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作者のプロフィール

登場人物の紹介

 
2003/10/31  目が覚めたのは午前6時半頃。ご来光を拝し、朝風呂を使わせて頂いたのです。朝食は我が家の晩餐より豪華、ビールが美味しかったのです。出発は9時。ホテル前の滝をバックに記念写真を撮ったのです。大勢の仲居さん達のお見送りを受け、我々12名を乗せた2階建てバスは出立したのです。取り敢えずおばさま達が大好きな土産物店へと向かったのです。次の目的地は航空自衛隊浜松基地に有る「エアーパーク」別名「航空自衛隊 浜松広報舘」なのです。入り口を入ると「F-1支援戦闘機」が機体の一部パネルを外して展示されているのです。バーチャル防空管制司令室、航空機模型、対空機関砲等の展示を見、迫力の大スクリーン「全天周シアター」で実際に乗っているような体験をしたのです。其の後「簡易シミュレーター」も体験したのです。広々とした別棟の「展示格納庫」には実物の航空機が18機も展示して有るのです。零戦が天井からワイヤーで吊られているのです。ブルーインパルスの実機の操縦席に座らさせて貰い写真を撮って貰ったのです。残念だったのは本物の動揺型フライトシミュレーターに時間の都合で乗られなかったのです。しかも、「次の方はシミュレーターへの乗車は出来ません。1.酒に酔った方。2.妊婦。3.身長が120センチに満たない方。・・・」の条項に一部抵触したかも知れないのです。屋外にはナイキやその他のミサイル、それに大型ヘリコプター等の展示も有るのです。しかも直ぐ横が滑走路。ジェット戦闘機が轟音を響かせて離着陸を繰り返し迫力満点、雰囲気は最高なのです。昼食は奥浜名湖の「きじ亭」で「きじ会席」を食したのです。鍋、お造り、焼き物、寿司、サラダ、釜飯等、これらが全てキジなのです。特に美味しかったのがビールで有りました。十分に積み込んだ筈の飲み物類が其処をついたのです。酒販売のコンビニにバスを横付け、到着まで持つ量を補充したのです。此で安心してまた飲めるのです。最後のトイレ休憩は関インターなのです。おばさま方は名残惜しそうに最後のお土産の物色に精を出したのは言うまでも無いので有ります。家にたどり着いたのは7時過ぎ、服を脱ぎ、ホット一息ついたところへ電話が有ったのです。「へのもと」と「白塗り」なのです。先ほど別れたばかりで有ります。用件は「のら」へ行こう、と言うもので、嫌々服を着直したのです。長い一日で有りました。
2003/10/30  ドタキャンが一人出て2階建て57人乗り大型サロンバスに乗り込んだのは12名。予定通りバスは9時に出発したのです。阪神高速道路松原線は我々の旅立ちを祝福するかの如く午前6時にリニューアルオープンしたのです。恵美須町入り口から入るか?はたまたグル〜と回って夕陽丘から入るのか?気を揉んだ我々の期待を見事に裏切り天王寺方面へとバスは静々と向かったので有ります。そうか、天王寺入口から入るのか、其の手が有ったのか、誰もがそう思ったのです。バスは天王寺を通り越し文の里入口からゆっくりと其の巨体を阪神高速道路松原線へと乗り込んだので有ります。走行が安定したところで取り敢えず缶ビールで乾杯をしたのです。名阪国道・大内インターチェンジで一度トイレ休憩をしたのです。早くも土産物を買う輩が複数出たのです。昼食は名古屋市中区の「木曽路 瓦町店」。此処は88店舗有る「木曽路」の一号店なのです。焼き蟹、お造り、鍋、等々食いきれない程の料理でビールが進んだのです。食後のワインをバスの中で飲みながら次の訪問地「徳川美術舘」へと急いだのです。此処は徳川義親侯爵の寄附によって昭和6年に創立された財団法人徳川黎明会が運営している私立の美術館で、昭和10年(1935)開館したので有ります。御三家筆頭62万石尾張徳川家に秘蔵された家康をを初め数々の遺品が展示されている、向学心に燃える苦学生の私には打って付けの勉学の場だったのです。バスは一路今宵の宿「舘山寺温泉 ホテル九重」へと向かうのです。車中で飲む「リザーブの水割り」はとても美味しいのです。宿に到着したのは午後5時前、先ず「平成15年度 ニコニコ会 総会」の開始時間を6時半に設定したのです。部屋は定員6名。12.5畳、6畳、其れに広縁、お風呂、広々とした洗面、トイレが付いているのです。此を4部屋用意し、男性7名、女性5名に割り振ったのです。男女7歳にして席を同じゅうせず、で男女各2部屋づつ割り当て、2名から4名が同室したのです。露天風呂で長々と汗を流し、いざ総会の場へ。会計報告を含む総会は粛々と5分で幕を閉じ、早速「4丁目の不動産屋」の発声で乾杯となったのです。2時間半に及ぶ宴会の後半はカラオケ、其れでも歌い足りないと2次会もカラオケラウンジへと繰り出したのです。一度、大浴場でアルコールを流し、再度お部屋で宴会となり、就寝時間は午前2時で有りました。光陰矢の如しとは此の一日の事を言うのでしょうか・・。
2003/10/29  今、歯医者に通っているのです。左上の犬歯が虫に食われたのです。幸い抜かずには済んだのです。しかし、神経は抜かれたのです。今回初めて行ったのが忘れもしない平成15年9月26日。昨日で既に6回も勇気を出して通ったのです。まあ、後二回程度でフィニッシュの様なのです。我々の年代の人間は押し並べて歯医者は大嫌いなのです。怖いのです。そんなに痛くもしないのに何故か?と先日来自問自答していたのです。恐らく子供の頃の原体験の為せる技なのです。その頃の歯医者の機械は良くなかった、其の記憶が恐怖を誘うのだと思うのです。嫌な音のするモーターが有って、剥き出しのベルトと滑車を幾つか組み合わさっていて、その先に回転鑢(やすり)が付いていたのです。振動がすごかったのです。其れが露出した敏感な神経に響いたのです。そして熱を持つのです。すっごく熱かったのです。麻酔の注射がまたものげっつう痛かったのです。ところが最近の機械は超高速で回転するので振動がほとんど無いのです、しかも水が自動的に出て歯を冷やしてくれるのです。麻酔の技術も進歩していて麻酔注射をする前にスプレーで吹きかける表皮用の麻酔が有るのです。其れで鈍らした所へ本番の麻酔をするのです。ちっとも怖くも痛くも無いのです。しかし記憶が怖がるのです。「日本橋のフセイン」の前歯は2本しか無いのです。「工具屋のおっさん」の奥歯はほとんど無いのです。しかし彼等は毎日嫁に歯医者に行くよう説得、説諭、強要、脅迫、諭されているにも関わらず、頑として行こうとしないのです。本人達も大変不自由だと言っているのですが・・。ところで今日から「ニコニコ会」で「舘山寺温泉」へ一泊二日の二階建てバスの旅に出るのです。隣組なので「白塗」、「家具屋のおっさん」、「向かいの煙草屋」、「日本橋の不動産屋」等々も行くのです。其れに件の「歯医者のおばはん」も行くのです。「隣のおばはん」、「レストランのおばはん」、「接着剤屋のおばはん」、「記念品屋のおっさん」、「ミシン屋のおっさん」、「赤鬼のおっさん」、「向かいのおばはん」の総勢13名なのです。予定より一人減ったのです。「隣の照明屋のおばはん」が行く予定だったのですが体調を崩し、身代わりの亭主も体調を崩したのです。まあ、欠席者には豪華温泉饅頭を土産に買って来るのですが・・。
