昨日「でんでんタウ ン」の忘年会がおましてん。動物園の北東、「天王殿」と言う料理屋で開催されましてん。初めに理事会が有りまして「でんでんタウンビジョン策定」を「部品 屋のおっさん」、「近所の家具屋」、其れに私とで共同作業しているコンサルタントの先生のお話が有り、続いて「エリア集客創出事業」について「五階の電気 屋」から趣旨説明が有ったのです。ビジョン策定作業については、既に3度の会合が開かれ、短期3年計画の初年度にも具体的成果が得られる事業を立案しよう としているのです。単年度の積み重ねで3年と言う事です。そして10年の中期計画、20年の長期計画の策定も試みる予定なのです。「エリア集客創出事業」 とは、簡単に言えば日本橋に観光客を誘致しよう、と言うものです。大阪市内の7つのエリアが選ばれ、其の一つにでんでんタウンも入ったのです。此れに行政 から今年度100万円、来年度も同額の補助金が下りると言う話です。まあ、ほぼ決定の事業で20日(金)に「部品屋のおっさん」、「5丁目の家電屋」それ に私も加わって区役所で会合が有るのです。理事会の後はお決まりのコースで、老若とも結構騒ぎ、盛り上がったので有ります。
2002/12/17  今日は大分前に仕入れたネタをご披露するのですが・・。 其処が鬼婆 の住処とも知らず、3人の兄弟は一夜の宿を頼んだのでした。明くる朝、3人は殺され、食べられる事となったのです。懸命の命乞いの結果、「おまえらが夫々 果物を獲って来れば命を助けてやろう」そう言われたのです。3人は必死の思いでそれぞれに果物を持って帰ったのです。鬼婆は最初に帰って来た長男に「お前 の獲って来た其の葡萄を一口で食べておしまい」彼はいとも簡単に葡萄を食べ、命を助けられたのです。次男が小ぶりの林檎を持って帰ったのです。鬼婆は同じ 台詞を次男にも言ったのです。次男は其れを口に頬張り、何とか食べられるところまで持ち込んだのですが、ふと窓の外を見、突然林檎を吹き出してしまったの です。鬼婆は彼を殺してしまったのです。閻魔大王の前に引き出された次男に大王は尋ねたのです。「お前な、ほとんど食べられるところ迄来ていたのに、何是 吹き出してしまってんな?」次男の答えは「いえね閻魔さん、窓越しに弟が大きな西瓜を抱えているのを見てしまったんです」 ところでこの話、原作では口の 変わりに「お尻に入れる」となっていたのです。上品な私としてはこれを口に置き換えたのですが、どっちが宜しおまんねんやろネ?
2002/12/16  昨日は「でんでんタウン 電子工作教室(あかり教室)」が有ったので す。松下電工さんのご協力で一昨夜より、何時ものメンバーの共立電子の大野さん、ニノミヤの吉谷さん、それに今度の企画のコンダクターで有ります正電社の 伊東さんが準備していたものなのです。色々なあかりを展示し、あかりの話をし、実際に照明器具を造るところまでをするのです。受講生は30名ほどで、大成 功で有りました。私のほうは実の嫁がやっと帰って来たのです。これでやっと主夫から開放されるのです。其れは良いのですが、トイレで小便している時、電話 が鳴り出し、慌てて外へ出ようとして、扉で右足の膝を嫌と言うほど打ち付けたのです。今も痛いのです。医者に行った方が良いのか、思案の最中なのです。で も、今日も予定は沢山有るのです。朝から会合が有り、昼からは餅つき大会用の石臼と杵を探さなければならないのです。夜は夜で「茶菜会」の事務局会議が有 るのです。店も忙しいし、弟は入院しているし、甥っ子の面倒も見なければならないし、時限爆弾の母も居るし、日本橋の電気屋も大変やし、大騒動なのです。
