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作者のプロフィール

登場人物の紹介

 
2003/11/30  毎日忙しいのですけど暇を縫ってはリフレッシュしているのです。昨日も小学校のご学友からお誘いを頂戴してお食事会に出かけたのです。「かんちゃん」、「やっさん」、「まっちゃん」と言う連中なのです。まあ、皆おない年なのです、当たり前ですが・・。それぞれが嫁を連れて、総勢7名なのです。実の嫁がとんづらこいて居ないから7名なのです。30年近く昔、このメンバー8名で何度か一緒に飯を食った記憶が有るのです。嫁の話では、生まれて初めて腹巻きからお金を出す人を見た、のだそうです。「かんちゃん」がお勘定の時、上着を手繰って腹巻きに手を突っ込んで財布を出したのを目撃したのです。当時は私も腹巻きをしていたのです。ソフトボールをするようになってからしなくなったのです。実は先日男だけ4人で飲んだのです。その時、今度嫁も連れて一緒に飯食おうや、と話が出来ていたのです。嫁の予定は考えの外だったのです。其れで日を改めようかとも言っていたのですが、また来年新年会をすればええやんけ、と話が決まったのでした。近鉄難波駅の地下に在る料理屋だったのですが、屋号は忘れたのです。お勘定を済ませて出かけたところでいちゃもんが付いたのです。何でも、隣の部屋の5人組とお勘定を取り間違えたとか、タッチの差で割安で食えたところだったのです。正規の料金を払わされたのでした。其の後スナックに行こうと「やっさん」が言い出し、彼の行きつけの「松下」と言う所へ行ったのです。彼はカラオケが大好きで、仕事で姫路や舞鶴へ行く車の中で歌い続けられえらい迷惑を被っている、と其の車に聞いたのです。彼は自分が歌った後私達にも歌えと言い、私もお付き合いで2曲ほどご披露したのです。1時間半ほどいて、まあそこそこ飲んでいたのですが、お支払いは7名で1万円だったのには驚いたのです。一人頭1500円ほど、まあ南にもこんなスナックも在るのです。皆で一緒に帰ったのですが、家に入る直前に携帯が叫(わめ)きだしたのです。「新べべのたえこ」からで、「山椒大夫」と一緒に居るから「のら」へ来い、と言うのです。のこのこと出かけて行くと彼女等の外に「白塗り」、「たーちゃん」、「下駄屋のおっさん」が居たのです。結局、再度家に着いたのは零時前になったのです。ほて、其の夜の仕事が今朝に回り、雑記帳のアップが遅くなったと言う次第なので有ります。
2003/11/29  「NHKのねえちゃん」が今度同行すると言うアナウンサーを連れて来たのです。来られたのが昨日の午後1時半。其れから途中2時間ほど仕事で抜けたのですが6時過ぎまでお付き合いしたのです。此もお国の為、ご奉公させて頂いていると思うのです。12月3日午後零時20分から23分まで放送のNHKの番組「昼時日本列島」で地上デジタル放送開始を記念して日本橋・でんでんタウンを生放送するのです。其の案内の一部を依頼され其の打合せだったのです。私との打合せは其の極一部、僅か23分の放送の為に1ヶ月以上も前から随分と時間を掛けているのです。まあ何かを創るという事はエネルギーの要る事なのです。当日午前9時半から2度リハーサルをし、そして本番という段取りなのです。話は変わるのですが昨夜私の為に「山椒大夫」、「新べべのたえこ」、「べべのようこ」、「4丁目のオーディオ屋」の4人で誕生日祝いをしてくれたのです。11月24日が誕生日なんですが少し遅れてのお祝いなのです。嫁居ない歴一週間、殺伐とした生活を続けて居た私にとっては何とも有り難い企画だったのです。名前は忘れてたのですが郷ひろみが経営するとか言うイタリアンレストランに初め連れていかれ、ビールとワインを飲まされたのです。次が急な階段を一気に3階まで登らなければならないという「バー坂口」まで連行され、此処ではウォッカトニックを飲まされたのです。そして「のら」に連れ込まれ「焼酎の湯割り」を飲まされたのです。最後は「アムザ2000」というカラオケ屋に拉致され生ビールを無理矢理飲まされてしまったのです。やっと解放され家にたどり着いたのは午前2時前やったかなあと記憶しているのですが定かでは無いのです。まあ、毎日大変ですわ・・。
2003/11/28  昨日行ったゴルフ場なんですが上野市にある「エリモゴルフクラブ」だったのです。私にはかなり狭いゴルフ場とうつったのですが、何故ってOBを8発も出したのですから・・。此処で一番重要な事は直ぐ横に在る住宅にボールを打ち込まない事なのです。ですから高い網が張って有るのです。其れでも足りないのかティーグランドにレールの付いた移動式の網が有るのです。其れもティーアップするギリギリの所にセッティングして有るのです。「工具屋のおっさん」なんか右側の其の網に当て真下に落ち飛距離は6メーターだったのです。其れを見た私は左に引っ掛けてOB、「京都に嫁の居る電気屋」も同じくOB、「ごろちゃん」も其れに続いたのです。網だけでは心許ないのか監視員まで配置してあるのです。誰かが打ち込んだ時に謝りに行くのだそうです。このゴルフ場で人の配置が最大の部分なのです。此処はセルフでしかもフロントの広さは4坪、先払いなのです。ロッカールームに有るのはコインロッカー、食堂はピラフとカレーに私の好きなおでん程度のメニューで現金払い。茶店には自動販売機が並んでいるのですが何故かアルコール類は無いのです。でも文句は言えないのです。フロントで払った金額は4500円。食堂で朝の瓶ビールが500円、茶店で200円のCCレモンを飲み、昼は海老ピラフと生中で1300円。総費用は6500円。ホールアウトして食堂に行けば、何と!サービスで「おでん」が一個食べられるのです。スコアなんですが、50/54、HDCP14、で8人のコンペで5位だったのです。「工具屋のおっさん」は49/46、「京都に嫁の居る電気屋」が62/47、「ごろちゃん」は57/57だったのです。そして夜には「素手で杵を折ったおっさん」の新社屋完成記念祝賀会が天王殿で有ったのです。徳島から社長令夫人のご両親まで出てきて居られ総勢60名余り、盛会だったのです。「京都に嫁の居る電気屋」の司会で始まり、町会長の基調演説、主人公の挨拶、親族代表のお礼の言葉、乾杯の音頭と続き、一寸飲んだところでいきなり私に友人代表として挨拶せよのと仰せが有ったのです。まあ、うけ狙いで何とかこなしたのですが反省点は色々有ったのです。一番うけたのが「きらくのおっさん」だったのです。河内男節だったかを歌われたのです。此が全て音程を外すのです。会場は笑いの渦、涙を流す連中まで出る始末なのです。もう一人大うけしたのが居ったのです。ただ無意味な事を大声で喋るだけなのですが、此が二番目にうけたのです。私ももっと芸を磨かなければ置いて行かれるのです。切磋琢磨する事を心に深く刻み込んだ夜で有りました。
2003/11/27  実の嫁から昨日メールが有ったのです。まあ、毎日のように有るのですが、「やあ!お世話かけてます。今日は石垣島でこれから竹富島観光に出かけます。26度もあって暑いです。じゃあまた。よろしくね」が内容なのです。母を連れて姉と一緒に一応親孝行で行ってる事になってるのです。25日に来たのは、「おはよう!今ちゅら海水族舘を見ました。次は一時間かかって那覇に行き琉球やくぜん料理を食べに行きます。今日は快晴です。じゃあまた」だったのです。「やくぜん」と「おぜん」いや「おでん」は違がうんでっかなあ?まあ、ええのですが・・。俺も先日バンコクへ行って来たので一勝一敗と言ったところなのですが、嫁の方が長いのです。22日に出て、帰って来るのは12月1日らしいのです。何でも、屋久島の縄文杉を見るねん、とか言ってたのが記憶の片隅に有るのです。朝、5時に出て日没頃帰ってくると言う強行軍なのです。そして昨夜来たのが「こんばんわ。変わりないですか?いそがしいですかね。今は食事をしているのかなORビールかな?半分過ぎました。遊んでいると早く感じます。もう少しよろしくお願いします」丁度「日窓会」で「銀平」で飲んでいる時間でした。そうなんです、久し振りに「日窓会」が有ったのです。まあ、忘年会なんですけどね。それなりに盛り上がるんですなあ。先日の「日緑会」が販売店会員の参加者が4名だったとか、会員増強の話とかも出たんですわ。帰って来たら既にシンデレラタイムは大幅に過ぎていたんです。ほて、今日はゴルフに行くんです。「工具屋のおっさん」や「京都に嫁の居る電気屋」それに「素手で杵を折ったおっさんの嫁」とか二組で行くんです。名阪の治田で下りるらしいんですけど何処かよう知らんのですわ。6時に迎えに来てくれるんです。今、午前5時半。ほたら行って来ますわ。