2003/10/28  「日水会」の同窓会みたいなモノが2年ぶり位で有ったのです。日本橋中学校の建て替えでグランドを追われ解散状態だったのです。まあ、其れに加え体力の限界も有って潮時だったのですが、その懐かしい連中の内日本橋小学校縁(ゆかり)の一部が集まったのです。「工具屋の鉄人28号」、「4丁目の電気屋」、「水道屋のおっさん」、「自動車屋のおっさん」、「呉服屋のおっさん」の6名。日本橋4丁目交差西入る南海ガード手前の高級中華料理店「まつや」の2階が会場なのです。折からの日本シリーズ最終戦を観戦しながら、話は弾んだのです。平均年齢は58.2歳、口だけは達者なのです。お開きになったのは10時前、其処へ「4丁目のオーディオ屋」からメールが入ったのです。子供が修学旅行で伊勢に行ってる、嫁と二人きりで恥ずかしいから夫婦同士で飲みに行こう、と言うのです。実の嫁は旅行中、私一人で「バー 坂口」へ行ったのです。二人は来年結婚20周年を迎えるのです。私の方は同じく30周年を迎えるのです。嫁は一人で30周年記念事業をしているのです。考えれば良く続いたモノで有ります。偏(ひとえ)に私の資質のなせる技なのです。まあ「4丁目のオーディオ屋」も同じ様な事を嫁に言っていたのです。勿論、彼女の同意を得る事は出来なかったのですが・・。其処へ「子供を食い物にするおっさん」が来て、なお一層話は弾んだのです。彼の好きな詩に「散る桜 残る桜も 散る桜」が有るのです。言い得て妙なのです。散り際に「のら」に寄ったのです。「三郎さん」と「くっさん」が暖簾を終う手伝いをしていたのです。彼等の帰宅時間が一時間近く延びたのは仕方の無い事で有りました。
2003/10/27  私の熱い思いは微動だにせず、鉄をも貫く固い意志で飲まないサンデーを乗り切ったのです。本来ならば阪神タイガースの優勝のシーンを見ながらのつもりだったのですが今日に延期になってしまったのです。9回の表になったところで「風呂屋のおっさん」がチャットをしかけて来たのです。その中で「もう2アウトですわ。あっ!今、負けたようでんなあ、あきまへんわ」とかのやり取りをしたような記憶が有りますねん。ほてから、5時半に目覚まし時計をセットしていた実の嫁が、今日から日光に行き水曜日まで帰って来ないのです。7:30発の「のぞみ」、11:16発の「やまびこ」を乗り継いで宇都宮まで行くのです。学生時代の友人達と「日光金谷ホテル」に宿泊するのです。今、見送って来たところなのです。黒い服に黒いリュックという出で立ち、こうして見るとなかなかええ女なのです。先日来より次男に何度もメールを送っていたようなのです。次男は宇都宮に居るのです。其処で、帰りに2泊ほどして来るつもりだったのです。ところが、「できれば来ないで欲しい、体調がすぐれないし、会社も休めないし、予定もたたないし・・」とのつれない返事が返ってきたのです。まあ、2,3度やり取りしていたようですが諦めたらしいのです。子供は親離れしているのですが、母親は子離れしていないのです。私の方はまたパンツが何処に有るか探し回らなければならないのです。
2003/10/26  今朝は丁度7時に目覚めたのです。此からはこの調子を保ちたいのです。其れはそうと昨夜は「のら」の誕生日、家で鍋を食ってから久し振りに出かけたのです。「鍋を食う」と言っても土鍋そのものをムシャムシャと食べるのでは無いのです。一寸固く口に馴染まないのです。鍋で炊いている中身を食べるのです。9時過ぎに「のら」へ行くと、「せきちゃん」を初め何時もの連中が鎮座していたのです。普段見慣れない顔では「ばばりん」が居たのです。彼は其の昔、谷町に居たのです。ところが、嫁の強い要求で枚方へ引っ越したのです。ゴルフが好きで酒が好きなんですがなかなか「のら」には来られないのです。「のんちゃん」も居たのです。彼は昭和39年生まれ。しかし、髪の毛が不自由な為、ほぼ我々と同年代に見られているのです。確かヨットを持っているとか、独身貴族なのです。「たーちゃん」はアパレル関係のデザインナーなのです。「暴れる」関係では無いのです。「アパレル」関係なのです。あと「ハム屋のおっさん」、「さぶろうさん」、「新べべのたえちゃん」。彼女は「山椒大夫」と待ち合わせなのです。彼は草津へ仕事で行き新幹線で帰って来るのです。約束しているのですから、必ず来るのですが、何度も表に出て電話をするのです。新婚さんなんですねえ。「のら」は携帯電話が架からないのです。恐らく電話代を払わないからではないかと思うのです。「くっさん」が来たのです。其処で彼女から届いているワインで乾杯をしたのですが、何時の間にか「4丁目のオーディオ屋」や「山椒大夫」が来ていたのです。「ハム屋のおっさん」が唄を歌いに出て行ったのです。こうして平和な夜は更けて行くのです。
2003/10/25  年老いた身体を守るため、起床を7時にして睡眠時間を確保する事としたのです。ところが、連日の5時起きで身体が其れを覚えてしまい5時過ぎに目が覚めてしまうのです。大抵目覚まし時計のお世話になる事は少ないのです。其の5分か10分前に自然に目覚めてしまうのです。こんな身体に誰がした!と、言う事で今朝も5時過ぎに目が覚めたのです。其処で小便だけして二度寝する事にしたのです。次に目が覚めたのは8時丁度。今は清々しい気分なのです。どうせなら8時まで続けて熟睡したかったのですが・・。昨日は11時に「平成15年度 ニコニコ会総会」の打合せ会が有ったのです。今回はかん舘山寺温泉へ行くのです。40人乗りの2階建てバスで行くのです。勿論、バストイレ付き。総人数は14名、楽々とゆったり行けるのです。途中トイレ休憩を一回。昼食は「木曽路瓦町店」で豪華に、「徳川美術館」、目的地に16時頃には到着。翌日は9時出発。「ドライブインさかな家」で買い物。自衛隊のテーマパークを見学。昼食は「きじ亭」で雉会席、そしてお買い物。まあそんなスケジュールなのです。前に土産物屋に一軒だけ寄ったら、一軒だけやったらあかん、と言われたので二軒用意したのです。当初、阪神高速松原線を通るつもりだったのですが此れが閉鎖、其処で第二阪奈を通るルートに変更をしたのです。次に持ち込む飲み物の種類と本数を決めたのです。先ず、缶ビールですがレギュラーを24本、缶チュウハイを10本、ウイスキーの水割りを10本、ワンカップ大関を10本、烏龍茶を24本。其の他にボトルでウイスキー、ブランデー、酒、ワイン等々を持ち込む事としたのです。其れにおつまみを人数分。足らなければ途中で買う事にしたのです。まあ、余るとは思うのですが・・。
