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作者のプロフィール

登場人物の紹介

 
2003/01/31  始めての事は中々順調には行かないものです。朝、6時半に目覚ましをセット、8時5分発のバスに乗るため、7時27分の急行で河内長野へ行く予定だったのです。10分ほど遅れてしまったのです。まあ、富田林から8時23分のバスが有るので、これに乗る積もりで南海難波駅へ向かったのです。南海高野線には「富田林」と言う駅は無いのです。近鉄南大阪線に乗らなければならないのです。一瞬の迷いの後、地下鉄難波駅へと向い天王寺へ、そして近鉄に乗ったのです。先発の準急を選んだのが間違い、富田林へ着いたのはバスが煙を残して去った後だったのです。そのまま目的地を河内長野へ変えたのです。9時5分のバスに乗り、金剛登山口で降車したのです。アイゼンは持っていたのですが無しで済ますことが出来たのです。中間に有る茶店におでんが有り、其処で一服、いもと厚揚げ、実の嫁は竹輪と大根を食ったのです。山頂の気温は氷点下8度、まあ帰りには同7度まで上昇していたのですが、凄まじい寒さなのです。熱いお茶を飲み、チョッと置いて置くと凍り付いてしまうのです。カップヌードルにおにぎり、熱燗を一杯、そして帰路についたのです。バスを待つ間に茶店で、またおでんにビール、車で行っていた時には考えられない幸せだったのです。
2003/01/30  昨夜は「日窓会」、南の魚料理屋「銀平」で開催されてのです。先ず、薩摩揚げ、大根の田楽、お造りが豪華で、次に魚の煮物、そしててっちり、てっさ、白子の天麩羅、最後に鯛めし、香の物、味噌汁だったのです。帰りはどっかへ行く連中が多数派だったのですが、私は品行方正に「のら」だったのです。其れも10時半頃には帰途に着いたのです。お風呂に実の嫁と入って、上がってチュウハイを飲みながら惰眠を貪ぼったのです。そして今日は雪と樹氷の金剛山。車がやばいと言うので電車で行くのです。トレッキングシューズにアイゼン、冬山装束で登るのです。熱湯をポットに入れ、山頂で「カップヌードル」と「きつねどんべえ」を食うのです。おにぎりは「ほっかいろ」で暖めて置くのです。「燗番娘」を持って行くのです。これが、本当に美味しいのです。どうですか?皆様も冬の金剛山へご一緒しませんか?何時までも生き存える訳や無し・・。
2003/01/29  「ニコニコ会」の総会は午後6時半開会、5分間待ったのですが2名の方が来られてなかったのです。それでも、会計報告をし、今日の議題「秋に何処へ行く」を宴会中に考えて欲しいとのコメントの後、長老の一人に乾杯の音頭をお願いし、開されたのです。一人はお電話すると、「あっ!今日やったんか?忘れてた・・、すぐ行きまっさ.。」と言われ、20分後に来られたのです。もう一人は連絡がつかなかったのですが、15分後に来られたのです。大分県の湯布院が一番多い意見だったのです。次が立山、アルペンルートがええと言う意見。其れに韓国、香港、グアム等々。一泊二日、二泊三日、果てはず〜っと、と言うのまで・・。これらをどう集約するのか、まあ幹事にはお馴染みの「家具屋のおっさん」とか「白塗り」が居るので纏(まと)まるものでも纏まらないかも知れないのです。
2003/01/28  桃太郎の話は知ってはると思いますねんけど、ほんまは、あれちゃいまんねん。実は・・、お婆さんが川へ洗濯に行くとこまでは其の通りでんねん。ほたら、川上から大きな芋がドンブラコドンブラコと流れて来ましてん。お婆さんは芋を家に持って帰って、蒸して食べましてん。ほて、おならをブッ!ブブブッブー、ブッ!。と、こきはりましてん。ほたら、お爺さんは山で柴刈らんと、草(臭)かった。そんな話でおまんねんがな。今日も忙しいんですわ。朝、10時40分に「3丁目のオーディオ屋」が迎えに来まんねん。ほて、一緒にどっかのホテルへ行きまんねん。いや、別に何する言う訳やおまへんねん。でんでんタウンの仕事でゴミ代の値切り交渉に付き合いまんねんがな。ほて、夜はうちらへんの町内会で「ニコニコ会」言うのがおまして、其の総会が有まんねん。わて、幹事でんねん。会員数20名、出席予定者17名でおます。「南海サウスタワー」で懐石でんねん。秋に皆で旅行 行きまんねんけど、其の打ち合わせがメインテーマでんねん。ほたら、また・・。
2003/01/27  去年のこの「雑記帳」の休みは僅か14日だったのです。其れも此れも、お休みすると脅して書かそうと云う奴が何人か居るのです。脅迫のメールが来るのです。そんな訳で7月4日にお休みして以来、今日まで207日間、「雑記帳」は皆勤なのです。勿論、その間に出張とか色々書けない理由は有ったのですが・・。そんな訳で今日も書いているのです。「ちあきなおみ」の歌で「喝采」と言う歌が有るのですが、その歌詞に「・・・今日も恋の歌、唄ってる〜」と云うのが有りますが、苦しみを乗り越え、悲しみを乗り越え、愛に破れた切ない時も「雑記帳」を書き続ける日々なのです。こんな男に誰がした!