2003/11/26  「おでん」の連続記録は8回まで伸ばしたのですが挫折してしまって結局ギネスブックへの登録は諦めたのです。昨日の昼食を「ポミエ」の「豚の角煮定食 ネギ・コンニャク入り 御飯小」にしてしまったのです。大記録は成らなかったのですが「おでん」は未だ残っているのです。今朝もこれから食おうと思うのです。記録の為では無く、純粋な気持ちで「おでん」を食べるのです。昨夜、体重を量ったら、何と!66キロに戻っているでは有りませんか。食い過ぎたのでしょうか?ダイエットのリバウンドなのでしょうか?年内に63キロに戻すと言う綿密な計画の何処かに瑕疵が有ったのでしょうか?先ほど、大は未だ出ず小便だけを良く絞って計ったところ65.5キロだったのです。此処のところず〜と64キロから65キロの間に収まっていたのに・・。「おでん」は太るのかも知れないのです。そうなんです、学術的には証明されてはいないのですが「おでん」は太るのです。でも、此の「おでん」が無くなる日も何れ来るのです。もし、其の日が訪れたならば、もう二度と「おでん」は口にしないと心に決めようかとも思うのですが「おでん」は矢っ張り好きなんです。ビールと「おでん」が有れば生きていけるのです。特に好きなのが「厚揚」さんなんです。「ジャガイモ」さんだって美味しいし、良く出汁の染みた「コンニャク」なんか凄い!の一言なのです。「卵」や「大根」も捨てがたいのです。「たこ」は余り煮込むと柔らかくなってしまって美味しく無いし「竹輪・平天・ごぼ天」も煮すぎは敵なのです。「工具屋のおっさん」は「のら」で「ごぼ天」を注文する時「ごぼう、抜いといてな!」と必ず言うのです。彼は歯が悪いのです。「のら」は三日前から炊いていて煮崩れた奴をごぼうを抜かずに出すのです。「ごぼう、抜いといたよ!」、「うん、ありがとう」 彼は美味しそうに食うのです。彼にはごぼうの有る無しが分からないのです。
2003/11/25  来月なら今日はクリスマス、今月は私の誕生日の翌日なのです。「おでん」連続7食の新記録を樹立したのです。パソコンの調子が悪く、いよいよCドライブのフォーマットも近いかなあ、と思っているのです。ですからメールが見られないのです。時々は店のパソコンでメールのチェックをするのですが良く忘れて、見てないのんか?と怒鳴られるのです。まあ、其れはええのですけど・・。お陰様で昨日からの雨で植木の水遣りをせずに済んだのです。でも、雨のかからんとこへ置いて有る奴の面倒は見なければいけないのです。何であんなとこに置いて有るのかようわからんのですけどネ。ほてから洗濯したんですけどカッターシャツの襟の所の汚れが落ちて無いんですわ。ほて、しょうがないから襟洗いブラシに洗剤付けてこすってもう一回洗濯したんですわ。えらい手間かかりまんねん。話変わりまんねんけど「おでん」ばっかしでは身体に悪いと思うて昨夜は同級生がやってるお好み焼き屋「華」へ行ったんです。中学校の真ん前に在るんです。一昨日の同級生は小学校から高校までの同級生やって、昨日のは中学校の同級生なんです。でも彼「ようちゃん」て言うんですけど、永いこと一緒にソフトボールやってたし、今も「草踏会」とか「20会」なんかも一緒なんです。行って、何にしょうかなあ?と思ってたら、いきなり「おでんどうや?美味いぜ」と言いよるんですわ。「おでん怖い」て言うたりましてん。ほて豚キムチと、焼いてる間に肉のタタキを肴にビール呑みながら馬鹿話してたんですわ。彼とこは嫁はんが社長で彼は使用人やて言うんですけど、嫁はんに言わしたらこの使用人昼間から酒飲むらしいですわ。まあ、仲良うやってはりまんねんがな。家に帰って、風呂を沸かしながら仕事してましてん。30分ぐらい掛かって沸きまして、沸いた言うてもグラグラ沸いたんと違うてええ湯加減になった言う意味でんねん。湯上がりに日本酒が欲しいなあ思うたんですけど、先に火を入れてあった「おでん」を肴にしてしもたんですわ。ほて、7食連続になったんでんがな。わて、ほんまは「おでん」好きなんかも知れまへんねん。
2003/11/24  実の嫁が居なくなって早二日目、何不自由なく暮らしている訳では無いのです。先ず洗濯をしなければならないのです。干して、取り入れて、畳んで、なおして。経理と総務の仕事も増えるのです。植木の水遣り。其れに洗い物もしなければならないのです。食事なんですが、おでんを大きな鍋に一杯作り置いてくれたのです。4食連続おでんを食べたのです。子供も居ない一人暮らし、おでんで一人ビールを飲む侘びしさ。幸い、一昨日は「山椒大夫夫婦」からお誘いが有って「のら」へ行ったのです。でも、昨日は誰からもお誘いが無かったのです。こちらからお誘いするのもご迷惑と思い遠慮したのですが、やはり一人暮らしは寂しいのです。其処で同級生が営む串カツ屋へ10時過ぎから自転車で出かけたのです。約3分こぎ続けると「より道」に行けるのです。此処は夫婦二人でやってるのです。お値段の方は「のら」より一寸高いのです。客は私一人。寒かったのでベストを着、真冬用のジャケットを羽織って行ったのです。店が閑散としていて其れを寒くて脱げなかったのです。そうなると飲み物は熱燗か焼酎の湯割り、ただ今ダイエット中の私は焼酎なのです。うだうだと喋りながら飲む酒は美味しいのです。一時間ほど経ったところで女の一人客が来たのです。50前後で有りましょうか、マスターが歯の浮いた様なお世辞を其の一見客に言うのです。人は褒められれば例えお世辞と分かっていても悪い気はしないらしく、饒舌に喋り出したのです。人の話を聞いているのも間が持つのです。まあ、時々は茶々を入れるのですが・・。同じく同級生で焼き肉屋のおっさんから電話で、家族で此から行くから、と予約が入ったのです。直ぐ思ったのは、予約せんでもええのに、だったのです。時計を見ると午前零時を既に大幅に回っていたのです。待とうかとも思ったのですが、朝の早い身体、失礼して帰ったのです。お風呂はタイマーで沸かして有って、風呂上がりに酎ハイを花林糖を肴に一杯呑み、寂しく寝たのです。明日は淋しい私の誕生日なので有ります。
2003/11/23  今回「1号」はついていたのです。何故なら、初日の夕食はタイ料理では有りましたが結構彼女が食えるものが有ったのです。二日目朝食はバイキング、好きな物が食えたのです。そしてお昼がゴルフクラブの日本料理レストラン。夜はホテルから歩いて10分、スリウォン通りの中華料理店「福ふかひれレストラン」だったのです。此のレストラン、あまり観光客は入って無かったのです。しかし料理はメッチャ美味しくて安かったのです。コース料理を4人前取り、後追加オーダーをしたのですが、3人前追加オーダーは半分、此で十分だったのです。しこたま飲んで食って一人頭2000円だったのです。最終日の朝はまたバイキング、お昼もゴルフ場で日本料理、何と!5食連続希望の物が食えたのです。前回とは大違いだったのです。彼女は好きで好きで堪らない人がタイへ赴任する事になったら、泣く泣く別れると言う位のタイ料理嫌いなのです。まあ、ええのですけど・・。帰ってきた金曜日はメッチャ眠たかったのです。丁度、地上波デジタルの講習会が有ったので聞きに行ったのです。じっと座っていると上の瞼が下の瞼を恋しがり、何時しかしっかりと抱き合ってしまったのです。講習会が終わり、皆が拍手した音で二人は別れたのです。そして昨日はでんでんタウンの大売り出しの初日、朝に出陣式が有り「4丁目のオーディオ屋」の音頭で「えい!えい!おー!」とやったので有ります。そして昨日のお昼、実の嫁が出て行ったのです。お風呂か何かなのでしょうが帰って来るのは12月の初め、長い長い嫁居ない状態になるのです。私のパンツは何処に有るのでしょうか・・?