2002/12/15  宣伝販促委員会とインターネット委員会の合同忘年会が昨夜、高級料亭 「きらく」で有ったのです。午後7時15分スタート。実の嫁が居ないので、店を閉めに帰らなければならないのです。少しほてった顔を社員に晒さない様にす るのが一苦労なので有ります。8時7分に店に帰り、8時20分に再び「きらく」に戻ったので有ります。帰り際に寄せ鍋に有った数々の私の好物は、僅か12 分の間に全て誰かの胃袋に消え去っていたので有ります。後、雑炊だけを食って「のら」へ出勤したので有ります。「のら」には「工具屋のおっさん」と「さぶ ろうさん」が居たのです。「嫁の実家が酒屋のおっさん」が直ぐ来て、後「のんちゃん」、「山椒大夫」、「一号」が来て、またその他大勢も来て、場は限りな く盛り上がったので有ります。帰りに「セブンイレブン」でフレンチトーストを買い、これをあてにチュウハイを半杯飲んで、上の瞼と下の瞼を合わせたので有 ります。
2002/12/14  昨日から実の嫁が母を連れて旅に出かけたのです。姉ともう一人と4人 で出かけたのです。車椅子と酸素ボンベを持って行くので、大層な事なのです。まあ、こうして病気の総合商社で有ります母を連れての旅行も何時まで行ける事 やら・・。9月にも10日間ほどの旅行を計画していたのですが、母が急に入院しなければならなくなり、ドタキャンしたのです。今回は3日間なのですが、其 のリベンジだと言うのです。ゆうべ遅かったので、今風呂を沸かしているのです。何時もなら帰って来ると風呂が沸いていて、朝飯が自動的に用意されるので す。今朝は幾ら待っても飯は出てこないのです。さっき蓋を開けると、昨日の飯が電子ジャーに少し残っているのです。辛子明太子と雑魚(じゃこ)、大根のお 漬物、昨日のお昼の味噌汁の残り、これらが私の今朝のメニューとなるのです。今晩は「インターネット委員会」の忘年会が有るのです。7時から高級料亭「き らく」で開催されるのです。8時に店を閉めに中座しなければならないのです。「無くなって初めてわかる有り難さ」未だ生きてまんねんけど・・。
2002/12/13  今年はいまだ未勝利だったのです。そして本年の打ち染めで劇的な優勝を飾ったのです。51/48、HDCP 20、NET 79 は優勝スコアとしては不満足なも ので有りましたが、最終ロングの30cmのパーパットをダブって20cmしか動かずボギーとしたように、緊張したラウンドの中での快挙で有ります。午後か らのスタートミドル、いきなりOBを出し、数々のドジも相まって8、続くホールもダボ、ダボの出だしに意気消沈していたのですが、ショートでバーディーを 獲り、次のロングはバーディー逃しのパー、ダボの後、残り4ホールをボギーでしのぎ、逃げ切ったのです。準優勝は1打差で「工具屋のおっさん」、3位も同 ネットの「角の工具屋の息子」、ブービーは「桐箪笥屋のおっさん」、べべは「水道屋のおっさん」で有りました。ところが私の優勝祝賀パーティーに主人公の 私が出席できず、盛り上がりの無い表彰式となったそうで、申し訳無い事と思うのです。お通夜から帰って「のら」に顔を出したのが9時半。「工具屋のおっさ ん」と「ハム屋のおっさん」がハイテンションで居ったのです。其の後「山椒大夫」と「なかむらくん」が来て、私の個人的優勝祝賀会もそれなりの盛り上がり を得たので有りました。
2002/12/12  超高級割烹「きらく」が「日本橋パソコン倶楽部」の忘年会会場なので す。「14名様までのご宴会承ります」と張り紙された座敷で「18名」での開催で有ります。事務局長の「御蔵跡の不動産屋」を初め「日本橋の不動産屋」、 「電気設計屋」、「難波の陳列屋」等々設立メンバーに新人で有ります「黒門の模型屋」等々多彩なおっさん等と若いのが2名集まったのです。一応私が会長と 言う事になっているのですが最近出席する事が少なく、恥じ入っている次第で有ります。まあ、こういう時ぐらいは参加しなければと、心に固く誓っているので す。そして今日は本年最後のゴルフ「第58回 日小会」で「春日台ゴルフ倶楽部」へ行くのです。5組20名が競うのです。表彰式は例によって安易な「大国 町 かごの屋」なのです。しかし、今夜は知り合いのお通夜で南河内郡美原町まで行かなければならねばならないのです。ですから、今日は司会を譲らなければ ならないのです。まあ、メンバーを見れば「工具屋のおっさん」か「しばしょう」かのどちらかが適任と思うのです。賂(まいない)の多いほうに譲ろうと思う のです。