2003/01/26  茨木の病院へ行くのに、土日だったら梅新東まで13分、新御堂で萱野まで13分、171号線経由で室山1丁目の病院までがこれまた13分なのです。先週の水曜日、午後4時半に先生と待ち合わせをして、家を出たのが3時17分。梅新東まで40分も掛かってしまったのです。まあ、後が空いていたので約束の時間には間にあったのです。昨日は予定通りの39分で到着したのです。帰りも萱野までは予定の13分だったのですが、チョッと中央環状の高架下が気になって時速を67Km/hまで落としたのです。案の定「ネズミ捕り」をしていたのです。バラバラッと警官が私の前に出てきたので、おいおい7Km/hオーバーで捕まえる気か・・?、と思ったのです。まあ、計器の誤差を考慮すると実質5Km/hオーバーに過ぎないのです。杞憂で私の直ぐ後ろの車がお捕まりになられたのです。そんなんで梅新東まで17分掛かってしまったのです。其処から家までは13分、予定を4分オーバーしての帰着で有りました。目出度し、目出度し。
2003/01/25  別に優勝したから引っ張る訳や無いのですが、一昨日は午前中 チラッと雨が降ったので、まあ降水確率も70%だった事も有り、3ホール目で合羽を着たのです。それで、「あっ!」と思わず声を出してしまったのです。何かと言えば、半袖だったのです。そうなんです、去年の夏からず〜と私のゴルフは晴れだったのです。平成14年6月20日の「島ヶ原カントリークラブ(東コース)」での「20会」に雨に降られて以来、今回まで 何と!連続27回晴れだったのです。因みに、其の雨の日の優勝者は「京都に嫁の居る電気屋」だったのです。慌てて、パーツの袖を探しボタンで長袖にしたのです。そうなんです、私の合羽は半袖から長袖に変身する事が出来るのです。しかし、其の合羽も一ホール御用になっただけなのです。
2003/01/24  ど素人ばかりの、僅か9組のコンペとは言え、私が優勝したのです。46/49、HDCP 27、NET 68。46/50、HDCP 27、NET 69 の「無線屋のおっさん」に1ストロークの差をつけての事だったのです。彼は二年に一度の「グランドマンスリー」を制したのです。誠に残念ながら私には「グラマン」の資格が無かったのです。三位は「元電気屋のおっさん」が1オーバーで続いたのです。「べべ」は72/75の「2号」、ブービーは「コンビのおっさん」が69/70で「ブービー前」は67/74 の「1号」が続いたのです。「四丁目のオーディオ屋」は腰痛で欠席、「山椒大夫」は49/52 で14位と中途半端な成績だったのです。朝は小雨で傘だけで十分で、其れも直ぐ上がり気象庁の出す「降水確率」を裏切ったのです。多分、これも私の優勝を予想し、天が前祝をしてくれたものと信ずるのです。此れで昨年暮れより、90、99、99、101、95 と運気が上向きとなっているのです。今年の活躍が楽しみなのです。
2003/01/23  昨日は店の新年会。「民族村」と言う焼肉屋でしたのです。昔はてっちりだったのですが、年齢層が変わってしまったのです。最長老が私、平均年齢は30歳なのです。必然的に食の好みは違うのです。今日は「第169回 新木会」で「西脇カントリークラブ」へ行くのです。ですから昨夜は11時半頃には帰って来たのです。今朝5時に起き、今 5時半。目覚ましは丁度5時にセットしてあったのです。鳴ってから僅か0.5秒で止めたのです。4分間だけ寝床でまどろんだのです。また寝てしまうのではと言う恐怖と、まどろみの気持ち良さとの鬩(せめ)ぎ相を微妙に楽しんだのです。雨が降っているのにはがっかりしたのです。午前6時から12時の降水確率が70%、12時から午後6時までのそれが50%と希望の無い数字が出ているのです。でも、めげずに行って来ます。いや、優勝してきまっす!