2003/11/22  昨夜、ボールは仕込んで有ったのです。パッポン近くで10個200バーツ(1バーツは現在2.8円)でもう一個おまけして貰ったのです。手袋、ティーを倶楽部の売店で買い、用意万端が整ったのです。8時半の予約だったのですが、繰り上げて8時過ぎにはスタート出来たのです。今年の2月に同じタイの「ナワタニカントリークラブ」でラウンドしているのですが、其れより暑さはましだったのです。しかもゴルフ場も結構距離が有り、整備も良く行き届き、キャディーも親切で良かったのです。おまけにプレー費は乗用カート、キャディフィー、チップまで含めても6千円ほどなのです。キャディー二人も二人乗りカートの横や後ろに乗るのです。そうなんです、一人に一人のキャディーが付くのです。頼めば何人でも付けてくれるとか、旗持ち、椅子持ち、傘持ちを付けられるのです。ゴルフの内容は兎も角として、楽しいラウンドの結果、優勝は「2号」で60/60、HDCP70、NET50だったのです。準優勝は「1号」が59/65、HDCP60でゲットし、3位「京都に嫁の居る電気屋」、46/47、HDCP18、4位「4丁目のオーディオ屋」、50/47、HDCP18、5位、「私」、54/52、HDCP20、ブービー「家具屋のおっさん」、57/47、HDCP20、べべ「山椒大夫」、52/53、HDCP20 だったのです。帰りもタクシーを呼んだのですが、道を知らないと言うのです。大体のところは倶楽部の人に言って貰ったのですが、タニヤやパッポンを知らないタイ人が、しかもタクシーの運転手が居たのです。大阪で言えば、梅田や難波を知らない事なのです。持っていた観光案内図を見せながら、ジェスチャーで右や、左や、もっと前やと日本語も添えて教えたのです。お陰様で無事、ホテルの前に横付けする事が出来たのです。シャワーを浴び、チェックアウトを済ませ、またまた買い物に繰り出したのです。皆は結構狙った物を買うのですが、私の場合は無目的に、取り留め無く、気の向くまま買うのです。嫁に言わせればしょうもない物を・・。スカイトレインの駅に着いた時とんでもない事が起きたのです。エスカレーターで2階に上がり切符を買おうとした時「山椒大夫」の姿が有らぬ方向へと足早に移動しているでは有りませんか。何と!警察官に連行されているのです。「どないしてん?」と問えば煙草を放す仕草をしたのです。ポイ捨て禁止のバンコクでエスカレーターに乗る寸前に煙草を捨て、其れを警察官に見られ検挙されたのです。後を追ったのですが、彼は1000バーツを支払い直ぐに釈放されたので有ります。一同肝に銘じたのは言うまでも無いのです。そして、何時もギリギリなのですが、予定の7時半を15分ほど過ぎて空港へと向かったのです。勿論、タクシーなのです。空港に着いてから「1号」と「2号」の上着が無いのに気づいたのです。タイは熱帯の国、上着は要らないのです。大阪では要るのです。ホテルのクロークとのやり取りに誤解が有り、こんな事になったのです。親切にもホテルのリムジンで服二着を空港まで送り届けてくれたのです。有り難い事ではあ〜りませんか・・。
2003/11/21  バンコクの夜は遅く朝は早いのです。最終日はゴルフなのです。午前5時半起床、6時食事、6時半出発なのです。行き先はホテルから1時間10分位の距離にある「ローズガーデンゴルフクラブ」なのです。5時半に「1号」と「2号」にモーニングコールをしたのです。彼女等は前日遅刻をしたので念のため電話をしたのです。勿論、此の電話で起きたのです。「京都に嫁の居る電気屋」が食事に来ないのでこれ又電話したら「起きてるよ・・」とさも平気そうな声で言うのですが続けて「もう、皆 飯食ってるよ・・」と言ってやると「えっ!」と絶句したのです。彼も電話で初めて目が覚めたのです。フロントで7人分の車の手配を頼むと昨日と同じリムジンが有ったのです。ところが料金は3000バーツですと言われたのです。即座に丁重にお断りをしたのです。何故ならタクシーなら2台往復で1000バーツ程度とは前の日の経験で知っていたのです。其処で2台のタクシーに分乗して20分遅れで出立したのです。暫くして高速道路に入った時です「2号」が私に「ガソリンメーターが空になってますけど・・」と言うのです。見るとその通り、ご丁重にも残量警告灯まで灯いているのです。助手席の「4丁目のオーディオ屋」にそっと教えてやったのです。彼は目を点にして「運転手さんに言った方がええやろか?」と言うので「言わん方がええやろ」と答えたのです。ホテルを出る時に、行き先を知らない、と運転手が言い、ホテルの掛かりの人に丁重に説明して貰っていたのです。彼等は日本語は元より英語も全く話せないのです。私ですらバイリンガルで日本語、それに流暢な大阪弁を話すと言うのにで有ります。これ以上波風を立てたく無かったのです。そう言うやり取りをしている内にエンジンの水温計がハイエンドに振り切れてしまったのです。オーバーヒートなのです。タクシーは爆走しているのです。ガソリンは無く、エンジンをオーバーヒートさせながらで有ります。しかし、どうもメーターの故障と気づいたのです。何故なら水温系の針が突然下がったりまた上がったりし出したからなのです。一同、ホット胸を撫で下ろしたのです。其れも束の間、車が突然止まったのです。ガス欠やオーバーヒートでは無く、前を走っていたもう一台のタクシーが車を左に寄せ止まったからなのです。どうも道に迷ったようで有ります。運転手同士が私たちの分からないタイ語でやり取りをし、前後を入れ替えてリスタートしたのです。その前からどうも道が違う様な気がし、心配が募っていた私たちの心の負担は最高潮に達したのです。ローミングをしてあった「1号」の携帯でゴルフ場に電話し、運転手と話をして貰ったのです。一時はホテルに帰る事まで覚悟した私達はゴルフ場に到着した時、思わず全員で拍手してしまったので有ります。
 2003/11/20  二日目の朝も快晴。ダブヌン・サドアック水上マーケットへ行くのです。バンコクの中心部から南西へ約80Km、150年以上も前のラマ4世時代に作られた運河が舞台なのです。バンコクがかつて東洋のヴェニスと呼ばれていた頃の面影を今に残すのがこの水上マーケットなのです。両岸の店、また行き交う船は商品の山、其処を小船で買い物ツアーをするのです。起床は午前6時、6時半からホテルのレストランでバイキング形式の食事なのです。日本料理、西洋料理、タイ料理とデザート、フルーツ、飲み物も豊富に揃っているのです。ところが、あのタイ料理を目の仇にしている「1号」と「2号」が来ないのです。「1号」など、この朝食のみが唯一の食べられる食事なのです。直ぐに電話をすると、6時に目覚ましをセットしたのですが、コンマ2秒で無意識に止め寝過ごしたとのお言葉で有りました。レストランに来た時、覚悟していたのか食事券も持って来無かったのです。其れでも「直ぐ出るぞ!」と言えば涙目になり、哀れを催し、出発が30分延びたのです。ホテルで予約した10人乗りの最新型リムジンワゴンはベンツ、ボタン一つで運転席とのギヤマンの仕切りが上がり、20インチの液晶テレビが出てくる優れものなのです。6時間の約束で7000バーツ、日本並のお値段なのです。タクシーなら2台合計、往復で2000バーツ程度、でも一寸した贅沢で有ります。途中、トイレ休憩を兼ねてビールを仕入れたのは言うまでも無いのです。ご機嫌さんで到着したところは去年来たのとは違った景色、おや?と思ったのですが運河と船は有るのです。