2003/10/24  私の新たな旅立ちを祝福するかのような快晴の日の出で有りました。午前5時10分、目覚まし時計の世にも美しいメロデーで目を覚ましたのです。持ち物のチェックの後、雑記帳を書いたのです。大変なんですから、催促する奴が居て・・。髭を剃り、御髪をとかしてスタンバイ。何時でも出発出来る体制を完成したのです。6時20分に玄関の扉を閉じたのです。「白塗り」を乗せ、出立したのが6時33分。長堀橋で「なべ・たえ夫婦」を乗せ、一路西宮北へ。コンペの参加者は約200名。36ホールのコースをフルに使ってのスタートで有ります。何と無く、一寸ずつ良くなって来たような気がしていたのです。上がり3ホール、トリプルを連発して、結局51だったのですが、先日までの事を考えれば破格の出来で有りました。上がり3ホール、パー、パー、ボギーで上がったのは「山椒大夫」。彼は腎臓結石の持病が有るのです。3ホールを残した所で発作が起きたのです。力が入らなくなってスコアは良くなったのです。其れまでは私が2打勝っていたのですが、大幅に逆転されてしまったのです。ところが、痛みに耐えかね可愛そうにハーフでリタイアしてしまったのです。片割れの嫁のスコアは62/70。まあ、アプローチパットでカウンターを上げるのです。グリーン際までは私より常に良いのです。其処からザックリ、トップ、天ぷら、チョロ、引っ掛け、押し出し、全てのミスショットをご披露するのです。ミスショットの総合商社なのです。パターもテンカンパットを連発するのです。もし、彼女が私程度のアプローチ&パットをすれば常に40台では回れるのです。ついでに、私も彼女程度のドライバーショットが有れば常に40台で回れるのです。「白塗り」は健闘し、先週の72/66を61/60と実に17打も縮めたのです。彼は新しいパターを買って来たのです。先週の54パットを44パットに改善したのです。彼は決して腕を磨こうとはしないのです。道具を買うのです。
2003/10/23  昔から思っていたのですが、一度でええから「ブービー」と言うのをゲットしてみたいなあ・・、と。なかなか機会が無くて、この度図らずもその機会を得たのです。今生の喜びで有ります。先週、59/56。此は「セントレークス」やから悪かったと思っていたのです。それが昨日も、59/52、今日も、59/54、朝は「59」が定番になりつつ有るのです。まあ、此を60叩かなくって良かった、と思うのか、59も叩いた、と思うのかは気の持ちようなのです。一番惨めだったのは、12番、306ヤードのミドル。ティーショットを右にOB、打ち直した球はフェアーウエイ左サイドへ150ヤード。次をチョロ、木の根っこに停止。ノータッチだったので、やむを得ず池越えになる斜面へ出したのです。ラフは深かったのです。もう少しで池を越えるというところで失速。大きなな水しぶきが上がり感嘆の声が聞こえたのです。打ち直しは見事にグリーンを捉え2パット。カウンターは10になっていたのです。でも、もっと可愛そうな人も居ったのです。137ヤードのショートホール、見事ワンオン。バーディー狙いのパットはピンをオーバー。スルスルとバンカーまで球足は伸びたのです。バンカーで三発。せっかくグリーンに乗ったボールをまたバンカーへ。今度は一発で出て2パットの9。ショートホールで三回オンさせたのは初めてとか言っていたのです。私は参加19名中のブービー、値打ちが有るやら無いやら・・。勿論、キッチリとブービーの挨拶はこなしたのです。喋り出すと、う〜んこんな挨拶した事有りそうかなあ・・、と思ったので、ひょっとしたら過去にブービーを頂戴した事も有るのでは、とも思うのです。因みに「4丁目のオーディオ屋」のスコアは、52/54だったのです。朝、阪神高速松原線は全面閉鎖。本来なら三宅で降りて309号をず〜と行くのが本意だったのです。其のコースが駄目、其処で阪神高速湊町より長田方面を目指し、近畿自動車道を経由して、美原北で降り、309号に入ったのです。後はグロワール、ワールド牧場の横を通り、水越トンネルを潜り、24号線を過ぎ、10分余り走ると「花吉野カンツリー倶楽部」に着いたのです。所要時間1時間半。帰りも同じ道を戻ったのですが、近畿道の松原から長田までは大渋滞、其処で中央環状線を左折、阪神高速堺入り口を経由し、港町出口で降りたのです。所要時間1時間45分。まあ、最良の選択ではなかったかと思うのです。帰ってから「茶菜会」の事務局会議が有り、それでも10時には帰宅出来たのです。そのままバタンキュー。今朝は5時10分に起き、「有馬ロイヤルゴルフクラブ」へ行かなければならないのです。じゃ、行って来まっす!
2003/10/22  何はともあれ第三位だったのです。何がって、昨日の「難波会」でんがな・・。スタート時は降って無かったのです。でも、3ホール目ぐらいから雨が天よりお降りになられ出したのです。上下を合羽に身を固め、いざ討ち入りで有ります。雨脚は強くなる一途、まあそんな中で広角打法の私が良いスコアで回る訳が無いのです。でも、朝一番叩いたホールでさえ僅か12打に抑えたのです。早く言えば何をやっても無駄だったのです。蛇足と言っても良いのです。蛇に足を書いている間に朝のラウンドは終わったのです。59はまあ褒めても良いスコアではないかと自負するモノで有ります。大体、私の場合はほとんど昼から崩れるのです。崩れると言っても化粧崩れや無いのです。新世界のオカマに聞いた話なのですが、何時も厚めのファンデーションを塗るらしいのです。朝の4時頃になると化粧が崩れ出すのです。そして、髭も伸びてくるのです。崩れそうになる化粧を髭が食い止める其のいじらしさ、絵も言われぬそうで有ります。昼からもスタートから雨だったのです。あっ!忘れていたのですが、昼食の献立は「味噌ラーメン 辛口」と「生ビール」だったのです。その時まで、一滴のアルコールをも私の喉は受付なかったのです。午前の雁字搦(がんじがら)めの握り、私が一番の負け、午後の分を入れれば一財産無くなると覚悟をしていたのです。まな板の鯉で有ります。天は我を見捨て賜わなかったのです。スコアこそ52と決して満足は行かなかったのですが、勝ちまくって最終的に2千円の負けに納めたのです。帰って来て車を置き、表彰式の会場は「下関ふぐ」、フルコース「4,980円」なのです。勿論、優勝した「難波のまんが屋」の奢りなのです。そして、其処から「電気技師のおっさん」のお父さんの夜伽に顔を出し、皆が待っている「のら」へと取って返したのです。此処でも準優勝の「難波の不動産屋」が名誉が欲しいと言うのです。最下位の「難波の電気屋」と慎重審議の結果、彼にも栄誉を与える事としたので有ります。「難波会」の狙い目は2位か3位、最高は負けの少ない3位なのです。何故って?優勝は全員の分の会食の費用を負担しなければならないのです。収入を差し引いた残りは優勝者の奢りになるし、1万円を超えた部分は2位との折半となるのです。所で、今日は「第227回 日緑会」で「花吉野カンツリー倶楽部」へ「3丁目の電気屋」、「3丁目のオーディオ屋」、「4丁目のオーディオ屋」を乗せて行くのです。生憎、阪神高速松原線は全面閉鎖なのです。どうなる事やら・・。では、行って参ります。