2002/12/11  アーケード下の電光表示板に今週の土日はシャープの「AQUASグル メフェア」の表示をさすプログラミングをしていたのです。その間約30分。もうすぐ此れも業者の専門家にして貰うことになるのです。其処で其の制作費なの ですが、業者の曰く10万円掛かるのだそうです。打ち合わせをし、何度か擦れ合わせて試作品を作り、修正して最終製品を作る、其れをプログラムして公開す る、大層手間隙が掛かると言うのです。そうすると私はこの3ヶ月で100万円以上稼いだ事になるのです。クライアントとのやり取りはメールですれば良い し、初めに細かく仕様を出しておけばそんなに手間隙が掛かる訳では無いと思うのですが・・。夜には商店街の忘年会が有ったのです。サウスタワー10階のフランス料理 ラ トゥールでフルコースなのです。最近の忘年会と言えば、座敷で懐石か鍋、あと中華料理が定番だったのですが、まあ こんなのも偶には良いものです。帰りに「のら」へ行くと「山椒大夫」と「1号」が居たのです。何時になく11時前には帰っていたのです。まあ、これからの 忘年会本番シーズンを迎えて身体が其れに備えようとしているのかも知れません。
2002/12/10  と、言う事で昨日は「報恩講」が今里新地のど真ん中に位置する「光泉 寺」で有ったのです。前置きを省いたので、よう分からん人も居りまっしゃろけど・・。「報恩講」とは親鸞上人の恩に報ずる講と言う意味なのです。父に始め て連れて行って貰ったのは中学生の頃だったのです。ですから、彼此(かれこれ)40年になるのです。途中、お寺の移転新築で3年お休みを戴いた以外、ず 〜っとお参りさせて頂いたのです。私が免許証を取ってからは父の送り迎えは私の仕事となったのです。父の話では戦前はお寺に泊り込み、朝に小豆粥を戴くの が楽しみだったとか。近年はお昼のお勤めと説教、夜は御伝鈔と説教と簡略になってきたのです。御伝鈔と言うのは親鸞上人の一代記を独特の節回しで語るので す。毎年、ご住職の同級生であらせられる生野の西徳寺さんに聞かせて頂き、案内文にもそう有ったのです。それが先月急逝され、急遽 ご住職の次男さんが勤 められたのです。中々のものでした。お説教はその昔は奈良のお寺さんがお勤めになられていたのですが、この方も亡くなられ、近年は門真の道徳寺さんが勤め られるのです。今回のお話は一言で言えば「信行一体」で有ります。信とは念仏・信心、行とは日々の生活、要するに念仏は日常の生活そのものなのですよ、と 言う意味なのです。
2002/12/09  「20会」の忘年会が昨夜開催されたのです。現在の登録メンバーは 28名、内男子15名、女子12名の出席、会場は日本橋4丁目東入るの「ポミエ」だったのです。午後7時開会、一時間ほどしたところで全員が揃い、会長の 「京都に嫁の居る電気屋」の挨拶に引き続き副会長の「工具屋のおっさん」が乾杯の音頭が発せられたのです。其の頃には大方が出来上がっていたのです。ビン ゴゲームで盛り上がり、スピーチ大会の頃には喋るのも聞くのも煩わしいくらい喉は嗄れ、耳はガンガンとなっていたのです。特に私の場合ビンゴゲームの司会 をしたこと、隣に太郎が居ったことで症状は大変重かったのです。結局、お開きになったのは10時半を回っていたのです。まあ、それぞれが別れ別れに2次会 へと繰り出したのです。我々は大きな塊8名で近所のショットバーへ行くべしだったのですが、先発隊の「今日は休みやあ・・」の電話で急遽会場を「漁民」に 変更したのです。シンデレラを20分ほど回ったところでさよならとお休みを言ったので有ります。