まあ、ええかとエンジン付き、10名乗りのチャーター船に乗り込んだのです。運河を猛スピードで走る事30分、見慣れた風景に出会えたのです。小船に乗り換えショッピングと言うよりは値切りを楽しんだのです。まあ、言い値の5分の1から10分の1から値引き交渉をスタートするのがコツなのです。3分の1から5分の1のあたりで交渉は成立するので有ります。僕ちゃんもこんな商売を一辺してみたいと思うのです。船から降りてからが大変だったのです。元来た運河を戻り、車の居る駐車場まで戻らなければならないのです。降りたところで乗ろうとするのですが、「あっちや」と言われ其の方向へ行くと、駐車場が有るのです。我々の止まった所では無いし、船の欠片も無いのです。一同路頭に迷っていると、我がリムジンの運転手さまが「お帰りなさい」と目で言うでは有りませんか・・。彼は車をこちらの駐車場まで移動させて居たのです。打ち合わせもへったくれも無く、もし我々が強引に元の駐車場まで船で戻っていたらどうなっていたのでしょうか???天は我等を見放さず賜ったので有ります。まあ、多分こういう段取りになっているのでしょうが・・。帰りに「山椒大夫」と「へのもと」がゴルフをしたいと我儘(わがまま)を言い出したのです。この糞暑い日中になのです。其処でローズガーデンゴルフクラブへと車を進めたのです。昼食も此処の日本料理レストランで摂ったのです。お造りから天丼、日本風の焼ソバまで有るのです。クラブハウスから見る景色は抜群、明日のゴルフを此処にしょうと午前8時半に二組予約を入れたのです。残りの5人はホテルへ戻り、汗を流し、ショッピングへと旅立ったので有ります。
2003/11/19  天気は良し、「京都に嫁の居る電気屋」は午前7時前にはうちに来たのです。7時半のラピートに乗るのに7時10分でええと言うていたのに早くに来たのです。まあ、子供の遠足みたいなものなのです。約束の時間を5分過ぎても「4丁目のオーディオ屋」が来ないので電話を入れたのです。運命のお導きなのでしょうか?私の電話にバイブで目覚めたのでした。「あっ!寝過ぎた、直ぐ行くわ」との返事だったのです。そして折り返しに「あかん、間に合えへんわ、先に行っといて」と追伸が入り、二人でラピートに乗ったのです。其処へ「山椒大夫」も嬉しそうに来たのです。「4丁目・・」は日本橋ではなく天王寺の自宅に居たのです。なんでも、嫁が目覚ましを速攻で消し、「お前何で消してん?」、と聞けば「バンコク、今日やったん?」と答えたそうで有ります。喧嘩する間も無く8時のラピートで後を追ったのでした。彼は念の為携帯でも目覚ましをセットしていたのです。でも、サイレントモードになっていて、しかも設定日付が寝る前に一日先の日付でセットしたのです、午前零時を回ってから・・。ですから、バンコクのホテルで翌日携帯は正確に目覚時計としての役目を果たしたので有ります。フライトは10時、時間はタップリと有ったので全く問題は無かったのです。生ビールを飲みながら時間待ちをするのは何時ものセレモニーなのです。乗ってしまえば飲み物は只なのですが、其れまでに死ぬかもしれないので、たとえ有料でも先に飲む事にしているのです。早くも土産物を買う輩が出てきたのです。予定通り飛行機の中ではビールに始まって白ワイン、赤ワイン、ウイスキーと一通りはこなしたのです。空港からホテルまでは一人120バーツの乗り合いバスで行ったのですが、タクシーだったら200バーツぐらいなので二人乗ればタクシーの方が安いのです。まあ、日本とはかなり違うシステムと言うか人件費が違うのです。ドアだって自動ドアにするよりドアボーイを付けとく方が安いのです。予定通り4時前にはホテルに到着したのです。シャワーを浴び、早速街に繰り出したのです。先ず腕時計を買ったのです。私はポロのダイヤ入りのを買ったのですが、カルチェもブルガリもポロも同じ1500円なのです。まあ、商売には熱心なのです。しつこいとも言うのですが・・。夕食はタイシャブ、山海の幸を好きなだけ鍋に入れて食べるのです。本当に美味しいのです、もし香辛料等をつけなければ。現地の人は其れに訳の分からない香辛料、唐辛子や醤油、塩、砂糖をふんだんにおつけになるのです。「1号」は此の香辛料の臭いが全く駄目で、食い物屋の屋台の側を通るだけで、まるで妊婦の様にえづくのです。彼女にとってタイ料理は敵なのです。
2003/11/18  朝10時半から会議が有ったのです。「日本橋まちづくり振興株式会社」の取締役会なんですが、例のJTの前広場を使ったイベントとフリーマーケットの話、其れに空き店舗を借り上げる話等が出たのです。勿論、コンセプトは日本橋のまちづくり、なんですが電気屋に限りない愛情を持ってやるのです。JTの場所でやるイベントならコスプレがええとかの話も出たのです。午後2時からは「日本橋筋商店街振興組合」の理事会が有ったのです。6時半からは「浪速区歴代PTA会長会」の秋季総会。此には「ハム屋のおっさん」、「新世界のマッチョマン」、「難波の不動産屋」等々も来ていたのです。毎日毎日会合続きで「会議を減らす会議」なんてのも一辺やろうかとも思うのです。帰りに、久し振りに「のら」へ寄ったのです。居るメンバーは何時もと同じ、先日優勝した「さぶろうさん」、3位の「かつおさん」等だったのでゴルフ談義に花が咲いたのです。其処へ「白塗り」、「くっさん」が来て、葬式の話になったのです。焼香のやり方はどうするのが正式か?とか言い出し、葬式の専門家でも無い私に聞いて来るのです。まあ、一応蘊蓄は傾けたのです。色々やり方は有るのですが、真宗では数珠は左手に持ち、親玉を親指で押さえるのです。ご遺族に一礼して遺影に向かい暫く見つめた後合掌する。右手で二度焼香するがその際お香を額には頂か無いのです。何故なら焼香と言うものは殉死の名残なのです。自分の身を焼く代りにお香を自分の五臓六腑に見立てて焼くのです。ですから、自分の身体を額に頂くのは可笑しな話に成るのです。再度、ご遺族に一礼しお立ち台に居られる方々の前を通り礼をする。まあ、此が作法やとか言ったのです。心が籠もれば適当でええとも思うのですが・・。「難波の不動産屋」が来たところで明日の早い身なので失礼をしたのです。今日からバンコクへ行くのです。「茶菜会」なのです。メンバーは7名。帰国は21日になるのです。商業視察も早起きをしなくてはならないのです。現在時刻は午前5時半。自然に目が覚める我が身を恨むのです。
2003/11/17  自分で自分を褒めてやろうと思うのです。二回ほど飛ばした「飲まないサンデー」を昨日は完全実施したのです。其れで、眠れずに12時半頃まで仕事をしていたのです。結局、寝床に着いたのは1時を回っていたのです。身体に悪いのでは?と思うのですが、如何でしょうか?其れでも朝は6時にキッチリ目が覚めるのです。こんな身体に誰がした?まあ、ええのですが・・。昨日は「NASA」が後援しているキャッチで言えば、第13回を迎える恒例のオーディオ&ビジュアル・イベント「オーディオセッション in OSAKA」、を見て来たのです。「NASA}と行っても「米航空宇宙局」とちゃいまんねん「日本橋オーディオ店会」なんです。会長が「4丁目のオーディオ屋の専務」、事務局長が「3丁目のオーディオ屋」なのです。今年は各社ともシアターシステムオンリーだったのです。会場が心斎橋と南船場に別れているので各会場と日本橋でんでんタウンとを結ぶシャトルバスが運行されているのです。しかし私は自転車で行ったのです。健康の為、いやまあなんとなく・・。話には聞いて居たのですが、見たのです。何を?て、普通500円位で売ってるテーブルタップですがな。あの電気をタコ足配線する、プラグをコンセントに差してコードが有ってコンセントが3つに増やせると言う・・。8万円もするのです。2重シールドやとか3重やとか、よう分からん事が書いて有るのです。まあ、マニアは信心からですからねえ。ほてから、2個目の会場に行った時「嫁の旧姓を名乗るおっさん」に遭ったのです。彼は会場の当番なのです。其処へ「元日本橋に居たおっさん」が来たのです。其処で三人でお茶を飲もうと言う事に安易になって「クリスティー長堀」に下り喫茶店を探したのです。地元以外では茶店を探すのも大変なんです。ウダウダと喋っているうちに5時前になりもう一つの会場を見られ無くなってしまったのです。まあ、色々情報交換が出来たのでよしとするのですが・・。