2003/01/22  通夜が有ったのです。ソフトボールで一緒だったのです。10年も経つのです。朝、5時に起き6時からの試合に備えるのです。多いときには週に5度も、そうしたのです。聞くところに依ると、18日(土)に飲み会が有ったそうです。19日の午前1時ごろに別れて、一人でもう一軒飲みに行くと言ったそうなのです。午前5時前に通行人が通報した時には既に息は無かったそうで有ります。私が始めてこの事を知ったのは、名古屋へ行く途中だったのです。昨日の朝、弔問に訪れたのですが、奥様に掛ける言葉も無く、しどろもどろで有りました。試合に勝ったと言っては飲み、負けたと言っては残念会をしたのです。一緒に飲んで愉快な奴だったのに・・、勝手に一人逝くなと言いたいのです。でも、もう直ぐ自分も行く道、出会いが有れば別れも必然、今日 11時に葬儀。享年49歳、心よりご冥福を祈りたいので有ります。南無阿弥陀仏。
2003/01/21  名古屋へは近鉄ノンストップ特急で行ったのです。丁度二時間。近鉄名古屋駅は地下駅なのです。大手電気屋の展開するパソコンショップを見たところで、まあ摂り合えず飯にしょうと言う事になった。鰻屋に入り「おひつまぶし」と「肝吸」を頂いたのです。お茶碗に二杯食べたところで三杯目は鰻茶にするのです。葱、山葵を乗せた所へ出汁を注ぐのです。結構なお味なのです。ビールと酒を二本。我々五人にとってはお口汚し程度なのです。もう一人は「角の電気屋」なのです。腹ごしらえが出来たところで本格的に各地の商店街、店舗を見て回ったのです。現地の人にも色々説明して貰ったのです。駅前の松阪屋が隣の高島屋に押されている、とか、本店は閑散としている様でやっぱり売り上げが一番とか・・。二棟に分かれた本店の横には三越が有り、今、増床工事の真っ最中なのです。最後に大須に行ったのですが、このエリアの広い事、まあ集積度は日本橋程では無いのですが、雑多な商店が入り乱れて居るのです。そして此処には「アメ横村」と言うビルが二つ有るのです。大小の商店が入っている小売商業ビルなのです。電気パーツの専門店を初め電気屋が主体となっているのです。日本橋にもこう言う所が欲しいものだと思ったのです。足を棒にしたところで「大須観音」にお参りしたのです。御縁起には、この辺りは観音様の門前町として栄え、この様に大きくなったのだと・・。煎餅屋とウイロ屋で土産を買って帰途についたのです。
2003/01/20  昨日は棚卸をしたのです。棚卸と言っても、棚を卸売りしたのでは無く、在庫を実地に調べたのです。店を6時半に閉め、8時までに全て終わったのです。予め、店頭在庫は店の開いている内に調べて有るのです。本来、決算が12月末なので、大晦日に在庫調べをすれば良いのですが、他にする事が有って、毎年 この時期になるのです。でも、今年は大晦日を4時ごろ閉め、棚卸をしようと思うのです。1月19日に棚卸をして、仕入れと売り上げを相殺して、12月末時点の在庫を推定する作業が要らなくなるので、今年は是非そうしょうと思うのです。昔は大晦日も販売で大忙しだったのです。でも、近年は百貨店だって年中無休、コンビには365日、24時間営業なのです。物を年内に買うという週間は無くなって来たのです。ですから、おせち料理なんかも必要無くなって来たのです。実の嫁も毎年「今年はおせち作らんとこう・・」と、言いながらこの暮れも作ったのです。まあ、量はうんと少なくなったのですが・・。そんな訳で、流通業は劇的に変わろうとしているのです。其処で、今日はこれから名古屋へ行くのです。別に名古屋帯を買いに行く訳では無く、名古屋の小売業が元気だと言う話を聞きつけ、其れを見に行くのです。「理事長」と「5丁目の部品屋」、「5丁目のソフト屋」等々と一緒に行くのです。どんな結果になるのか、請うご期待で有ります。
