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2003/02/28  「寒さ我慢ゴルフ大会の皆様は南コースティーグランドまでお集まり下さ〜い」のアナウンスで始まったのです。午前中は7つのOBで木っ端微塵、ショットは何から何まで左に引っ掛けるのです。バンコクでのスライスの後遺症なのです。ティーショットOB、セカンドOB を初め、残り90ヤードOBまで、OBしなかったのはパターぐらいだったのです。昼からも引っ掛けで始まり、2番、4番ホールOBで夫々ダブルスコア。5番トリプル、其処までで既に12オーバー、残り4ホールを順調に引っ掛ければ、また60に手が届くのです。ところが、6番でバーディーを取ると残り4ホールを1オーバーで凌ぎ、49でホールアウト、でも結局 61/49、合計110と10個のOBで哀れな結果と成ったので有ります。でも、ひょっとしたら、多分、恐らく、きっと、これも私がもう一段上手くなるための生みの苦しみの期間と思うのです、いや思う事にしたのです。来週の「新木会」は頑張るぞう!
2003/02/27  近所の電気屋のおっさんが亡くなられたのです。享年71歳、一般的にはチョッと早いご逝去なのです。何時もの話ですが、幾つやからええと言う話でも無いのですが・・。新今宮の直ぐ側の「南大阪祭典」と言う葬儀場が会場だったのです。お通夜には南海電車で行ったのですが、葬儀には歩いて行ったのです。11時半に約束が有って元町で人に逢ってたのです。12時半頃に終わって、其の足で歩いて行ったのです。約10分なのです。帰りに三人で「かごの屋」で五目釜飯定食を食ったのです。話は通夜に戻るのですが、思わぬ人に逢ったのです。実の嫁の妹婿の姉なのです。聞くと、帝塚山で町会の婦人部長をしているとか、故人は隣組の一人との事でした。彼女は親戚の前に、私の高校・大学の同級生の嫁なのです。世の中の縁とは不思議なものなのです。あっ!今日はゴルフで「三木ゴルフ倶楽部」へ行くのです。コンペの名前は「第七回 寒さ我慢ゴルフ大会」なのです。「工具屋の鉄人28号」が主催者なのです。ほたら、行って来ます。
2003/02/26  昨日の午後3時過ぎに火事が有った。うちの向かいのマンションの七階から火が出たのです。消防車10台余りが来て消化活動に当たったのですが、黒煙がモクモクと消防隊が叩き割った窓から出ているのです。梯子車の先端には二人の消防士が消化活動に当たっているのです。下から見ているとそんなに高いとは思わないのですが、まあ あんな所には上りたくないと思ったのです。群集規制がされ始め、私の野次馬としての役目は終わったのです。火はあの部屋だけで収まった様に思うのですが、七階に撒かれた水は多分六階の天井から滴り落ちていると思うのです。其れは順に一階まで落ちて行ったのではと想像するのです。前に、屋上の配水管が詰まり、雨水が四階に浸入し、直ぐに一階まで達した記憶が蘇えったのです。ありゃ、大変でっせ!
2003/02/25  雑記帳を書くのが遅くなったのです。うちのインターネット通販担当者がお休みだからなのです。それで、朝、早くに起きてメールの処理をしていて、書くのを忘れていたのです。今、お昼の休憩でこれを書いているのです。夕べは「インターネット委員会」のサヨナラパーティーが高級料亭「きらく」で有ったのです。集まったのは9名。「赤の電気屋」、「5丁目の部品屋」それに私、がインターネット委員会を抜けるのです。其れと、この5年間でんでんタウンのホームページを製作して頂いていた会社の社長と担当者。この二人も抜けるのです。飲み会のメンバーは他に「事務局長」、「事務局員」それに前からのインターネット委員が3名なのです。まあ、名目が何で有ろうと飲んで騒ぐだけなのです。今度、「4丁目の電材屋」が新しく委員長に就任し、「カーステ屋のおっさん」が副委員長、おまけに製作会社も変わるのです。人心を一新しようと言う事なのです。マンネリの打破が目的なのです。我々老兵は消えて行くのです。でも、これで仕事が減る訳でも無く、次々と仕事が用意されているのです。楽に成れる日は、俺がお星様になる時なのです。