2003/10/21  昨日も一日忙しい日だったのです。朝からバタバタしていたのですが(別に死にかけていた訳やおまへんけど・・)、午後2時からは日本橋筋商店街振興組合の理事会が有ったのです。日本橋の将来に対する見通しとか、暗い話も有ったのですが、まあ何とかなるのではないか、そんな話だったのです。其の後「地域情報板」のソフトの組み替え・訂正をし、5時からは歯医者なのです。此が遅々として進まない。まあ、前回通った時は約半年、今回は軽傷なので2ヶ月程度で済むのではと楽観的な見通しなのです。其の後、納品とか通常の仕事もこなし、7時からは「防災講習会」。今回は特に「救命救護訓練」だったのです。先ず、男のおっさんが倒れてるのです。隣には、二人のブルーネットが・・。私は先ずおっさんの生死を確かめたのです。肩を叩きつつ「もしもし!もしもし!」と大声で呼ぶのです。其れでも反応が無ければ、先ず気道の確保をするのです。同時に付近に居る人に救急車の手配のお願いをするのです。片手で額を抑え、もう一方の手の指二本を顎に掛け、上に引っ張るのです。そして呼吸をしているか?声を出すか?身動きするか?事細かに反応を具(つぶさ)に観察するのです。反応が無いのです。直ちに人工呼吸に入るのです。鼻を摘んで空気の逃げ道を防ぎ、口から息を吹き込むのです。所謂(いわゆる)、マウス・ツウ・マウスなのです。そうしてから、もう一度生体反応のシグナルを探るのです。駄目な時は心臓マッサージなのです。15回リズミカルにマッサージを繰り返すのです。そしてまた人工呼吸。2秒間息を吹き込み、間を少し置いてもう2秒間・・。此の繰り返しなのです。心臓マッサージは鳩尾(みぞおち)から指一本か二本上の所に掌を置き、その上にもう一方の手を重ね比較的強く押すのです。場合に寄っては肋骨が折れる場合も有るのです。命には代えられないのです。こんなに皆が真剣になった訓練は今回が初めてだったのです。話は変わるのですが、今日は此から「難波会」。「泉ヶ丘ゴルフ倶楽部」へ行くのです。身体が弱いので「救急救護」されない様に健康には十分注意しながらのゴルフをしに行くのです。では、では行って参ります。
2003/10/20   三連覇の2年目の監督が「工具屋の鉄人28号」。日本橋西通り商店街で工具屋をしているおっさんで、「日水会」 の初代会長、私のソフトボールの師匠で有ります。 昭和15年7月生まれという年齢にも関わらず、毎朝 公園でランニングと日、水、金にはソフトボールのトレーニングをするという鉄人で、其の昔、難波ゴルフセンターに 「早朝打ちっぱなし」 が有った時には、毎朝5時に行っていたという超人で有ります。 性格は真面目で温厚。 女房より早く寝て、早く起きる。まあ、最近は一寸は弱って来たのですが・・。ゴルフが好きで、人を集めるのが好きなんです。自分の会社のコンペを毎年開催しているのですが、年々参加者を増やしているのです。其れに加えて「寒さ我慢ゴルフ大会」、「暑さ我慢ゴルフ大会」を首謀しているのです。彼は何てったて人間が生真面目、固いのです。女房に言わせれば柔らかいらしいのですが・・。まあ、最近は上手くなって来たのですがゴルフのアプローチも手抜きが出来ない。思わずフルショットしてしまうのです。私よりは上手いのですが、女房には歯が立たないのです。彼が監督の時、浪速区大会で優勝し、大阪市の大会に出場し、私は初めてライトを守らせて貰い、タッチアップした三塁走者を矢の様な送球でアウトにしたのが、まあ私の長いソフトボール歴の中でのハイライトなのです。「工具屋のおっさん」の後、PTA会長に就任した時、大先輩の「28号」は忘れもしない「枚方カントリー倶楽部」の帰り、彼の車の中で挨拶の練習をつけてくれたのです。家に着くまでず〜っと・・。「桜前線もまっさかり、この春うららの良き日に巣立って行く君たち・・」一年後にある卒業式に向けての練習だったのです。
2003/10/19  「ハム屋のおっさん」は昭和17年1月、東北地方の生まれなのです。その昔彼の店がオープンした時、買い物篭を下げた近所のおばさん達が並んだとか。店の中に入ったのですが、安売りしている筈のハム・ソーセージが無いのです。其れも其の筈、彼の店は「アマチャ無線の店」だったのです。「おばさん、うちのは一寸歯が立たないよ・・」と、言ったとか。丁度私が「日本橋小学校PTAソフトボール部」夜の部に入部した時、彼はサードを守っていたのです。そして「工具屋のおっさん」がセンター。その年の監督は「素手で杵を折ったおっさん」だったのです。彼は弱小チームを立て直す為、先ずユニホームを新調し、ミーティング(飲み会)の回数を画期的に増やしたのです。まあ、他にやる事が有ったとは思うのですが・・。しかし、其の努力も虚しく、一回戦で負けてしまったのです。涙に暮れる彼を慰めるのには長い長い時間が必要だったのです。しかし、彼の涙を見せられた私は、こうなれば朝・昼の部も入部し、是非此の万年最下位チームに優勝の感激をと思ったのでした。まあ、星野仙一の気持ちだったのです。この頃までは「ハム屋のおっさん」はカラオケは歌わなかったのです。無理にと言えば「北国の春」を一曲歌うのがせいぜいだったのです。其れがミーティングの回数が増え、「工具屋のおっさん」にカラオケの楽しさを覚え込まされ、大きく変身したので有ります。今では耳には常にウォークマンのヘッドホンをかけ、月に数曲を覚え、新曲の披露には数軒のスナックを回るような男となってしまったのです。因みに、私が入部した年より我がソフトボール部は、何と!浪速区の大会で見事三連覇を達成したので有ります。勿論、初年度の監督は「喫茶店のおっさん」で私は早く言えば補欠だったのですが・・。
2003/10/18  久し振りに「日本橋パソコン倶楽部」に出席したのです。金曜日は何かと夜の会合が多く、パソコン倶楽部をさぼっていたのです。まあ、偶には来て見るモノで、新しい言葉が行き交い、まるで浦島太郎になった気分でした。ラトックシステムが出しているリムーバルディスクを既にパソコン倶楽部では採用していて、120ギガとかのハードディスクで映像や音声のファイルを大量・短時間にやり取りしていたのです。USB2とかIEEEとかのインターフェース仕様のハードディスクとかも使っているのです。膨大な数のファイルも圧縮して簡単にメールでやり取り出来るのです。通信速度の飛躍的進化と大容量記憶装置の進歩で量では無く質の方まで変化しつつ有るのです。メモリースティックも既に1ギガのモノが発売されているのです。倶楽部終了後、高級料亭「天狗」で開催された反省会には10名が参加したのです。情報の交換、日本の将来像についてとか、有意義な時間が過ぎていったのです。「御蔵跡の不動産屋」、「日本橋の不動産屋」、「難波の不動産屋」の三人の揃い踏み。理論家の「陳列屋のおっさん」、最近引っ越した「呉服屋のおっさん」、技術立国の「電気技師のおっさん」、映像・音声ファイルの大家「風呂屋のおっさん」、其れに「ただちゃん」、確かもう一人居ったのですが・・、まあ10人の内9人覚えて居ると言う事は呆けも比較的軽いほうかなと思う今日この頃で有ります。追伸:「風呂屋のおっさん」のホームページに掲示板が有って、おっさんのボヤキとか何とか書いてまんねん。これが又おもろい。何の気力も無くなった時、見はったらどうでっか・・?勇気が湧いて来まっせ。湯だけかも知れまへんけどな。
2003/10/17  「きらくのおっさん」が運転を買って出てくれたのです。ですから初めて行く「あいちゃん」と「泉佐野のおばはん」に「セントレークスゴルフ倶楽部」の説明を事細かくしたのです。先ず、距離はそんなに長くない。木が少ない。バンカーが多くて嫌みなコースや。ティーグランドからグリーンまで続く大きなバンカーが有る。人一人が入るのがやっとの蛸壺バンカーが有り、深いので階段が付いてる。土が崩れてくるのを防ぐ為、枕木をバンカー斜面に打ち付けて有る。その途中に草が生えていて、其処にボールが止まると下からも届かない、上からも届かない大変な事になる。昔、「素手で杵を折ったおっさん」がバンカーエッジのボールを打った弾みでバランスを崩し、10メートル下のバンカーに落ちた事が有る。バンカーの真ん中に木が植えてあって、その周りにボールが行くと、もうどうしようもない。思い切り小さなグリーンで外すと全てOBになる。其処はパターで攻めるのがええ。まあ、念を入れてお話したのです。心温まる忠告を生かした「あいちゃん」は、53/48で6位になったのです。生かし切れず、逆に怯えた「泉佐野のおばはん」は、61/68で15位だったのです。優勝したのは、41/40の「工具屋のおっさん」、2位は、46/52の「のら」、3位は何と!47/58の「4丁目の照明屋」だったのです。そしてべべは、72/66の「白塗り」、ブービーが59/56の「きらくのおっさん」でした。私は人への奉仕に徹したので、59/56で22人中の20位で有りました。我がパーティーには20位、21位、22位、其れに17位の「新べべのたえこ」が居たのです。彼女は、73/66でグロスべべに輝き、チームとしては本コンペ・ワースト記録のほとんどを独占する事が出来たのです。