2003/01/19  「あっ!つもった・・」と言ったのは初心者の「素手で杵を折ったおっさんの実の嫁」だったのです。同じ卓を囲んでいたのです。彼女は私の下家。「中」をつもったのです。彼女は「しろ、あお、あか でんでん」と言ったのです。我々から見ると「大三元」、親の役満なのです。16,000点づつを我々は払ったのです。彼女の高笑いが今も耳に残るのです。私の対面が「工具屋のおっさん」、上家が「白塗」。持ち点は順に19,000、17,000そして私が19,000、彼らは直ぐ借金生活に入ったのです。その後、二人は熾烈な最下位争いを演じたのです。そして、トップは14万点代の争いになったのですが、僅差(800点)で「四丁目のオーディオ屋」が優勝し、彼女は惜しくも二位に泣いたのです。べべは「白塗」。「日本橋麻雀倶楽部」参加11名での結果で有りました。
2003/01/18  毎日毎日、会議とか何とかが有るもので、昨日も午後4時からインターネット委員会が開かれたのです。7時を過ぎても議論は白熱していたのです。結構エネルギーを使うもので、食事には気を使っているのです。昨日の朝は、メザシ、辛子明太子、野菜具沢山味噌汁、味付け海苔、茄子の深漬、べったら漬、デザートは林檎。お昼は嫁が母を連れて病院へ行ったので「日本橋のフセイン」が開いている「ポミエ」と言う喫茶・お食事処で摂ったのです。「鍋焼きうどん定食・揚げ・御飯半分」がメニューなのです。此処の「鍋焼きうどん定食」には中に入れる具を「餅」と「揚げ」のどちらかを選べるのです。他に入っている具は、牛肉、鶏肉、とろろ昆布、蒲鉾、葱、卵、それに「餅」か「揚げ」なのです。「御飯半分」は文字通りで「ポミエ」の御飯は普通の処の倍以上なのです。まあ、若い人には其れで良いし、中には大盛りを注文する猛者も居るのですが、私の様な枯れた人間には多すぎるのです。「餅」を選択するのも私の胃袋には負担が大きく「揚げ」なのです。でも、決して私が小食と言う訳では無く、まあ一度「ポミエ」で食事をされるとわかると思うのですが・・。
2003/01/17  昨日の某メーカーの新年会に「吉永小百合」が東京から来たのです。私より2歳年上の昭和19年の1月生まれなのです。何故、こんな事を知っているかと言えば「工具屋のおっさん」が根っからの「さゆりすと」で、彼から聞いたのです。まあ、記念に写真を撮って貰ったのですが、其の話を聞くと「工具屋のおっさん」は余りの羨ましさに絶句したのです。彼と「京都に嫁の居る電気屋」、「ふーちゃん」、「元べべのようこ」の四人で「ロータリーゴルフ倶楽部」へ行って来て、其の帰りに「のら」へ寄り、其処で話をしたのです。順に、87、106、114、94 だったそうです。私はお昼から酒を少々頂き、帰って昼寝を決め込んだのです。実の嫁は母、姉、友人と共に芝居見物だったのです。夕食は家で貰い物の蟹を、皆で焼いて食ったのです。其の後、チョッと「のら」に寄ったのです。平和な一日がこうして過ぎて行ったのです。
2003/01/16  其の政治絡みの講演会は一時間余りで終わったのです。でも、昨日から急に冷え込み、講演会場へ向かった時の自転車のハンドルを握る手は手袋をしていても悴(かじか)んだのです。終わってから久しぶりに「のら」へ顔を出したのです。其処には「嫁の実家が酒屋のおっさん」、「子供を食い物にするおっさん」、「先生」、「パパ」、「かっちゃん」等々が居たのです。其処へ「てっちゃん」、「くっさん」が来て、「四丁目のオーディオ屋」、「山椒大夫」、「一号」と続々と酒飲みが集まって来たのです。「のら」は何時も繁盛なのです。
2003/01/15  毎日毎日、会議会合の類は続くもので、昨日は午後二時から「ビジョン策定委員会」が有ったのです。今、一番大事だと思っている会議の一つなのです。日本橋・でんでんタウンの将来はどう有るべきか、何が出来るのか、何をしなければならないのか、これを命題にする委員会なのです。昨日決まった事は、即急に「日本橋まちづくり株式会社」を設立し全てのまちづくりの受け皿にする、そんな話なのです。取り合えずミニマムの資本金一千万円(100万円、10名の出資を仰ぐ)で3月までに設立するのです。事業内容に応じて順次増資して行く。出資者は日本橋筋商店街振興組合、でんでんタウン協栄会、夫々の会員有志、地元住民有志、自治体等を想定しています。早い段階で、市民懇談会、市民アンケート調査を実施する。2、3億円程度の物件を購入又は賃貸し常設イベントをする。併せて収益事業も営む。等々で有ります。勿論、各々の理事会に諮らなければならないのですが・・。5時からは天王寺のホテルで某メーカーの勉強会を兼ねた新年会が有ったのです。今晩も政治絡みの講演会が有るのです。そして、明日も商品内覧会、講演会、新年会と続くのです。当然、其の間に本職もこなさなければならないのです。一日48時間位欲しい今日この頃で有ります。