2002/12/08  昨夜は「防犯パトロール」が有ったのです。第4班の班長を仰せつかっ た私に難しい判断を求められる事態が発生したのです。と、大層な書き出しでは有りますが、雨が降って来たのです。まあ、朝から雨模様でお昼間の降水確率は 50%、パトロール参加者予定者から電話が入りだしたのです。今日のパトロールが実施されるのかどうか?の問い合わせなのです。実施要綱には「雨天中止」 の一項が入っているのです。パトロールは午後8時から、午後5時時点での天候で判断するのが通例になっているのです。最終的に午後6時から12時までの降 水確率が60%で有る事と判断時点で既に降っている事実とを勘案し、中止を指示したのです。事務局が各社に中止を通知し、事務所にも「本日中止」の張り紙 をしたのです。そういう事で、私の夜の時間がポッカリと空いてしまったのです。でも心配はいらないのです。2重3重の準備がされているのです。其の一が 「日本橋麻雀倶楽部」なのです。此れに出席し、最後の追い上げも虚しく、見事最下位をゲットしたので有ります。
2002/12/07  別にネタに困った訳や無いんですけんど、この話を是非・・。鶴の恩返 し、言う話有りまんねんけど、地方によって良く似た話が有まんねん。道端に若い女の人が倒れてはりましてん。其処へ通り合わせた和助はんが家まで連れて 帰って介抱しはりましてん。ほて、何日かして女の人は元気になりはりましてん。ほたら「何か恩返しさせて貰おうと思いますねんけど、奥の部屋、12畳と8 畳と6畳の間、3日の間 貸して貰えまへんやろか?」ほたら、和助はんは「そんな、恩返しなんか宜しおまんがな。そやけど、まあ 好きに使うてくれはった らええでんがな。」「どうも、ありがとうございます。そやけど、3日の間 絶対に襖を開けたらあきまへんで・・。」「ああ、分かりました。絶対に開けまへ んがな。」襖の向こうでは、ガチャガチャ、ドタバタ、音が聞こえてましてんけど、和助はんは約束を守ってましてん。そやけど、3日目に、どうしても我慢出 来へんようになって、襖を開けてしまいましてん。ほたら、何と!家財道具一切が無くなってましてん。和助はん「わ〜っ!鶴違うて、こりゃ鷺(さぎ)や 〜!」て言いましてん。其の女、外の奴と「つる」んでましてんがな・・。 
2002/12/06  「奈良若草カントリー倶楽部」で開催されて「第170回 草踏会」の結 果なんですが、優勝は「かげちゃん」と言う「はげちゃん」でした。45/48、HDCP 21、NET 72 という立派なスコアだったのです。準優勝が 38/46、HDCP 8 で「工具屋のおっさん」。そして第3位が私で47/52、HDCP 22 で有りました。「大和高原」を除けば9月4日以来の 90台でのプレーで、連続晴天記録も25に延ばしたのです。表彰式は大国町の「かごの屋」 で蟹鋤の蟹尽くし、今年になってからは大阪に帰ってからの会食がすっかり定着したのです。今年の打ち染めで有ります来週の「日小会」もこの「かごの屋」で 表彰式をするのです。
2002/12/05  3週間ほど前に踵(かかと)が罅割(ひびわ)れたのです。中から血が 滲むほどで、暫く踵のケアを怠っていた咎なのです。それから毎日、お風呂に入ると軽石で擦(こす)り、出てから尿素入りクリームやらベルツ水なりを塗るの です。新兵器を手に入れお風呂に入らなくても鑢(やすり)みたいな物で擦れるようになったのです。新聞紙を広げ、其の上で擦ると白い削り滓が出るのです。 メリケン粉に似ているのですが、何の役にも立たないのです。寝るときにサランラップを巻き靴下を履いて寝たりもしたのです。有るレベルまでは回復したので すが、柔肌と呼ぶには今一歩なのです。其処で踵にサロンパスを張る事にしたのです。家に無かったので近所の「天満薬局」へ買いに行ったのです。生憎、私の 希望する物が無かったのです。ところが、薬局のおばさんが良く似た試供品を20枚ほど只でくれたのです。有り難い事で有ります。其れを踵に貼るのです。ま あ、それやこれやでかなりのレベルまで回復したのです。今日は「草踏会」で「奈良若草」なのです。それはそうと、「1号」が今日「胃カメラ」を飲むので す、飲むと言っても紐付きなのです。また、噛み砕いてはいけないのです。局所麻酔をしてくれるそうなのですが、大変なのです。本人が怯えているので「何も 心配いらない」と励ましたのですが、励まし方が悪かったのか彼女は今、大変ブルーなのです。心配しなくても大丈夫だからネ!