2003/10/16  それはそうと、なんて書き出しは、まあ可笑しいのですが・・。昨日、午前中は歩行天絡みの会合で潰れたのです。夜には某メーカーの集まりが有り、蟹を食ったのです。どうしても、帰りは「のら」へ寄らねばならないのです。ほたら、「具体的に名前を言ってはいけないおっさん」と其の連れが居たのです。「せきちゃん」、「がきちゃん」、「かずちゃん」、「おっくん」も居たのです。其処へ、「白塗り」、「工具屋のおっさん」が来たのです。新人は美味しいのです。「天然呆け」の話をセットでしたのです。「主人」、「犬の散歩」、「歯医者」、「捨て犬」、「夫婦喧嘩」、「携帯電話」、それぞれがかなりうけるのです。詳しくは9月15日付けの雑記帳に書いて有るのです。「携帯電話」は新作で、「新婦のマンションはメゾネット、リビングに螺旋階段が有り、2階に書斎と寝室が有るのです。寝室に携帯電話を忘れて取りに上がったのですが、何をしに来たか忘れたのです。下へ降りて思い出したのです。賢い彼女は同じ過ちをしないのです。ちゃんと何をしに行くのかをメモ書きしたのです。上がったところで矢っ張り忘れたのですが、悠然とメモを見ようとして、下に置き忘れたのを思い出したのです。」それはそうと、あっ!此の言葉は此処で使うのでした。今日は「第16回 TWENTY会」で私の嫌いな「セントレイクスゴルフ倶楽部」へ行くのです。アッシー君で「きらくのおっさん」、「泉佐野のおばはん」、「あいちゃん」を乗せて行くのです。「あいちゃん」と言っても、卓球の「愛ちゃん」でも、ゴルフの「藍ちゃん」でも、まして皇室の「愛ちゃん」でも無いのです。近所のおばはんなのです。其れでは行って参ります。
2003/10/15  昨日は朝から「フセインの母」の葬儀に行った。享年94歳。雨で霊柩車がテントの中まで入って来、十分にお見送りする事が出来、心よりご冥福をお祈りしたのです。終わってからでんでんタウンの理事会に出席。歩行者天国の実行部隊を21プロジェクト委員会の中にセットする事にしたのです。現在のところ歩行天の実現可能性は51%と言ったところでしょうか・・。終わったら1時15分、お腹の虫がグー!と鳴き、帰り道の「かまど」で「ざるうどん定食」を注文。これは、ざるうどんと天ぷらと一品、其れに御飯が付いているのです。暫くして出てきたのはざるうどんだけ。まあええか、と其れを食ったのです。夕方から電光表示板のプログラミングで2時間近く悪戦苦闘。其処へ電話が入って、今夜「茶菜会」の事務局会議をしよう、と言う事になり、早速実の嫁に「今晩、飯いらん」と電報を打った。しかし、見積もりの一部が未だで詰めも十分で無いから会議は延期になってしまったのです。昼は「ざるうどん」だけ。夜は飯が食えない事態となってしまったのです。可愛そうな沢治さんはどうしてこれから生きていけば良いのでしょうか・・。
2003/10./14  「日本橋のフセイン」ご母堂のお通夜は午後7時より厳粛に執り行われたのです。葬儀委員長は「ふーちゃん」の父。葬儀委員には「20会」のメンバーが連なるのです。7時35分には第一次お開きになり、ビールとおつまみ・お握りが出たのです。ウダウダと8時過ぎまで時は遷り第二次お開きになったのです。徒歩23秒の所に「王将」が有り、持ち込みの缶ビール・お握りを食いながら、一応注文した餃子・海老天・焼きそば等々を紹興酒で食したのです。初めは暖かい紹興酒。此には「ラー油」が合うのです。一滴落として飲むと得も言われぬ味になるのです。次は冷たい紹興酒。此には胡椒が合うのです。少し振りかけて飲むのです。此処で飲んだのは9人のアホ。アホ言うもんがアホなんですが・・。「工具屋のおっさん」、「4丁目の照明屋」、「京都に嫁の居る電気屋」、「下駄屋のおっさん」、「白塗り」、「五階の中の電気屋」、「4丁目の電気屋」、「素手で杵を折ったおっさん」が其のメンバーなのですが話はアホほど進むのです。第三次お開きになったのですが時間が早かったのです。其処でやむを得ず「バー坂口」まで遠征したのは「白塗り」、「4丁目の照明屋」と私だったのです。まあ、他の連中も何処かへ散ったのですが・・。こうして故人を偲びながら、お通夜の夜は粛々と過ぎて行ったのです。今日の葬儀は11時から。再び故人のご冥福をお祈りするので有ります。南無阿弥陀仏。
2003/10/13  「飲まない日曜日」を無事乗り切ったのです。午前中に「日本橋のフセイン」の所へ「京都に嫁の居る電気屋」と弔問に行ったのです。丁度、仏様の部屋の蛍光灯を付け替えて居られるところだったのです。「フセイン」の長兄は電気屋なのです。「フセイン」が其れを天井の引っ掛けシーリングに付けようと椅子の上に登ろうとしたのですが皆に止められたのです。彼は足が弱いのです。其処で丁度来ていた「葬儀屋のおっさん」が椅子に登ったのですが、此が又危なっかしいのです。グラグラと不安定で・・。皆に早く降りろと言われるたのです。しかし不幸にも止め金具の片っ方だけが引っ掛かってしまったのです。そのまま手を離せば蛍光灯は仏様の上に落ちてしまうし、ぐずぐずしていると本人が落ちてしまうし・・。まあ、ギリギリのところで運良く外れ、蛍光灯を持ったまま「葬儀屋のおっさん」は椅子から無事降り立ったのです。流石電気屋、長兄が無事蛍光灯を付け終わったのです。私も「京都・・」も電気屋なんですけど、黙って見ていただけなのです。いやいや、黙ってでは無かったのです。「危ない!危ない!早よ降りろっ!」とか、かけ声は掛けたのです。懇ろにお参りして外へ出たところへ「きらくのおっさん」が同じく弔問に来たのです。「京都・・」が一声「お前、遅いわ」と愛情有る言葉を掛けたのでした。昨日は加えて、日本橋小学校でバザーが有ったのです。そう言えば先日、実の嫁もガラクタを袋に詰めて出していたのでした。嫁も10時前にバザーへ行ったのです。「何も買うもん無かった・・」と言って、買ってきたものは「変わりコースター」と「フイルムアルバム」だったのです。まあ、何に使うのかは良く分からないのですが・・。