2003/01/14  まあ、どうでもええ話ですけど、夕べも某政治屋の新年会が有ったのです。一昨日より挨拶が25分短かったのです。此れが良かったのです。どっちにしても、乾杯の音頭の前に酒を飲むのは世の常、でも 乾杯の音頭も短かったのです。こういう積み重ねが票を出すのです。乾杯に使うビールも直前に出された物で、料理を持って来るタイミングも良かったのです。一昨日など、全ての料理が30分以内に出されたのです。1300名を1回で処理しようとしたのが間違いで、ホテルの給仕のキャパを越え、そんな結果となったのです。昨日は昼、夜の二部に別け、一回が500名程度、十分にホテルが対応出来たのです。効率を追った為に結果的に非効率で有る、そんな事はサービス業の常なのです。政治屋もサービス業、その辺を考えなければならないのです。我々小売業も接客業、勉強になった二日間でした。
2003/01/13  昨日も朝から大忙しだったのです。トイレで着メロが鳴ったのです。もう、気張り終えた後、今正にウォッシュレットの温水のスイッチを押そうと言う手を止めてメールを読んだのです。すると、其の前にもメールが入っていたのです。スイッチを入れ、尻に温水を感じながら返信メールを打っていたのです。もう少し、といったところで温水が冷水に変わって来たのです。まあ、温水タンクの容量が決まっているので当然の事では有りますが・・。結局、最後は完全な冷水、すっかり尻は冷えてしまったのです。ウォッシュレットをしながらメールを打つと尻が冷える、新しい教訓を覚えたので有ります。其の後、茨木の病院へ行き、帰って来て、お葬式に行き、でんでんタウンからの書類を近所に配り、某政治家の新年会に「リーガ・ロイヤルホテル」まで行き、受付のお手伝いを「事務局のおっさん」等とし、長々とした挨拶が終わったところで会場に入り、食うだけ食って帰路についたのです。一緒に居った連中が悪かったのです。「工具屋のおっさん」、「下駄屋のおっさん」、「四丁目のオーディオ屋」。地下鉄に乗ったのですが降りた駅は心斎橋。高級ショットバー「さかぐち」でチョッと飲んで、「工具屋のおっさん」がカレーうどんを食うのに付き合い、何とか家までたどり着いたのは午前零時を回ってしまっていたのでした。
2003/01/12  昨夜はシングル・アゲイン、実の嫁が居らなかったのです。何でも、同級生と一緒にえべっさんに行くとか、夜遅くまで盛り上がったようなのです。私が高級割烹「のら」から帰って来た時は、まだ外出中。ご帰宅は11時20分、まあ可哀想なのは女子中、高、大だったのです。おばはん三人で行って来たとか。残り恵比寿には「工具屋のおっさん」、「素手で杵を折ったおっさん」等が笹を売っていたのです。飯は新しく出来た「お座敷 勇吉」で「てっちり」とか・・。私は「のら」で「おでん定食もどき」だったのです。急にお通夜が入り、喪服のまま「のら」へ出席して来たのです。「のら」には「ダーリン」、「さぶろう」、「白塗り」が居ったのです。お通夜の仏様は近所のカメラ屋のおばあさん。子供の頃から親しくさせて頂いたのです。心よりご冥福をお祈りしたいと存じます。南無阿弥陀仏。
2003/01/11  先日来の寒さも峠を越し、穏やかな日が続いているのです。我が家も、まあまあ穏やかな日が続いているのですが・・。実の嫁はんとお喋りしている時に鼠がチョロチョロと目の前を走ったのです。嫁が「あっ!大きな鼠や!」と言うので私が「いや、小さかったぜ」と言ってやったのです。彼女は「絶対に大きかった」と主張するのです。私も「そんな事は無い、小さかった、間違いない」と頑張るのですが、彼女も負けておらず、言い争いになったのです。其処へ件(くだん)の鼠が出てきて「チュウ」。