2003/11/16  結局「白塗り」が初優勝したのです。実力制になった「日本橋麻雀倶楽部 第10回記念大会」は昨夜、小雨を押して開催されたのです。過去、「京都に嫁の居る電気屋」が5勝、私が3勝、「泉佐野のおばはん」が1勝、そして今度の「白塗り」なのです。実力制と言いながら「京都・・」は25,000点、私は27,000点持ちにされたのです。他の皆は30,000点持ちなのです。何処が実力制なのでしょうか・・?まあ、ええのですけど。3ゲームするので其れだけで9,000点のビハインドなのです。今回、べべは「京都・・」だったのも頷けるのです。勿論、私は僅かでは有りますがプラスなのです。ビール、酎ハイ、ウイスキー、焼酎とアルコール類は豊富に用意して有るのです。昨日の献立は「ポミエ」の「ハンバーグ定食」、「豚と茄子の生姜焼き定食」、「焼き肉定食」の中から先着順にチョイス出来たのです。後、デザートにリンゴと柿の差し入れが有ったのです。其れはそうと、最近電光表示板のプログラミングが面倒になって来たのです。前は月に一度か二度の変更で済んでいたのですが、飛び入りが有って大変なんです。今月など9日までがの衆議院選挙の啓発表示、9日から30日までは大阪市長選挙の啓発表示が入ったのです。其処へ赤札市、ナショナル/パナソニックフェア。消防署の啓蒙標語が8日から変更になり、其処へ「ドットホン」のイベントが入るのです。通常の商店街の表示を出来るだけ変えずにこれらを最適に入れなければならないのです。ほてから、かなり旧式のシステムなので、思った様になかなか上手く動いてくれないのです。まあ、実の嫁よりはましなんですが・・。嫁で慣れてなければ挫折するところで有ります。感謝しなければならないと思う今日この頃で有ります。
2003/11/15  昨日は朝10時半からでんでんタウンの三役会・理事会が有ったのです。途中、大阪市による「でんでんタウン商業調査」の中間報告が1時間ほど入り、終わったのは結局2時。飲まず食わずだったのです。家に帰ると食事の用意がしてあったのです。マグロのお造りと一銭天ぷら、それにおでんのこんにゃくと大根が一個ずつ。10分で食べ、山と有る仕事をこなしていると電話が有り「ほこてん」がらみの呼び出しが有ったのです。その帰りにNHKの姉ちゃんから電話が入り、店で待ってると言うのです。12月3日の打合せなのです。5時50分に切り上げて夜の会合の準備をしていると事務局から電話が入り、絵画屋のキャッチが違法な事を公然としたので今警察を呼んでいるから直ぐに来てくれ、と言うのです。最初、路上で警察の来るのを待っていたらしいのですが事務所に連れて行くと言う追伸が入ったので事務所に出向いたのです。二人のキャッチボーイに対してでんでんタウンスタッフが10人以上居たのです。6時の会合に既に30分近く遅れていたので、まあ此だけ居れば大丈夫と思った所へ「カーステレオ屋のおっさん」が警察官を連れて来たのです。まあ、警察官の後ろを付いて来れば連行されている様にも見えるのですが、逆に彼は気が急いているので警官を引き連れる様にして事務所に入って来たのです。此で大丈夫と思い「天王殿」へと向かったのです。9時前には会合を終え帰宅し仕事をしていたのです。ところが実の嫁は母を送って小坂まで行って留守。一段落したところで一寸「のら」へと出向いたのです。「けいすけ」と九州から出て来られた彼のお父さんが居られ、手みやげの「百年の孤独」をご賞味させて頂いたのです。犬も歩けば棒に当たるもので有ります。
2003/11/14  「のらの会」は途中一寸傘をさす場面は有ったものの概ね良好な天気の元「さぶろうさん」の優勝でその幕を閉じたのです。46/46、HDCP20、パープレーでの優勝でした。2位は新人の「さえきさん」で42/46、HDCP15、1オーバー、38・43、HDCP8の「かっちゃん」が年齢差で3位となったのです。べべは「でん」でブービーは新人の「あっちゃん」、女子の部優勝は何と!「太郎」が55/58、HDCP36でゲットし総合でも5位になる活躍で有りました。しかし彼女としてはスコアには未だ不満が有るようで人間の欲とは限りの無いもので有ります。私は52/47,HDCP20で11位、やっと上昇気流に乗り復活の兆しを見せているのです。午前中は4ホール連続トリプル、木に当たってのOBが2回も有る不運にも挫けず辛抱に辛抱を重ねる事が出来たのは偏に私の精神力の為せる技なので有ります。まあ、パター数31が示すようにアプローチパットが良くなった事が落ち目のショットをカバーしたのです。「4丁目のオーディオ屋」が48/49,「工具屋のおっさん」が42/44、「家具屋のおっさん」が53/51、「のら」は50/57、「くっさん」は64/69、「せきちゃん」が52/49、「泉佐野のおばはん」は66/68、「子供を食い物にするおっさん」は56/55、「山椒大夫」は47/56、「しんべべのたえこ」が75/66、「名前を明かせないおっさん」が48/53、「難波の不動産屋」が55/53、「べべのようこ」は67/70とおしなべてしょうむない順位で有りました。遅いスタートで帰り着いたのは既に7時を回っていたのでした。其れからほこてん絡みの会合が有り、遅れて「のらの会」の2次会会場に行けば超満員の16名が居たのです。入れ替わり立ち替わり人が出入りしたのです。あまつさえコンペと関係ない「下駄屋のおっさん」、「たーちゃん」まで来て大騒ぎでありました。言い忘れたのですが、会場は座席数10席の「のら」だったのです。眠たくなった私は早々に引き上げたので有ります。
2003/11/13  お早うございます。まあ、初めて此処でご挨拶する言葉なのです。昨日の朝食のメニューはミスドーのシュガーレイイズドと生ミックスジュース、其れに豆腐の味噌汁と目刺しだったのです。この取り合わせも初めてなのです。先日、実の嫁に、ミスドーのドーナツを何でもええから200円分以上買ってきて欲しい、と頼まれたのです。ポイントカードが貰えると言うのです。10枚で「バインダースケジュールン」と言う手帳の様なモノが貰えるらしいのです。もう随分昔から嫁は子供達にせがまれ「スケジュールン」欲しさにドーナツを食っているのです。当然、私も其の犠牲者になるのです。4千円分食わなければ成らないのです。28歳と26歳の息子達が未だに其れを欲しがっているとは思えないのですが、そう言う事で朝食にドーナツが出たのです。そして昼食のメニューなんですが、何と鰯の天ぷらと野菜天、お味噌汁に野菜の炊いたもの。そして主食がメロンパンだったのです。一応「メロンパンにする?御飯にする?」と声を掛けて頂いたのですが、続けて「其のメロンパン、焼きたてなんや」と被せられたのです。選択の余地は無く「メロンパンにする」と悲痛な声を上げたのです。メロンパンは一応私の好物では有りますがこの組み合わせは初めての事なのです。朝食の事情は分かるのですが、昼食の訳は未だ聞いてないのです。来週、バンコクへ行くのですがあちらの食べ物を思い出したのです。ラーメンにはホルモンが入っていて、其処に唐辛子、塩、醤油、酢、砂糖を思い切り入れて食うのです。其れが美味しいと思えるように成ると一人前のタイ人なのです。どんな組み合わせで有ろうと美味しいと思える人間に私は早く成りたいと思うのです。其れはそうと、今日は「第14回 のらの会」で「聖丘カントリー倶楽部」へ行くのです。11組43名の出席を予定しているのです。午前10時8分のスタートなので朝はゆっくりと出来るのです。ハンディキャップは20。先週に引き続いて2週連続優勝を狙っているのですが、柳の下に2匹居るのかどうか?おごれる人も久しからず、なのでしょうか?ほたら、行って来ます。