2003/10/12  昨日、午後から浪速区民ホールで「平成15年全国地域安全運動浪速区民大会」と言う長いタイトルの会が有ったのです。10月11日から10月20日までの間に全国地域安全運動が実施されるのに伴った大会なのです。まあ、乾杯の音頭も無く、色々な人が挨拶されるだけの挨拶の会なのです。其の後和太鼓集団「」の演奏が有ったのです。小太鼓が5個、大太鼓が3個、其れに連太鼓が1個。屋外でも迫力が有るのに狭いホールの中、腑(はらわた)にまで響いたのです。演奏は約20分、でも十分堪能出来たのです。ところが何処で拍手したらええのか、皆戸惑っていたのです。何故なら曲の途中に無音部分が結構有るのです。其処で終わったと思って拍手すると、又続くので、拍手を止めるのです。そう言うのが何度も有ったのです。舞台袖から拍手の合図を送るとか、何か無かったら間が悪いのです。其れはそうと「日本橋のフセイン」のお母さんが昨日朝亡くなられたのです。本来なら今日お通夜、明日葬儀なんですが、生憎明日は友引、其処で明日通夜、14日に葬儀という事になったのです。此の「友引」は暦に言う「六輝(ろっき)、六曜(ろくよう)」の一つで一般的には「結婚式は良いけれど葬儀は友達を道連れにするから良くない」とされているのですが、実は驚いた事に全く根拠の無い話なのです。六輝は14世紀頃に中国より「泰安・留連・速喜・赤口・小吉・空亡」と伝わったのです。其れが語呂合わせで「大安・友引・先勝・赤口・先負・仏滅」となったのです。しかし新暦になった明治5年以後に吉凶が言われるようになり、広く採用される様になったのは戦後の事なのです。真宗ではこの様な忌み嫌いはしないのです。まあ、でも世間一般に合わせる、波風を立てない、と言う意味で避ける事が多いのです。場所は「フセイン」の店「ポミエ」裏の「日本橋振興町会集会所(大阪市浪速区日本橋5-16-43)」なのです。詳しい時間とかは今日弔問に行き聞いて来ようと思うのです。ご冥福を心よりお祈りするもので有ります。南無阿弥陀仏。通夜:13日午後7時、葬儀:14日午前11時。余談ですが、明治5年に旧暦(太陰暦)から新暦(太陽暦「グレゴリオ暦」)に変えたのですが、その年の12月3日を明治6年1月1日としたのです。
2003/10/11  金剛下山の途中で道に迷ったのです。本来、元来た道を下りるつもりだったのですがダイヤモンドトレールから外れてしまったのです。同じ道でも、行きと帰りでは全く景色が違うのです。其処でつい広い方の道に行ってしまって、自動車道に入ってしまったのです。直ぐ気が付いたのですが、此も初めての道、まあええか、と気楽に考えそのまま下りたのです。勿論、事前に詳細に金剛の道を調べて有ったので、今 自分が何処を歩いているかは分かっていたのです。でも、意図とは違う選択を強いられたのは良くないので、今後は時々は振り向いて帰り道の景色も記憶に留める必要が有ると痛感したのです。其れはそうと、昨夜の献立は肉と野菜の炒め物、阪神の最終戦を気分良く見ながら、缶ビールを一本飲んだところで8回裏の攻撃が始まったのです。一番強い時の阪神を彷彿させる連打となり、結局此の回5点が入ったのです。此処で、携帯に着信履歴が有ったのでリターンしたのですが通じなかったのです。「新べべのたえこ」からだったのです。この時間なら飲みに誘ってる、しかも携帯が通じないのは「のら」に居る、「山椒大夫」も一緒や、推理は進むのです。でも9回の裏を見たい。追加でお酒を半合飲んでしまったのです。肴は丹波黒大豆の枝豆。ウイリアムスが三者凡退に討ち取った瞬間に実の嫁を連れて「のら」へ向かったのです。予想通り「なべ・たえ」を初め「べべのようこ」、「西宮の京子」、「くっさん」、「たーちゃん」、「工具屋のおっさん」が居たのです。其処へ横浜帰りの「4丁目のオーディオ屋」が加わり、私は静かに飲んでるのですが、大騒ぎになったのです。騒ぐ奴は大嫌いなのです。
2003/10/10  午前7時出発の予定だったのですが、実際に出たのは7時5分、何故かと言えば一旦玄関口まで出たのは6時58分だったのです。ところが急にもよおして用を足して出てきたのが7時5分だったのです。人に聞かれれば7時に出たと言うのですが、此の5分にも随分とストーリーが有るのです。その間に実の嫁はセブンイレブンへお握りを調達に行ったのです。登り始めたのは予定通りの8時28分。今回は久留野峠ルートを選択したのです。このルート運動靴では駄目でトレッキングシューズが要るのです。所要時間は約2時間。府営の駐車場に車を止め、ロープウエイ下の車止めを超えてルートは始まるのです。だらだらと続いた坂が段々と急になって行くのです。最後の部分は急な道無き道と木階段が続くのです。急に視界が開けたところが久留野峠なのです。其処からはダイヤモンドトレールで金剛山へと向かうのです。別にモノレールが走っているのでは有りません。二上山−岩橋峠−葛城山−水越峠−金剛山−久留野峠−行者杉峠−西の行者−紀見峠−岩湧山三合目−岩湧山−滝畑−槙尾山 と続くルートをダイヤモンドトレールと呼ぶのです。まあ、此を走破しようと思えば何日もかかるのですが、その一部久留野峠から金剛山のルートを登ったのです。休憩したのは一回だけ、私はリンゴを、嫁はバナナを食ったのです。山頂へ着いたのは10時18分、予定より12分早く着いたのです。着替えをし、満足気にお握りを3個食ったのです。家に帰ったのは予定より一時間早い1時半、嫁は4時前から高橋真梨子のコンサートとかで京都会館まで姉と行き、私は仕事をしたのでした。目出度し目出度し。
2003/10/09  一昨日の朝、実の嫁が出て行ったのは午前8時半、地下鉄御堂筋線で大阪駅まで行ったのです。其処からJR、新快速も京都を過ぎると各駅停車するのです。京都、山科、大津、膳所、次が石山なのです。其処からバス、大石小学校前行きに乗り、約15分で目的のバス停「南郷」に着くのです。バス停の前に「南郷温泉 二葉屋」は有るのです。旅館は此の二葉屋一軒だけなのです。母はその前日から友達と来ていて、其処へ嫁と姉が合流したのです。温泉と言っても泉温は16度から19度、冷泉なのです。泉質は恐ろしい「放射能泉」で、其の効能は神経痛・リュウマチ・高血圧に効くと言うのです。母が着いた日の泊まり客は2人、嫁が行った日は4人、早く言えば客は彼女等のみなのです。着いて直ぐ嫁等は「立木観音」に登ったのです。効能書きに拠ると、本尊は、平安時代初期、弘法大師空海が12歳の厄年に、一本の立木から彫り上げたという等身大の観音様。古くから厄除けに霊験あらたかとして信仰を集めていると言うのです。「安養寺」が正式名なのですが、「立木山寺」とも呼ばれ、通称「立木観音」なのです。立木山の頂上に有り、二つのルートが有って、楽なのは地道をクネクネと登るのです。もう一つのルートは石段、670段を数えるのです。帰りは石段を下りたと言うのですが、結構きついらしいのです。そして今日は「金剛登山」、階段を数えた事は無いのですが3000段位は有りそうなのです。それじゃ・・、行って参ります。
2003/10/08  嫁居ない歴2日目の朝を迎えてもちゃんとパンツを履いているのです。何時も嫁がラックから出すのを覚えていたのです。前に此のラックにパンツが無かった時が有ったのです。その時は焦ってそこら中を捜したのです。結局、干してあったパンツを履いたのを覚えているのです。靴下の有る所も覚えているのですが、新品の靴下が何処かは知らないのです。何処かに泊まりに行く時とかは嫁が新品の靴下やパンツとかを何処からともなく出してくるのです。長期に居ない時は此処に下着セットを置いとく、此処にカッターシャツを置いとく、と説明会が有るのです。ほんこの間まではパンツ一丁で此の雑記帳を書いていたのですが、現在シャツとステテコを着ているのです。靴下は履いてないのですが、一寸冷たいかな?と言う状態なのです。足をさすって暖めているのです。それやったら靴下を履けば良いという事も分かるのですが、此処は4階、靴下は2階なのでわざわざ取りに行かなければならないのです。その手間を省いているのです。昨夜は近所の寿司屋へ飯を食いに行くつもりだったのですが、火曜日が定休だったのを思い出し、急遽おでんに変えたのです。おでんと言えば「でん」なのです。「のら」と同じビルの一番奥に有るのです。厚揚げ、大根、すじ、ひろうす其れに湯引き、生が二杯に焼酎の水割り、まあこれでお腹の虫は治まったのです。「でん」には「がみちゃん」が居たのですが、1時間ほど居て「のら」へ行ったのです。私も続いて「のら」へ行ったのです。「でん」のマスターも「のら」へ来たのです。「くっさん」、「たーちゃん」が居て、其処へ「嫁の実家が酒屋のおっさん」と連れが来たのです。そして「4丁目のオーディオ屋」まで来たのです。いつもの風景が繰り返されるのでした。