2003/02/24  「龍角散がええ」と「5丁目の部品屋」が言ったので、其れを飲んだのです。注意書きに「必ず水なしで服用してください。」と書いて有るのです。一杯0.3gが入るサジが付いていて、此れに一杯飲むのです。一日、3回から6回服用するのです。他に「パブロン トローチ」と言うのも舐めているのです。効能書きに「のどの痛み・はれ、声がれに・・」と書いてあったからなのです。近所の医者では「花粉症」の薬を頂いたのです。此れは朝晩食後に服するのです。所謂(いわゆる)抗ヒスタミン薬の軽い奴と思うのです。医者が「眠くならないのを・・」と言っていたのです。其処で目薬も頂いたのです。まあ、喉には関係無いのですが、目もしょぼついたからなのです。それらを総動員して、今朝は「歌」が唄えるまでに回復して来たのです。誰かお付き合い願えますか?貴方の奢(おご)りで・・。
2003/02/23  「てっちり食ってるから、すぐ来い!」と午後8時前に友達から電話が有ったのです。其処で店を閉めてから直ぐ出かける事としたのです。食い物に釣られるのは何なんですが、まあ仕方が無い事。「四丁目のオーディオ屋」とタクシーに乗って着いたのは道頓堀を西へ「ニュージャパン」の斜め向かい「よたろう」とか言うてっちり屋だったのです。其処に居たのは「山椒大夫」、「べべのようこ」、「新べべのたえこ」の三人。こいつ等は「家具屋のおっさん」と四人で「宇陀カントリー」へゴルフに行って来たのです。あの冷たい雨の中、熱燗で身体を温めながら・・。当然、「べべのようこ」は140台、「新べべのたえこ」は150台、そして彼らは100台の成績だったのです。其の憂さ晴らしにてっちりパーティーになったのですが、酒豪である彼女らのパワーに負けそうになり、我々が巻き込まれたのです。「家具屋のおっさん」が居なかったのは飼い犬が危篤との事で急遽帰ったので、以外に優しい男なのです。帰りに「のら」へ寄ると「三郎さん」製作の「文旦漬」すなわち「晩白柚(ばんぺいゆ)の砂糖漬」が有り、ブランデーと共に食するとこの上なく美味だったし、声の調子も上々になってきたのです。
2003/02/22  こえが出ないのです。こえが出ないと言っても、便秘では無いのです。声が出ないのです。水曜日に其の傾向が有ったのです。コンペでブービーの挨拶をした時に、自分でも低い声だなあ・・、と思ったのです。夜、飲みに行った帰りに連れに「声、枯れてるでえ」と言われ、「うん、そうなんや」と肯いた記憶が有るのです。そして木曜日にはほとんど出なくなっていたのです。でも、コンペの表彰式の司会は出来ると思っていたのです。まあ、マイクが有れば出来ると思っていたのです。ところが、夜になり、表彰式が始まろうとする頃には完璧に声が出なくなっていたのです。止む無く「素手で杵を折ったおっさん」に司会を頼んだのです。「20会」の午前のラウンドの終わり掛けに「AW(アプローチウエッジ)」を何処かに忘れたのです。ですから、昼からは「AW」無しで回ったのですが、まあスコアにはあんまり影響は無いようです。何本もクラブを持って来る必要は無いようにも思えるのです。其の件で、昨日 ゴルフ場に電話を入れたのです、見つかりましたか?、と。電話を掛けてから声が出ないのを思い出したのです。何とか「魔法使いのおばあさん」みたいな声で用を足す事ができたのですが・・。医者に行くと「多分、花粉症やろう・・」と言われ、薬を貰ったのです。お陰さまで今朝は声が出るのです。まだまだハスキーボイスでは有りますが・・。
2003/02/21  相変わらずティーショットはまともには飛ばないのです。バンコクでのスライスがフックになっただけで、フェアーウエイに留まるのは極稀だったのです。パターも40パットとそんなに良いものでは無かったのですが、50/46、HDCP 19、10位 とまずまずの成績を収めたのです。特に午後からは小雨に強風が加担し、皆がスコアを崩した中、ハーフベスグロを成し遂げたのです。しかも、最終ホールOBを出しての結果なのです。まあ、少しは回復の気だしが有るように思われるのです。優勝したのは「ゴロちゃん」。43/52、HDCP 30、2位は「フーちゃん」で、49/48、HDCP 30、だったのです。彼女とは一緒に回ったのですが、私と違ってティーショットがフェアーウエイを外す事は皆無で有ったのです。3位は「アイちゃん」で、49/50、HDCP 28、と9位までは全てHDCP 28から50までの下手が占めたのです。ハイハンデに優しい会の趣旨がお解り戴けるのではないかと思うのです。因みに、ハンデキャップ委員長は「工具屋のおっさん」なので有ります。同伴したのは他に「太郎」、「日本橋のフセイン」だったのです。「太郎」は白から回ったのです。ティーショットの飛距離は私とほぼ同じ、優に200ヤードは超えるのです。「太郎」と言っても、実は可愛い女の子なのです。「日本橋のフセイン」に「あんた、赤から回った方がええんちゃう・・?」と平然と言っていたのです。その「・・フセイン」なんですが、今回 惨めにも、62/65を叩き見事ブービーをゲットしてしまったのです。一昨日、同じ経験をしている私としては、人事とは思えず、心よりお悔やみを申し上げたので有ります。