2003/11/12  「山椒大夫」の腎臓結石が出たのです。何やら溶かす薬を貰っていたとか、途中で支えた様に成りながら何とか出たのです。小瓶に大事そうに詰めてあったのを見せて貰ったのですが、米粒の半分位だったのです。こんなのが詰まるとつまらんなあ、と思ったのです。途中で引っ掛かったらどうするのかとか、どないにして回収したのかとか、ものげっつう痛かったやろとか、色々考えてしまうのです。「新べべのたえこ」に聞いたら、ここのところ彼はず〜っとご機嫌が悪かったとか・・。其の胸の支え、いや「・・・」の支えがとれたのです。大変に目出度い事だと喜んだのです。何故なら来週が「茶菜会」のメインイベントなのです。もしこの前の様な発作が起きれば彼は行けなくなるのです。彼だけでは無いのです。此の日曜日に「1号」が原チャリで転けたのです。可愛そうに肋骨が一本折れ、二本にひびが入ったのです。にも関わらず、月曜日に「茶菜会」の集金にうちに来たのです。顔をタオルで覆って・・。何事かと思ったら鼻血が出ているでは有りませんか!残念ながら来週の「第二回 茶菜会」のバンコク行きには彼女は行けないのかと思いきや、ゴルフもすると言うのです。肋骨が折れるのには慣れているとも言うのです。あんなもんに慣れる筈は無いのですが・・。其れに加えて、もう一人のメンバーを飲みに誘ったところ、医者から酒と風呂を禁じられているとか・・。何故かと言えばインフルエンザの予防注射を家族でしたのだそうです。例年そんな事はしないそうなのです。嫁に言われ予防注射をしたのです。サーズの流行も心配される事だし(サーズには効かないのです)、亭主の身を案じての嫁の心暖かい気配りかと思ったのです。実は来年が子供達のお受験なのだそうです。亭主から子供にインフルエンザなどうつされるとえらい迷惑なのです。子供は宝なのです。そう言えば実の嫁も同じだったなあ・・、いや今もそうなので有ります。今日も日本は平和なので有ります。
2003/11/11  昨日、久し振りに「のら」へ行ったのです。晩ご飯を食べた後「WinMX]の研究をしていたのです。まあ、研究と言っても色々試してみるだけなんですが・・。先日、NHKのテレビで「WinMX」の話をしていたのです。其処でYahooで検索をして其れを見つけインストールして試していたのです。このソフトは色々なファイル、すなわち映画とか音楽とか画像とかを個人的に交換するソフトなのです。著作権に触れ違法と言う話も有るのですが未だ良く判らないのです。しかも日本だけでも300万人程度のユーザーが居るとか・・。交換と言ってもただ一方的に取り込む事も出来るのです。ですから趣味で色々なソフトを見返りを求めず提供してくれる良い人も沢山居られるのです。しかも米国で封切りされ未だ日本で未公開の映画、来年公開予定の映画なんかが有るのです。おまけに、ご親切に日本語字幕まで付けてくれるのです。まあ趣味の世界なので商売で言う損得勘定は無いのです。昨日発売されたCDもそっくりネット上に有るのです。残念な事に此のソフト、全て英語なのです。でも、ボランティアの方は何処にでも居られるのです。ご親切に日本語の解説を微に入り細に入り、超初心者でも分かる様に書いて有るのです。其れが一つや二つや無いのです。其の上、英語のソフトを日本語版に変更するソフトまで有るのです。其の研究の途中でチャットが入ったのです。「4丁目のオーディオ屋」が、今やっと宣伝販促委員会が終わった、と言うのです。午後9時前で有りました。と、言う事で「のら」へ行ったのです。其処には「さぶろうさん」と「たーちゃん」が居たのです。「のら」も椅子に座りお客様していたのです。彼は丁度腰を上げるところだったのです。しかし、座り直したのです。「たーちゃん」が言うには30分ほど前に彼女が来た時も帰るところだったのだそうです。10時ごろに「くっさん」が来たのです。丁度、「さぶろうさん」が帰るところだったのです。また、座り直したのは言うまでも無いのです。少しして彼はお勘定を済まし立ち上がったのです。其れからがまた長いのです。立ち上がった事でフットワークが良くなったのです。「くっさん」等の所へ行ったり私達の所へ来たりで・・。結局、彼以外の全員が帰る時にも彼は座って居たので有ります。イラン、サウジは遠く、日本は平和なので有ります。
2003/11/10  実の嫁の話によると、難波を午前8時12分の南海高野線の急行に乗り、学文路駅で降りたのです。これで「かむろ」と読むのです。私の母の実家が学文路の一つ手前の駅、紀伊清水から徒歩20分の所に在るのです。9時15分着、田舎なのです。「学文路刈萱堂」が最初の目的地、「妻子を捨てて出家をした父を追って、石童丸(いしどうまる)は母とともに高野山へ赴くが、女人禁制という厳しい掟によって母はついに入山を果たせず、亡くなってしまう。石童丸は一人で高野山に入り、道心という僧侶の弟子になったが、実はこの道心こそ石童丸の父親だった・・。」平安時代末期の悲話、石童丸物語で有ります。ほて、何故か人魚のミイラが有り、石童丸の母が常に側に置いていたと言う話まで付いているのです。見てきた、と言うのです。まあ、あっちこっちの地方に人魚のミイラが有り、大抵はサルの頭に鮭の胴体を付けて有るとか、レントゲンを撮って分かったとか・・。まあ、夢をわざわざ潰す事も無いのにとは思うのです。次が此処の水は万病に効くと言う「学文路大師」に参ったのです。そして学問の神様、菅原道真を祭った「学文路天満宮」。面白いのは、学文路駅で5枚入りの入場券を売っていて、「学問(文)の路に入場する、すなわち入学する」、の語呂合わせで天満宮でお祓いをうけた其れを販売しているのです。何でも商売になるものです。由緒有る「成就寺」、瓦屋根に格子戸の「清水の町並み」、紀ノ川の渡しに在る「三軒茶屋常夜灯」、高野山を戦火から救った応基上人が開いた「応基寺」、まあ安易な名前では有りますが・・。雨も降ってきたらしく、後半は足早で2時半ごろには帰って来たのです。私の方は夜、店が終わってから某メーカーのお別れ会に行ったのです。42年間日本橋の地に在った営業所が移転してしまうのです。80人ほどが懐かしく集ったのです。話をしろと言われ、昔は各メーカーの販売会社の名前は「浪速・・・」が大方だったのですが、最近は訳の分からない横文字が並び、弔電を読むとき必ず葬儀屋が舌を噛む、販売会社の名前を「日本橋・・」になって帰って来るよう我々日本橋の販売店は努力せないかん、とか言うたのです。