2003/01/10  えべっさんの笹売りなんですけど、集合は午前8時半。店を開けたのは9時。売る準備が結構掛かるのです。先ず、縁起物、其れを置く台、つり銭、法被、座布団、火鉢に入れる炭、それに肝心の笹。笹売りと言っても、この笹は只、無償で配るのです。其れに付ける縁起物が1,500円から2,500円なのです。先ず、吉兆、お札、三種札、絵馬、福袋、掻き入れ、熊手、打ち出の小槌、宝船、福俵、金俵・・、全部つけると2万円近くになるのです。まあ、原価は高く見積もっても100円止まり、商売繁盛なのはえべっさんなのです。売る我々はボランティア、昼飯、晩飯と幾許かの謝礼が出るだけなのです。今回の当番は宵宮の午前9時から午後4時半まで、一番お参りの少ない時間帯なのです。隣のブースは若い女の子の売り手が20人。こちらは80歳を筆頭に平均年齢70歳のお年寄り。勝負になる訳も無く、結局36万円ほどの売り上げだったのです。其れも、私の売った大口、絵馬を116個、締めて174,000円を入れての話なのです。私が売ったと言っても、向こうから寄って来ただけなのですが・・。今回、お昼まででは有りますが「山椒大夫」と「一号」が助っ人に来てくれて、士気が上がってこれなのです。まあ、二人とも風邪ひきで覇気は無かったのですが・・。
2003/01/09  昨日も忙しい一日だったのです。いえ、店は暇だったのですが・・。朝、10時50分から政治絡みの会合が有り、其の後反省会をしたのです(反省会と言うのは、一緒に昼飯を食う事なのです)。帰ってから隣組組織で有ります「ニコニコ会」の総会の案内状を作り、会員19軒に配ったのです。2時からは先日お借りした持ちつき道具一式を小学校に返しに行ったのです。3時からは「でんでんタウン」及び「商店街」の組織がらみの会合が有ったのです。5時からはまた政治絡みの会合が有ったのです。まあ、一口に言えば簡単な様ですが、夫々に大変な労力が必要なのです。勿論、昼飯を会合絡みで外食したとしても、実の嫁が七草粥を用意したと言えば、これもまた食するのです。そして、昨夜は家でおでん定食を嫁と二人で食べたのです。一昨日から解凍して有ったと言うマグロの刺身も一緒に食ったのです。其の前に、店で店長と、お客さんから貰った韓国海苔を肴に、貰い物の酒を飲んだ後でも、嫁と一緒に(嫁は飲まないのですが・・)私がビールを飲まなければならないのです。風呂から上がれば、チュウハイを飲んだりもしなければならないのです。今日はまた、これからボランティアで「えべっさん」の笹売りをしに行くのです。
2003/01/08  昨日の「難波会」の結果なんですが、48/53、HDCP 3、NET 98、第3位 だったのです。優勝は同率で「漫画屋」(52/46,HDCP 2、NET 96)と「難波の不動産屋」(51/54、HDCP 0、NET 105)、「難波の電気屋」は最下位(58/64、HDCP 8、NET 114)だったのです。優勝祝賀会は「道頓堀 勇吉」で平日1,500円のてっちり、火曜日は2割引で挙行されたのです。この正月、寒波に見舞われた日本列島に於いて、昨日は抜群に穏やかで暖かい日で、我々の日頃の行いの良さを改めて認識した次第で有ります。何で?優勝者が二人やねん!とか、何で?NET 96、と NET 105、が同率優勝やねん?とかの疑問が湧き出てくるのは無理からぬ事ですが・・。実は「難波会」の優勝とは、其の日 一番の稼ぎ手がゲットするものなのです。ところが、優勝者は祝賀会の費用を持たなければならないのです。其処で、負けもせず勝ちもせず、このポジションが4人の狙い目なのです。詳しい仕組みの説明は後日に譲るとして、今回 私はプラスマイナスゼロという最高のポジションを得た事のみをご報告したいと存じます。