2003/02/20  昨日の「日緑会」の結果は、つらいつらいブービー。57/60 とバンコクを引きずってまんねんがな。「3丁目のオーディオ屋」がべべ。「4丁目のオーディオ屋」は7位。私はブービーの挨拶までさせられましてん。まあ、お陰で賞金8,000円をゲットしたんですわ。実の嫁は、私が何位でも良ろしおまんねん、賞金さえ入れば・・。ほて、今日は「第13回 TWENTY会」で「吉川インターゴルフクラブ MECHA」へ行きまんねん。7組フルエントリーでんねん。段々増えて来てまんねん。何でや?言うたら、会長の「京都に嫁の居る電気屋」が、女や言うたら入れまんねんがな。あっ!誤解せんといて欲しいんでっけど、入会させる言う意味ですわ。そんなんで、明日は7組フルエントリー。内 女性が13名と言う事になりましてんがな。ほて表彰式はアメ村の「南花樓」でやりまんねん。きっと、きっと大変喧しい思いまんねけど、ええんでっかいなあ・・?こんなん言うてたら、何かものげっつうゴルフよう行ってる様に思われまっけど、そんな事はおまへんねん。これまた誤解せんといて欲しいんですわ。今は落ち目傾向でっさかいに、どうなるかは下駄を履くまで判りまへん。ほたら、ちょい行って来まっさ。
2003/02/19  こないだ地下鉄日本橋の改札口から電車まで走ったんです。時間に追われていて、電車のドアは今にも閉まりそうやし、必死で走ったんです。俺の後ろにはもう後二人が必死で付いて来ていたんです。まあ、何とか間に合って飛び乗れたんです。ほて、直ぐ後ろの奴が飛び乗ったところでドアが閉まったんですわ。結局、二人目の男は乗れなかったんです。ほたら、直ぐ後ろの男が乗れなかった男の目を見て、思わず微笑んだんですわ。乗れなかった男は見るからにヤーさん、悔しそうな目で睨んだんです。其れでも、ドアは閉まり、電車は出て行くのですから何の問題も無かったのです。しかし、突然ドアが開き、ヤーさんが乗ってきたのです。直ぐ後ろの男はものすごっく小さくなって、ズーッと下を向いていたのです。其処には「指詰め、注意!」と赤い字で書いてあったのです。其れはそうと、今日は「第223回 日緑会」で「茨木カントリー倶楽部」へ行くんですわ。国内での好調を維持できるのか、はたまた先週の落ち目を引きずるのか、まあ 本人が一番ヤキモキしているのです。ほたら、行ってきまっせ!
2003/02/18  エピソード2:バンコクの中心を流れるチャオプラヤ川の両岸にはお寺が沢山有るのです。お寺の事をタイ語で「ワット」と言うのです。カンボジアに在る「アンコール・ワット」もお寺なのです。因みに、タイ文字は13世紀末にカンボジアのクメール文字に範をとって作られた表音文字で、現在のタイ文字は42の子音文字と32の母音文字があり、これらを組み合わせ音節を作り5種類の音調により発音されてるのです。其の「ワット」を見学させて頂いたのですが、川を渡るのに渡し舟に乗るのです。一人5バーツ程度なのですが、この金額は決して美しくは無い有料トイレの料金と同じようなものなのです。僅か2,3分で対岸へ行けるのですが、川の水は道頓堀程度でお世辞にも綺麗と言うわけでは無いのですが、その間を縫うようにして観光ランチが走るのです。其のランチなんですが、異様に長いプロペラシャフトを持つのです。実は中古自動車のエンジンを転用しているのです。まあ、結構馬力は有るのですが、馬鹿でかく扱いは大変だなあ、と言うのが実感なのです。観光名所には土産物屋は付き物で、様々な物を売っているのです。其れだけじゃ無く、写真屋も出没し民族衣装を着たモデルも出るのです。セブンイレブンで40パーツほどの缶ビールも此処へ来ると80バーツに出世するのです。承知の上で買って飲むのも止むを得ない事なのです。勿論、喉越しはえもいわれぬ幸せなのです。