2003/11/09  昨日は朝から歩行者天国絡みの会合が有りました。どうやら実現可能性は55%程度まで上がったようで有ります。まあ、しかし難問は山積しているので油断はならないのです。午後2時半には「大阪観光コンベンション協会」と言う大阪市と大阪府の外郭団体の案内で中華人民共和国 北京市の高等学校の先生方が24名でんでんタウンを視察に来られたのです。何でも来年度あたりから日本へ修学旅行に連れて来る計画が有るそうで、其の下見に来られたのです。当初3時の到着予定が30分早まったのです。しかも、予定していた商店街事務所がダブルブッキングで使用できない事がその時初めて分かったのです。大慌てで代りの会場を探し到着される直前に用意する事が出来、事無きを得たのです。でんでんタウンの概況を簡単に説明したのです。勿論、流暢な大阪弁なのです。通訳の方が居られたのです。慌てて作った中国語のパンフレットと地図をお渡しして街をご案内したのです。出発時間に約1名が遅れたのです。探し出し、バスにお連れした時には既にバスは扉を閉め出発していたのです。幸い、信号待ちをしていたところへ上手く乗せる事が出来、ホットしたのです。観光旅館のお見送りと同じくバスに手を振ると、熱心に手を振り返えしてくれたのです。「事務局のおっさん」、「5丁目の部品屋」等、一同慣れない事で緊張していたのですがホットしたもので有ります。其れはそうと今朝早くから実の嫁が出て行ったのです。ちゃいまんねん、家出やおまへんねん。何でも、友達のグループと高野街道を歩くと言うのです。最近、山登りやウォーキングに凝っているのです。そして、毎日朝晩体重を計っているのです。
2003/11/08  天王寺公園の横の通りは「カラオケ通り」と呼ばれ道路上にカラオケ屋が沢山有るのです。20年ほど前から自然発生的に出来、今では飲食物も提供するカラオケスナックと成長してきたのです。大阪市が先日彼等に立ち退きを要請したのです。20年も放置しておいたたものがそう簡単には行かないとは思うのですが・・。でも、動物園のコアラの繁殖にも悪影響が出ているとか。「カラオケや 歌う天国 聞く地獄」と言う詩も有るのです。この通りを避けて通る人も多いのです。話は突然変わるのですが「綾小路きみまろ」が面白いのです。前にも聞いた事が有るのですが、先日「ニコニコ会」帰りのバスでテープを聞いたのです。メッチャ面白いのです。帰ってからMP3で手に入れたのです。今も其れを聞きながら書いているのです。中高年のおばさまをネタに一人喋り続けるのです。「ようこそいらっしゃいませ。お元気ですか?お元気だから此処にこられたのです。」で初まるのです。「悪い事は重なるものです。道に10円玉が落ちていたのです。拾王として胸のポケットの500円玉が落ち、コロコロとマンホールに・・」、「年を取ると健康が大事なんです。健康の為なら命もいらないのです」、「牛乳が健康の為に良いのです。牛乳を飲み続けると健康になれるのです。まあ、牛乳を配達している人の方が健康になれるんですけどネ」テープ、CDで販売されていますので是非一度お聞き下さい。
2003/11/07  「3丁目のオーディオ屋」を乗せ「3丁目の電気屋」を迎えに行ったのです。チャイムを鳴らすと嫁が直ぐ出たのです。亭主は寝ていたのです。聞くと、何でも4時に寝たらしいのです。チャイムの時間は午前5時45分、睡眠誘発剤を飲んでいる彼が起きるのは至難の業だったのです。そして「両足を複雑骨折した電気屋」を乗せて阪神高えびす町入り口から一路西宮北へと向かったのです。「両足・・」の話では一週間前に一寸重たい荷物を持った拍子に肋骨を亀裂骨折したのだそうで、前日にクラブが振れるかどうか試し、まあ何とか行けそうなので出て来たのだそうです。まあ、頑張るモノで有ります。着いたのは6時45分、40分ほどで到着してしまったのです。食堂も開いて無かったのです。集合時間は7時15分。食堂が開くのを待ちかねて生中を一杯だけ飲んだのです。INからのスタート、同伴したのは「いっちゃん」、「五階の電気屋B」、「5丁目の電気屋」だったのです。パー、ボギー、ボギーと順調なスタートを切ったのです。2ホールを残して35、ボギー、ボギーで45で上がれる、と有頂天になったのです。途端に、トリプル、トリプルを叩き、結局49だったのです。昼からも其れが尾を引きトリプル、トリプルのスタート。でも、頑張ったのです。最終405ヤードのミドル、ティーショットはまあまあ。残り200ヤードをスプーンで打ち2オン、20メーターのファーストパットを3メーターまで寄せ、難しいラインを強気で打ちパー、49/49で上がったのです。二位の「3丁目の電気屋」はこのホール、50センチを外しダボ。何と!1ストローク差で私が優勝してしまったのです。8月7日の「レイクフォレスト」以来11試合目でやっと90台で回ったのです。4月3日の「草踏会」いらい7ヶ月ぶりに本年度4勝目をあげたのです。記録を付けだして以来、私としては年間最多勝なのです。「ニアピン」、「おしどり」、「馬」もゲット、至福の時を過ごしたので有ります。バンザイ!バンザイ!
2003/11/06  今日は此から「西宮高原ゴルフ倶楽部」へ行くんですが、起きる時間を間違えて、もう時間が無いんです。そやから雑記帳も書く時間が無く、ほたら行って来ます。そんな訳で帰ってから書き足しているのです。昨日は「茶菜会」の事務局会議が有ったのです。会長と二人で予備会議をしている間「4丁目のオーディオ屋」は「1号」、「2号」を連れて桜宮の打ちっ放しへ行ったのです。合流して会議場の有る京橋まで行き5人で本会議となったのです。毎回そうなのですが、具体的な事がなかなか決まらないのです。結論は「まあ、適当でええんちゃう」になるのです。其れやったら会議なんかせえへんでええんちゃう?との声が聞こえて来るのですが、その通りなのです。ですから「茶菜会」の目的を「会議をする事」に変えた方がええんとちゃうかと思う様になった今日この頃で有ります。
2003/11/05  13:30から商店街の役員会、14:30からビジョン委員会、15:30からまちづくり会社の役員会、おまけに17:00からの宣伝販促委員会にまでつき合わされたのです。今話題の「IP電話」の販促とでんでんタウンの大売り出しをタイアップしてやろうと言う企画なのです。一日が48時間有ればなあ、と思うのです。睡眠時間が6時間、仕事の時間が6時間、会議の時間が6時間、食事の時間が30分、朝のお掃除が20分、その他の時間が2時間10分、そして一番大事な飲んでる時間が3時間、残念ながら私に与えられた時間は24時間しか無いのです。まあ、其れでも今が私の人生にとって一番幸せな時期ではないかと思うのです。出来ればず〜と死ぬまでそう思えれば最高なんですけど、そうは問屋が卸さないとは思うのです。ですから今が一番なのです。実の嫁にも何時もそう言うのです。今が幸せと思える人が幸せなんや、と・・。すると、「幸せや思えるとこも有るけど、そう思われへんとこも有る」と言うのです。其れでは駄目やと言うのですが十分なご理解が得られないのです。嫁を教育するという事は非常に困難な事なのです。宇宙の真理を解明する事よりも難しいのです。もし、嫁を教育する方法を会得する術を見つける事が出来たら「ノーベル賞」も夢では無いのです。