2003/01/07  昨夜は「なべちゃん」の会社の新年会。招待されて南森町まで行って来たのです。厳しいi年やけど頑張れ!と言う、社長の分かり易い訓話が有ったのです。歌を一曲だけ歌って「のら」へ行ったのです。超満員で有りました。この日が「のら」の初商い、「工具屋のおっさん」初め、ほとんどの常連が顔を揃えたのです。日本橋からも「京都に嫁の居る電気屋」、「四丁目のオーディオ屋」、「白塗り」等々、10席の店に15人ほどが犇(ひしめ)き有っていたのです。今年も「のら」は安泰で有ります。今日は「難波会」で「山の原」へ行くのです。それでは嫁が味噌汁を温めたところで筆を置きます。
2003/01/06  夕べは蟹すき。実の嫁と二人っきりで食べたのです。勿論、家で・・。昨日の朝、弟の病院へ行ったのです。「お前、そろそろ退院したいんとちゃうか?」と聞けば「うん、家へ帰りたい気も有るけど、ここも結構ええ」そう言うのです。看護婦が可愛いのです。今は、看護士と言うらしいのです。まあ、もう暫く病院に居るらしいのです。昨日の午後3時過ぎ、一昨日から友達と天川村に行っていた次男が帰って来て、すぐに宇都宮へ帰ると言ったのです。嫁はいそいそと新大阪まで送って行ったのです。毎度の事で有ります。そんな訳で夕べは嫁と二人っきりだったのです。甥っ子に歳暮で貰った「横浜地ビール」と「薩摩焼酎 黒伊佐錦」の湯割りで蟹すきを食ったのです。葛きりと榎が美味しかったのです。京生麩に白葱、白菜に椎茸。冬は鍋に限るのです。一昨日は「ゴルフ場へ行って来た連中」と「のら」の奥の「でん」で飲んでいたのです。あいつ等はゴルフが出来なかったので、帰ってからボーリングへ行ったのです。15名中11名が・・。それから、表彰式とか言って「でん」へ来たのです。借りきりだったのです。「嫁の実家が酒屋のおっさん」を初め「くっさん」、「ターちゃん」、「白塗り」、「京都に嫁の居る電気屋」、「かいちゃん」、総勢18名のアホが集まったのです。そりゃあ、盛り上がったのです。止むを得ず私も同席したのです。
2003/01/05  昨日は「のらの会」の連中が「オークモントG.C.」へ行って来たのです。スタートのミーティングでは会長であらせられる「工具屋のおっさん」が滔々(とうとう)と会の趣旨、試合のルール、注意事項等々、微に入り細に入りお話をなされたのです。折からの寒さで皆凍えながらもご挨拶を聞いたのです。そして何と!この日が、「下駄屋のおっさん」のデビュー戦なのです。「素手で杵を折ったおっさん」を師匠と仰ぎ、苦節二ヶ月、師匠の玉が真っ直ぐ飛ぶのに感服、感嘆したのです。勿論、彼は真っ直ぐ以外が専門なのです。それでもやっとゴルフ場なる所へ連れて来て貰ったのです。6人乗りの車の運転手は彼なのですが、世間では連れて来て貰ったと言うのです。さあ、いよいよスタートなのです。がっ!突然、猛吹雪に見舞われたのです。1時間余り待って、途中晴れ間も覗いたのですが、結局クローズとなったのです。「下駄屋のおっさん」は2発ほど試しに打ったのですが、内一発はロストとなったのです。多分、ラウンド出来たとしても彼は昨日中には帰って来なかったのではないでしょうか?師匠の「素手・・」も「工具屋・・」も彼と一緒のラウンドを苦にして「風邪ひいて休もうかな・・」とか「熱出そうや・・」とか言っていたので胸を撫で下ろしたのです。彼ら15名は「オークモントG.C.」に行って来たのです。働き者の私は昨日は初店、一生懸命額に汗したので有ります。
2003/01/04  昨日は一歩も外へは出ませんでした。金剛登山言う選択肢も有りましてんけど、生憎の雨で・・。一昨日はえらい人出で昼飯食うのも儘ならず、其れに懲りて、昨日は映画も満員や思て。ほて、大きくなったテレビを一日中見てましてんがな。「お墓が無い」とか「松田聖子ライブ」とか「陰陽師」とか。まあ、そんな日が年に一度くらい有ってもええやんけと思いましてん、そやけど映画の粗筋言うてもつまらんし。其処で、真冬に暖かい夏のネタをチョッと・・。私が去年の夏、沖縄へ潜りに行った時の話でんねん。潜っとたら鮫が泳いで来たんですわ。ビックリして逃げよう思たんでっけど、これが大人しそうな鮫でしてん。ほて、近づいて背中を撫でてやりましたんや。ほたら、急に暴れだしたんですわ。慌てて聞きましてん。「何で、急に暴れはりまんねん?」ほしたら「いや〜、シャークに触ったんや!」と言いまんねんがな。そやから言ってやりましてん「ジョーズに触ったつもりやったのに・・」