2002/12/04  昨日は朝から「インターネット委員会」が有ったのです。新しく「加盟 店サーチエンジン」を設けようという話なのです。すなわち、会員店のホームページ内からお客様が望まれるメーカー、ジャンル、サービス、個別商品名等々を お客様が自由に検索出来るようにしよう、という仕掛けなのです。例えば、「MZ-E10」とタイプすればこの商品をホームページ内に持っている全ての会員 店名と其処のURLが列挙されるのです。また、委員を大幅に若返りし新鮮な感性を取り入れよう、そうも決めたのです。午後には日本経済新聞社発行の「地域 情報」という雑誌の「まちづくり」についての取材を受けたのです。この雑誌は月2回刊行の専門家向け雑誌で年間購読料が11万円という、私などは多分、恐 らく、ほとんど買わない雑誌なのです。夜にはでんでんタウン恒例の「防犯パトロール」の出初式に出、夜回りしたのです。勿論、その後、懇ろに自主的広域パ トロールをしたのは言うまでも無いので有ります。
2002/12/03  昨日は「山椒大夫」に拉致されて「大和高原カントリークラブ」へ連れ て行かれたのです。「近所の家具屋のおっさん」、「せっちゃん」の併せて3名が拉致されたのです。また、好天に恵まれたのです。6月20日に雨に降られた のを最後に、今回まで連続24回晴天なのです。日頃の品行の良さに天が微笑まれたとしか考えられないのです。結果は朝最終ショートで7つ叩き、昼から2 ホール目ロングで9を叩いても、47/43だったのです。「近所の家具屋のおっさん」こと「へのもと」は、43/40、「山椒大夫」は、46/43と私よ り1打良く臍を噛んだのです。でも、握りは横、1アップで私の勝ちだったのです。まあ、このコースは他所のゴルフ場に比べれば20打は縮まるのです。嘘や とお思いなら一度行って来て下さい。でも、一つご注意申し上げますが、このゴルフ場でプレイした後、他所のゴルフ場へ行くと「あっ!なんて狭いゴルフ場な のだろう!こんなところではしたくない、フェヤーウエーに落とせる筈が無い!」と思ってしまうのです。これを「大和高原後遺症症候群」と呼ぶので有りま す。
2002/12/02  「記念式典」には夜の部も有ったのです。「道頓堀ホテル」で午後5時 半開宴。「祝賀会」と銘打った宴会には、150名のおっさん、おばはんが集まったのです。これにも挨拶の会が有るのですが、「実行委員長」の挨拶の後、司 会者が「1分以内でお願いします」との言葉を言い、まあ其の通りになったのです。学校長が挨拶し、いよいよお待ち兼ねの「乾杯」となるのですが、チョッと 間が有ったのです。で、つい飲んでしまったのです。「乾杯の音頭の前に飲むのは失礼や」とか言いながら「工具屋のおっさん」も飲んだのです。連鎖するもの で、隣の「下駄屋の長老」も飲んでしまったのです。まあ、今日は空気が乾いているから蒸発が激しい、とか言っていたのです。ところが、其の「下駄屋の長 老」が乾杯の音頭をとられたので有ります。私は16のテーブルを回って、皆様をご紹介し、お言葉を戴くと言うお役目を頂戴したのです。しかも、与えられた 時間は45分、お言葉をお願いすると長い方も居られるのです。ザワザワしている酒席、注目もして頂かなければならないし、盛り上がりもなければいけない し、突然歌を歌う人も居るし、中々難しかったのですが、其処は技の見せ所、時間通りにしかもそれなりの盛り上がりも有り、まあ自画自賛で有ります。お開き の言葉は実行副委員長の「ハム屋のおっさん」で、目出度く閉会となったのです。二次会に行き、「のら」にチョッと寄って帰ったのはシンデレラが帰った少し 後で有りました。
2002/12/01  昨日は「日本橋小学校創立130周年記念式典」という長いタイトルの 行事が午前9時半から執り行われたので有ります。校長の挨拶に始まり、実行委員長の「工具屋の鉄人28号」が挨拶をし、ご来賓の挨拶が続く、まあ要するに 「挨拶の会」なのです。最後に子供たちのお喋りが有り、記念のレリーフの除幕式が有ったのですが、これがハプニング続きで面白かったのです。子供たちが所 々台詞を間違えるののも微笑ましいし、除幕式で子供たちが紐を引っ張ったところ、紐だけが抜け、幕が其のまま、なんてのも良かったのです。我が母校「大阪 市立日本橋小学校」は明治5年、大阪市南区第二大区十三番小学校として現在の高島屋東別館の位置に開設されたのです。明治8年の児童数は360名。明治 12年、公立日本橋小学校と改称。大正4年の児童数は1358名。大正8年、堺筋の一本東の現在地に校舎を移転増築。父の話では、ジャッキで建物を持ち上 げ、コロを敷き、綱で引っ張って移転したとの事です。昭和10年の児童数はピークの1382名。昭和30年、児童数789名。丁度その頃、私が通っていた のです。昭和32年付属幼稚園開設。昭和47年に創立100周年記念式典挙行。昭和60年、児童数171名。私の約2名の子供達が在籍した時期です。平成 3年、新校園舎落成。平成14年の児童数は僅か74名となったのです。しかも、一年生は8名なのです。