2003/11/04  件(くだん)の「NHKの姉ちゃん」が朝から来て、日本橋を取材したいので案内して欲しいと言うのです。個性の有る店、個性の有るおっさん・おばはんが居る店がええらしいので其れらしい店を回ったのです。横で、聞くとは無しに聞き耳を立てていると、私も知らないお話も出てきて結構面白いのです。ベーターカムやブルーレーザーディスクを置いてる店も有ったのには電気屋の私も驚いたのです。電気屋、家具屋、工具屋と色々な業種を取材したいと言うのでお連れしたのです。ところが午後1時からはお葬式が有ったのです。其処で午後からも案内するという事で2時過ぎまで中断したのです。慌てて服装を黒に変えお葬式へと出かけたのです。敬虔な仏教徒で有ります私としては、お経を聞きながら数珠玉をいじっていたのです。手の中で突然数珠玉が弾けたのです。いや、球じゃ無く数珠の紐が切れてしまったのです。幸い紐の塾縛から離れた球も全て回収出来たのですが、本体のお数珠さまをどうするか、悩みに悩んだ挙げ句切れた紐を結んで何とか輪にする事が出来たのです。ところが困った事に小さくなった輪には両手が入らないのです。ご焼香の時には仕方なく指2本を抜いて手を合わせたのでした。心を込めてご冥福をお祈りさせて頂いたので、決して手抜きじゃ無いのです、指抜きなのです。帰りに数珠の修理をお願いするべく、直ぐ側の仏壇屋に寄ったのです。残念な事に閉まって居たのです。そう言えば其の仏壇屋のご主人をお葬式で見かけたのです。彼は店を閉めてお葬式に来られて居たのです。午後からは「工具屋のおっさん」の店にも行ったのです。社長さんはどんな方ですか?と、事前に聞かれたので「朝9時に母親に、起きや朝やで・・、と起こされ、店を開けたら直ぐ喫茶店に行き、帰ってきて一寸仕事をするとお昼の休憩をタップリ取りお昼寝までされるのです。店に居る時は頬杖を突いてテレビを見てる」と答えておいたのです。店に近づくと「工具屋のおっさん」はまさに其の通りの格好でテレビを見ていたのです。「NHKの姉ちゃん」は堪(こらえ)えきれずに笑い出したのでした。
2003/11/03  朝になっても極上のステーキ肉の様に膝の傷から血が滲んでいたのです。其処で「新キズドライ」というパウダースプレーを試したのです。主成分はイソプロピルメチルフェノール、塩酸ジプカイン、アラントインなのです。約10センチほど離してスプレーするのです。傷を覆うように膜を張り殺菌・消毒作用が有るのです。お陰様で血は止まり、触ると痛みは有るものの回復しつつ有るのです。突然話は変わるのですが、お通夜に行くと「4丁目の照明屋」が受付に座っていたのです。仏様の隣組は「あいおい会」と言うのです。「日本橋北振興町会」を構成している組織の一つなのです。其の長老各の「ケース屋のおっさん」が葬儀委員長を務めて居たのです。町会長の「4丁目の不動産屋」を初め存じ寄りの方々が居られ、また次々とお参りに来られたのです。因みに私が属している隣組組織は「ニコニコ会」なのです。懇ろに供養した後、飯を食いに行ったのです。其処へ「新べべのたえこ」から電話が有り、例のショットバー「坂口」に居る「山椒大夫」も来るから来い、と言うのです。気の弱い私と「4丁目のオーディオ屋」はノコノコと呼びつけに応じたのです。其処へ「元祖べべのようこ」、「のら」、「子供を食い物にするおっさん」が来たのです。彼女等はゴルフ帰りなのです。世界経済・宇宙工学の話題で盛り上がり、時は過ぎて行ったのです。本当は「飲まないサンデー」だったのですが、仏様の供養の為のみに、飲んでしまったのです。南無阿弥陀仏。
2003/11/02  右の膝小僧を擦剥いたのです。昨夜は「日本橋麻雀倶楽部」の総会、毎月第一、第三土曜日がそうなのです。総会と言っても司会者が居て議長が居て議決をする訳では無く単に麻雀をするのです。実力制になって早9回。「泉佐野のおばはん」がまぐれで1度優勝したのです。「京都に嫁の居る電気屋」が何と!5度も優勝しているのです。そして昨夜の優勝者は私で3度目なのです。参加者は12名。其の内、遅れて来た「4丁目の照明屋」は見学だったのです。彼の存じ寄りの方のお父様がお亡くなりになり、其のお手伝いをしていたのです。今夜がお通夜。昔、電気屋をされていたのですが、今は店を貸し自分は違う仕事をされているのです。明日の葬儀は午後1時から「日本橋振興町会集会所」で執り行われるのです。喪主は奥様。享年86歳、心よりご冥福をお祈りしたいと思うのです。麻雀倶楽部では何時も弁当を用意してくれるのです。最近は「ポミエ」の定食弁当が多く、昨日は「海老フライ定食」だったのです。此がなかなか美味しいのです。麻雀に勝って意気揚々と狭くて急な階段を下りたのです。本当に急なので細心の注意を払って下りたのです。扉を開け一歩踏み出したところで転けたのです。出て直ぐの所に溝が有ったのです。昨日急に出来たのでは無く、前から有った様なのです。見事にひっくり返ったのですが其処は運動神経の良い私の事、ちゃんと受け身をし被害を最小限に留めたのです。まあ、運動神経が良ければひっくり返らないと言う説も有るのですが・・。家に帰ってズボンを脱ぐと純白のステテコに血が付いているでは有りませんか。アクリノールで消毒をし、化膿止めの「ドルマイシン軟膏」を塗り、サビオを貼ったのです。お風呂に入るのも右膝を上げお湯が掛からない様にしたのです。5ミリ四方の擦過傷も馬鹿にしてはいけないのです。でも、実の嫁には馬鹿にされたのです。
2003/11/01  と言う訳で「べべのようこ」から電話が入ったのです。昨日も色々有って、大阪では衆議院議員選挙と一寸遅れて大阪市長選挙が有るのです。大阪市からの依頼で棄権防止の為のキャンペーンに協力する事となったのです。勿論、地域情報板を使ったものです。プログラミングしたのですが「大阪市」とするべきところを「大坂市」となっていたのです。其の手直しをしていたのです。時は11時過ぎ、其処へでんでんタウン事務局長から電話が有り、「NHKの姉ちゃんがそっちへ行くからあんじょう頼むわ」と言うのです。話を聞けば、「ひるどき日本列島」と言う生番組で日本橋を取り上げたいのでご協力をお願いしたい、と言う事なのです。12月に地上波デジタル放送が東名阪で開始するのです。東京、名古屋では技術的な事を含め、比較的固い話でをしたい、日本橋では人間的なモノにしたい、そんな話なのです。動物的な話の方がええんちゃうか?とは言わなかったのです。既に前日には理事長や「5丁目のオーディオ屋」の案内で日本橋を歩いていると言うのです。「5丁目の中古部品屋」では、筋を通して来い、と言われ、あめ玉を貰ったとか、是非彼の話をゆっくり聞きたいとも言うのです。ウダウダとお話をしていると1時を過ぎてしまったのです。続きの話を「4丁目のオーディオ屋」に譲って慌てて帰ったのです。仕掛けた仕事が有ったし、2時からは「大阪観光コンベンション協会」絡みの会議が有ったのです。昼食を5分で済ませ、再度組合事務所に戻ったのです。中国・北京市から高等学校の校長先生の団体が来る、目的は修学旅行で大阪に生徒を連れてくる下見だと言うのです。ついては商店街・でんでんタウンで協力をして欲しい、そう言う話だったのです。やけに来客が多い日で、連休明けで仕事も山の様に有るし、5時からは歯医者にも行かなあかんし、店が終わってからも仕事をしていたのです。「べべのようこ」からの電話は、11月13日の「のらの会」の組み合わせがどうなってるん?と言うモノでした。丁度、昨夜原稿を貰っていたのです。飯を食ってから「のら」へ仕方なく行ったのです。「最年長のおっさん」を初め「風邪をひいたみきさん」、「ハム屋のおっさん」が居たのです。其処へ「泉佐野のおばはん」、「くっさん」、「たーちゃん」、「4丁目のオーディオ屋」、「トミー」と其の連れが入って来て、いつもの大騒ぎとなってしまったのです。