2003/01/03  長男の名前が友治、次男が信治、父が正治郎、祖父が延次郎、曽祖父が澤治郎。弟が菊治、叔父が新治郎、彦治郎、幸治郎。兄が政次郎、正幸、正勝だったのです。代々「治」または「次」が付くのです。「治」が多数派なのです。父は40年間「痔」を持っていて60歳になった時に「痔」の手術をし、痛みが嘘の様に無くなり、「こんなんやったら、もっと前にしといたら良かった」と言ったのです。代々「痔」持ちだったのです。兄達は皆、3歳までに逝き、母方の祖母が「もう、「正」と言う字は付けさせへん」と言い、長生きした曽祖父の「澤治郎」の名を近代的に改めて「沢治」と命名したのです。戸籍には「澤田沢治」となっていて、現在では自分でもそう書いているのですが、子供の頃は「沢田沢治」と略していたのです。他の子は皆、かっこええ名前やのに、何で俺だけ「沢沢」やねん?と親を恨んだ事も有ったのです。命名の由来を聞き、納得したのは二十歳になった頃でした。そやけど、この日本橋に初めて居を構えたのは澤治郎の父の「和助」だったのです。江戸末期の事と聞いています。和助が長男を澤治郎とした由来は聞いてないのです。
2003/01/02  予定と言うモノはあくまで予定で、中々其の通りには運ばないのです。でも、昨日のお屠蘇が午前10時半になった程度では誤差の範囲と言うべきなんでしょう。勿論、出発も11時半になったのです。でも、お寺で大杯に金箔酒をたっぷり頂いたのは予定通りなのです。修行を積んだ僧が護摩を焚き一心不乱に経を読んでいるのです。健康と安全、繁栄を祈願してくれるのです。私の場合、神社・仏閣で手を合わせる時に何をお願いするかと言えば、今までの無事・幸福を感謝するのです。でも、偶には虫の好い事をお願いする事も有るのですが・・。道頓堀までは私が運転したのですが、普通に酒が入ったところで次男にハンドルを譲ったのです。我等が氏神様であらせられる大江神社では30分ほどの間に沢山の友人・知人に会ったのです。普段はお目に掛からない子供たちを連れておられるので、其の成長には目を見張るのです。上の子が沖縄に嫁に行ったとか長男が嫁を貰ったとかの話に花が咲くのです。寄る年波を感じるのです。老い先短い私としては、今年こそは好きな事をして過ごそうと心に誓うもので有ります。
2003/01/01  穏やかな元旦を迎えたのです。元旦とは元日の朝の事を言うのです。「旦」の字は水平線より太陽が昇る様を表しているのです。兎も角、皆様 明けましておめでとうございます。旧年中は色々お世話になりました。今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。因みに正月を百科事典で見ると色々書いて有るのです。本日の我が家のお屠蘇は午前10時、でも早起きで仕事好きの私は7時半には起きていたのです。今、丁度9時、実の嫁が起きてきたのです。次男は、お屠蘇の5分前に起こしてくれ、と言ったのです。昨夜は3人で除夜の鐘を突きに近所のお寺まで行ったのです。前回は寝てしまったので行けなかったです。お寺で甘酒とミカンを貰った其の足で、近くのファミレスへ行ったのです。嫁はカフェオレ、次男はケーキセット、私はサイコロステーキとワインを頼んだのです。まあ、サイコロの半分は次男に食われたのですが・・。帰ってきて、チュウハイを飲みつつ寝てしまったのです。次男は遅くまでインターネットで取り込んだ絵柄の年賀状を作っていたのです。今日は11時出発で、道頓堀の自安寺へお参りし、大江神社に詣でて、お昼は上六の都ホテルで一族10名ほどが集まって「大お食事会」なのです。母、妹、姉夫婦は「パラディウ夢」から一時帰国するのです。長男夫婦は嫁の実家から来るのです。平々凡々な一年で有る事を心から望むもので有ります。