2003/02/17  エピソード1:別に大した事や無いのですが、実はゴーゴークラブへは13日にも行ってるのです。パッポン通りに有る大層賑やかな所なのです。入り口に「ビール1杯80バーツ」(1バーツ3円位なので240円と思って下さい)の表示が有るのです。中でやってるのは舞台の上で女の子が10名余り、けたたましい音楽と共に踊っているのです。ビキニ姿の子。ノーブラの子。オールヌードの子。様々で有ります。舞台の周りにカウンターが有ってビールを頼むと持ってきて、三人だったので「240パーツでおます」と女の子が言うのです。タイ語だったか英語だったか日本語だったかは忘れたのですが・・。500バーツ札を渡すと「コークンカー」と言ってあっちへ行ったのです。「ありがとうございます」の女性言葉なのです。男は「コークンカップ」と言うのです。しかし、何時まで待ってもお釣りは来ないのです。その間に女の子達が我々の周囲に10名程群がって来たのです。「コーラ、コーラ」とせがむのです。コーラは50バーツ。ところが100バーツ札を出すと、チップと言ってポケットになおしてしまうのです。勿論、賢い私達の事、約10分で退散したのですが、被害総額は3人で1000バーツほどになったのです。聞くところに依ると、「ノー」と言えば良いそうで、でも我々は「ノー」と言えない日本人なのです。
2003/02/16  昨日は朝からでんでんタウンの役員会と理事会。終わったのは午後1時。仕事は山のように溜まっていたのですが、テキパキと片付けたのです。昨夜は「日本橋麻雀倶楽部」だったのですが、仕事が残っていて行けなかったのです。遅々に土産物のレミーを届けたのです。土産物と言うのも中々選ぶのに難しく、誰と誰に買って来るか?どんなもんを買えば良いのか?ものげっつう、気を使うのです。一番気に入った物は来週の「20会」に持って行こうと思うのです。勿論、銭金や無い、受け狙いなのです。請う御期待なのですが、一抹の不安も有るのです。受けへんかったらどないしょう?まあ、当たって砕けろなのです。明日からはエピソードシリーズに入ろうと思うのですが、何処まで書いて良いやら悪いやら。大層、気を使うものなのです。
2003/02/15  14日はひたすら帰るのみ。ロビー集合は朝八時。部屋を出しなに忘れ物のチェックを入念にしたのです。そしてチェックアウトも済ませ、さあいよいよ出立と言う時にガイドさんがパスポートと航空券を集め始めたのです。其処で勘の良い私の事、気が付いたのです、部屋のセフティーボックスにパスポート、航空券、財布、家の鍵を入れたままにしてある事に・・。そして事無きを得たのです。空港に着いてから2時間は間が有ったのです。連中の土産物に対する執念は恐ろしいほどで、買うわ買うわ。スーツケースを預けたのを忘れ、両手で持てない位に買ったのです。「自分等さあ、預けてある荷物忘れてんのんちゃうか・・?」と言ってやって、初めて関空から家にどのようにして持って帰ろうかの心配をしだしたのです。其れでも寄港地のマニラで、一時間の間に、又 土産物を買うのです。関空到着は予定通りの午後8時40分。通関を済ませラピートで家にたどり着いたのは10時頃だったのです。
2003/02/14  13日のモーニングコールは6時半、これまたバスで1時間走ったのです。「ナワタニ・ゴルフクラブ」でプレーするのです。いえ、テニスや相撲と違ってゴルフをプレーするのです。ワールドカップも開催したと言う名門なのです。現地法人社長が会員とかで一緒にプレーしたのです。スコアは言いたく無いのですが、59/61と海外遠征初の120を切る直前で挫折したのです。残り3ホールまで来て、11を叩いてしまったのです。チェジュー、シンガポール、深セン、ハワイ、グァム、ラスベガスとゴルフをして、一度も120を切った事が無かったのです。南極か北極でやったら120を切れるんかなあ・・。スループレーなのでお昼前には終わったのです。気温は34度と大変暖かかったんです。其れでもタイでは今が一年中で一番寒いと言う話なのです。4月などは暑さの為にお仕事をお休みにするところも有るそうなんです、いえ其れはソンクラン(タイ暦新年)のお休みで13,14,15日の三日間なのです。ゴルフは3人、3人でまわったんですが、一人に一つのカートとキャディーが付いたのです。ボールに触るのはティーショットの時ぐらいなのです。全部、キャディーさんがしてくれるのです。最終日の夜は日本料理なのですが、もう現地に溶け込んだ私には不向きかなと思ったのです。終わってから、社長の知っているゴーゴーバーへ繰り出したのです。此処は結構上品な店で喧しい中にも静かにビールが飲めたのです。