2003/10/07  昨日は午後2時から「ビジョン委員会」、4時から「日本橋まちづくり振興(株)」の役員会、6:20分からは「日本橋筋商店街振興組合特別委員会」が有ったのです。歩行者天国、電子工作教室、歩道拡幅、地域情報板、アーケード柱広告、JT活用法等々について鋭意検討されたのです。総計、6時間半にも及ぶ長時間会議だったのです。今度は会議を減らす会議、会議の時間を縮める会議等々を度々長時間開催する予定なのです。帰りに一寸「のら」に寄ったのですが、「4丁目のオーディオ屋」、「向かいの煙草屋」に加えて、新人の「4丁目の照明屋の父」も一緒に行ったのです。もうすぐ80歳になろうかと言う方なのですが、お話をしていて面白いのです。我々と同じレベルでお話が出来るのです。自分の長男の事を「若(わか)」と呼ぶのです。今度から彼の事を「若」と呼ぶ事にしたのです。呉々も間違って濁りを付けないように注意しなければならないのです。其れはそうと、実の嫁が今朝から「南郷温泉」へ行くのです。昨日から姉が母を連れて先に行ってるのです。其れに合流するのです。母は4泊ぐらいするらしいのですが、嫁は一泊で帰ると言うのです。でも、「南郷温泉」と聞いて「えっ!」と思ったのです。秋田県山内村に有るのです。一泊で帰ってこれるんかいな?と思ったのですが、滋賀県大津市、湘南、洗堰側の「南郷温泉」だったのです。そう言えば群馬県にも宮崎県にも「南郷温泉」は有るのです。
2003/10/06  律儀な私は昨日も「飲まないサンデー」を固守したのです。仕事が終わったのが8時20分、献立は雑煮、焼き茄子、秋刀魚、後何か有ったんですが忘れたのです。食事時間は約10分、酒を飲んだ時には1時間、僅か六分の一になるのです。テレビは元々余り見ないし、飲みに行く事も出来ず、間が持たないのです。其処で仕事でもせなしゃあないのです。結局、休み休みに12時半頃まで仕事をしていたのです。その途中で実の嫁がデザートに、ダイエット中の私に何と!ケーキを出したのです。嫁の曰く、甥っ子が布施でケーキ職人をしているのです。先日、コンクールが有って其れに出品したのですが残念ながら選に漏れたのです。其れの出来が良かったとかで其のケーキ屋に飾って有るとの話を聞き、姉と二人で見に行ったのです。店の奥に有ったので行きがかり上何か買わずには居れなかったと言うのです。3つ買って来た所を見ると、多分自分が二個、俺の分として一個のつもりだったと推察するのです。軽めのケーキなら食ってもええのですが、重目の其れを無理矢理食わされたのです。其れも、二個を半分ずつ、嫁の言い分は「二種類食えるからええんちゃう?」私に分担分を食わせた後、重目に気づいた嫁は半分は明日食うと仰るのです。寝る前に計った体重は65.9Kg。年内に63Kgにすると言う「ダイエット実施計画」にあのケーキが暗い影をささすのです。
2003/10/05  「下駄屋のおっさんK」、「下駄屋のおっさんY」、「元下駄屋のおっさん」の三人とは日本橋小学校の同級生なのです。それぞれ昭和21年5月、22年1月、3月の生まれなのです。「K」は57歳、最年長なのです。57歳になってまで生きていたくは無いのです。私は11月生まれ、だから他の3人は56歳なのです。昨夜は「日本橋麻雀倶楽部」が有ったのですが、このミニ同窓会の為欠席したのです。そう言えば麻雀倶楽部会長の「泉佐野のおばはん」も同級生なのです。彼女は12月生まれなのです。日本橋二丁目にある高級料亭「蓮」で開催されたのです。結構手の込んだ料理が出るのです。此処はオーナーで板前のおっさんが一人で調理しているのです。ですから人数が増えると料理のスピードがグッと遅くなるのです。初めは我々4人だけだったのですが、結局合計11名となって我々が席を立ったのは9時、スタートが6時だったので3時間コースになってしまったのです。幸い5年ぶりの事、話題に事は欠かなかったのですが・・。其の後、歌好きの連中なのでおっさんばっかりでカラオケボックスもはばかられ近所のおっさん一人でやってるスナックへ足を運んだのです。それぞれが自分の世界に浸ったのは言うまでも無いのです。ど演歌専門、メッチャ古いの連発、ジャンルが分からん奴・・、でも聞いてて面白いのです。私が披露したのは4曲、皆も4曲、結構皆律儀なのです。帰りに麻雀倶楽部に顔を出したら「日本橋のフセイン」が穴埋めで来て丁度8名。彼は常々「ヘタな連中とは一緒に麻雀出来へん」と豪語しているのですが、結果は見事にブッチギリの最下位、ご機嫌はすこぶる悪かったのです。優勝したのは「京都に嫁の居る電気屋」で5勝目なのです。実力制にして7戦目にして5勝は流石麻雀の段位を持ってると自慢するだけ有るのです。因みに残りの2勝は私なのです。
2003/10/04  昨日は朝から「歩行者天国」絡みの会合が有ったのです。浪速警察の交通課長が先月変わり、全体の作業がやや遅れ気味になっているのですが、来月にも交通量の詳細な調査をする事になったのです。大阪市としても作業量がかなり増えてきたということで専任の課長を産業振興部の中に今月から増配したのです。その名も「商業集積地活性化担当課長」と言うのです。まあ、分かり易い名前で有ります。我々の体制も若手の実務担当者を加えより強力な布陣とする事としたのです。午後からはでんでんタウン主催のセミナーが「スイスホテル南海大阪」で有ったのです。このホテル、前の名前を「南海サウスタワーホテル大阪」と言うのですが経営不振で9月1日より経営主体が変わり、内装も新しくしたのです。セミナーは二本立てで「元気のでる電気店経営」と「ユピキタス情報社会の到来と家庭内テレビの動向」だったのです。一本目を要約すれば、常に内外に問題意識を持ち、明るい気持ちで積極的且つ迅速に其れに取り組み、変化に対応する努力と工夫を日々していけば「繁盛店」また「活気ある街」になれる、というようなお話で有りました。二本目は、デジタル放送時代の主役はFPD(フラットパネルディスプレイ「薄型テレビ」)である、即ちBS、CS、地上デジタル、等々と情報源どんどん多様化しコンテンツの種類は増えるが最後に表示するのはディスプレイで、此もプラズマ、液晶、有機EL等々多岐に渡るが、これらが最重要なモノになるのだ、というようなお話で有りました。因みに「ユピキタス」という言葉を辞書で引けば「時空自在」との約が有るのです。どういう事かと言えば、何時でも・何処でも必要な情報を取り出す事が出来る社会がもう手元に来ている、と言った事なのです。誰ですか?飲みたい時に飲める社会の方がええなんて言う輩は・・?
2003/10/03  まあ、あかん時はあかん、最近ずっとあかん、ほっとけ!53/52、と安定してあかん。OB5発で15位や。そやけど、15位賞の他に高級三田牛ミンチカツ&コロッケをゲットしたんや。何であかんねんやろうなあ・・。ほんまは上手いのになあ。ほて、帰りに西宮名塩で醤油ラーメン食ってしまったんや。ダイエットしてんのん忘れてしもて・・。もう、食うてしもたもんはしょうがない。帰って来たら夕食のおかずはおでんや。そらしょうがない、熱燗でもう一杯飲まな・・。そやけど寝てもうたんや。帰ってきたのは6時半、おでんで一杯飲んだ後「のら」へ行くつもりやったんやけど、7時に寝てもうたんや。昨日ははバスやってん。行きしなビールを一缶、朝飯バイキング食い放題。そやそや、京都の方へ行く思とったら「西脇カントリー倶楽部」やってん。茶店で一杯、お昼に一杯、昼から一杯、上がって三杯、バスで二杯。気が付いたら日本橋やった。大方寝ててんなあ。一緒に回った「日本橋のフセイン」は64/63,でべべやった。そやけどもう一人の「4丁目の奥の電気屋」が51/47,で優勝したんや。うちのパーティーは3人やったけど、優勝、15位、べべ、で全員賞を貰ろたんや。ほて、「京都に嫁の居る電気屋」が48/46,で3位、「ごろちゃん」が47/55、で5位、「工具屋のおっさん」が43/43、で6位、「素手で杵を折ったおっさん」が44/46,で7位、次回から正式にメンバーになる「パン屋のおっさん」が50/48、やった。ほて、夜中の1時過ぎに目が覚めて、お水を一杯飲んで新聞を30分ほど読んでたんや。また眠たくなって次に目が覚めたんが6時半、よう寝られましたんや。
2003/10/02  来週、バンコックへ行く予定だったのです。其れが、人数が極端に減って、約4名となってしまったのです。「山椒大夫」、「1号」、「京都に嫁の居る電気屋」、それに私・・。其処で1ヶ月延期して11月18日から行く事とし、昨夜は「茶菜会」の事務局会議を高級料亭「きらく」で開催したのです。「山椒大夫」が「鍋」がええと言うのでそう言う事になったのです。ところが予約を取ったのが1時間余り前、マスターが、前日までに言って貰わんと材料が無い、と言うのです。其れでも是非にと言うと、何とかする、そう言ったのです。まあ、何とかなったのです。集まったのは「事務局長」の私、「副会長」の「4丁目のオーディオ屋」、「1号」、「2号」、其れに「会長」で有ります。「水上マーケット」と「パタヤビーチ」に行きたい、ゴルフは朝7時頃からやろう、買い物は「パッポン」がええ、とか色々な意見が乱れ飛んだのです。帰りに確認の為に「のら」へ寄ったのです。まあ、余り関係は無いのですが。其れはそうと、此から「草踏会」でどっかのゴルフ場へ行くのです。案内状をなくしてしまったので分からないのです。確か京都の方やったかなあ、程度の記憶なのです。6時半に永和信用金庫前集合、其れだけは昨日聞いたのです。現在時間は午前5時45分、実の嫁は後2時間以上は寝そうなのです。そう言う事で、行って参ります。
2003/10/01  「工具屋のおっさん」は昭和20年9月生まれ。似合わない事に乙女座なのです。日本橋の五階本通りで文字通り「工具屋」をやってるのです。工具屋と一口に言っても色々ジャンルが有るらしく、彼は機械工具を商ってるのです。朝は9時にお母さんに「ひろし、起きや・・、もう朝やで。起きや・・」と優しく言われつつ起きるのです。寝起きは非常にご機嫌が悪く、知ってる者でも午前中は電話を控える位なのです。店を開けると直ぐ近所の「バロック」と言う喫茶店に行き一時間ほどへたるのです。帰ってきて一寸仕事をするとお昼。昼休みはキッチリ一時間とるのです。最近はどうやらお昼寝までするそうで、寝起きは機嫌が悪いのです。其の間、仕事をするのは嫁と弟なのです。嫌いなモノが幾つか有って、先ず人参が嫌いなのです。子供達が未だ小さい時に躾の為に彼が「ちゃんと人参も食べなさいや」と言えば、子供達が「お父さんかって人参食べへんやんか・・」と言うのです。するとすかさず彼は言うのです「お父さんはな、子供の時に思い切り人参を沢山食べたから、大人になったら食べへんでもええねん」もう一つ嫌いなのは歯医者なのです。もう何年も歯医者には行って無いのです。ですから奥歯が虫歯でほとんど無いのです。でも、お肉は大好物。グニャグニャっと噛んで、ゴクッと飲み込むのです。お鍋など人の三倍は食うのです。宴会で鍋物の時、誰も座らないのです。彼が座ったとたんにそれ以外の鍋に殺到するのです。鈍くさい者が涙を流しながら彼と同じ鍋になり、人の半分しか食べられないのです。彼は日本橋小学校の私より一年先輩なのです。しかし子供の頃は全く交流は無かったのです。でも、親同士は知り合いだったようでは有るのです。昭和59年、私の次男がピカピカの一年生になった時に彼の長女も一年生になったのです。「ハム屋のおっさん」がPTAの会長となり、彼は体育委員長、私が予算委員長となったのです。次の年、彼は破格の出世で副会長、私は書記。もう一年経ち、彼が会長となり、私は副会長として内閣を支えたのです。遠い昔のお話で有ります。本当にいい男なのです。