2003/02/13  12日は工場見学。バスで1時間、北へ向かって走ったのです。初日はホテルに着くやいなや、ルーズパンツにTシャツ、素足にサンダルにお色直しをしたのですが、二日目はフォーマルウエアなのです。夏物ズボンに襟付きシャツ、夏物ブレザーにソフトスパイク(これは一見普通の靴に見えるのです)。この会社の現地法人には約3000人の従業員が居るのです。社長を初め、沢山のお出迎えの中、バスは到着したのです。胸にデンファレを着けて貰い社屋に入ると事務所の全員が拍手をして歓迎してくれたのです。たっぷりと見学させて貰い、お昼にタイラーメンをご馳走して貰い、記念写真を歓迎プレートの横で撮ったのです。バンコク市内へ戻ってから、敬虔な仏教徒で有ります私は「暁の寺院」(ワット・アルン)、「大理石寺院」(ワット・ベンチャマボピット)を拝観させて頂いたのです。夕食は中華、鱶鰭スープが美味しくて辛かったのです。途中 丁度、バンコクを訪れられていた日本本社の社長が挨拶に立ち寄られたのです。アジアホテルに有るキャバレーで「ニューハーフショー」をかぶりつき見たのですが、まあ女より女らしいのには驚いたのです。彼(彼女?)等は一生懸命 女らしく有ろうと常に女を演じているのです。
2003/02/12  11日から14日までタイに居たのです。先ず、一日目は・・。「4丁目のオーディオ屋」が朝8時10分に表を通ったのです。一緒に南海難波駅へと向かったのです。彼は実の嫁に折り畳みの傘を持たされていたのです。折から、小雨がぱらついたのです。「傘、さしたら また畳まなあかんねんけどなあ・・」と言いながらモタモタと傘を広げたのです。私は「春雨や・・」で大した雨でも無し、濡れて行ったのです。途中に在る「セブンイレブン」でよっぽど缶ビールを買おうと思ったのですが、止めたのです。スーツ姿の奴、皮のオーバーコートを着た奴等々が居たのですが、私の出で立ちは、ハイテク冬用ゴルフウエアに夏物のジャケット、冬物のズボンに靴下、サンダルだったのです。タイ航空TG623便11時10分関空発なのです。乗る前には生ビール一杯だけだったのです。誰かが「乗ったら只でなんぼでものめるやんけ」とか言ったのです。先の事より今が大事なのです。飛行機に乗るまで生きていたと仮定しての話なのです。まあ、大勢に流され一杯で辛抱したので有ります。其れよりも出発ロビーで「新木会」のメンバーの「神戸のおっさん」に遭ったのです。同じ飛行機でバンコクへ行くと言うのです。何でも商店街の福引で、嫁はんがご招待を引き当てたとか、でも「御一人様ご招待」だったのです。其れで追い銭をしてペアで行くんだとの事なのです。まあ、福引で当たると結構な出費となるのです。泊まったホテルはリバーサイドの「シャングリ・ラ・バンコク」。客室数が850、部屋は豪華なツイン、バンコクでも有数の高級ホテルらしいのです。夜は「マリオットホテル」内のレストラン「リバーサイドテラス」で民族舞踊を見ながらの食事だったのです。
2003/02/11  今日からタイのバンコックへ行きますねん。朝、8時半のラピート乗って、関空11時の飛行機みたいなん乗って行きますねん。所要時間は予定では5時間50分。そやけど、これはあくまでも予定。前に、でんでんタウンのスキーで「白塗り」が、帰りに向こうを3時半にバスで出て、予定では大阪へ其の夜の8時に帰ってくる事になってたんですわ。ところが、途中雪で遅れに遅れて、結局着いたのは翌日のお昼過ぎ。21時間も乗ってはりましてん。よけ乗れて得しよったなあ、思たんでっけど・・。私も出迎えに行きましてん。バスから降りてきた女の子なんか、可哀想に化粧が流れて顔が下の方に固まってましてん。まあ、バスやったら燃料切れでも、ただ止まるだけやけど、飛行機が21時間も飛べる訳無いし、そんなに遅れたらどうなりまんねんやろなあ・・。心配してまんねん。ほて、帰って来るのは金曜日の午後9時関空着でんねん。ほたら、そろそろ時間でっさかい行ってきますわ。あっ!言うときまっけど、其の間 この雑記帳もお休みでっさかいに、メールで催促なんかせんように頼みますわ。夕べ「のら」で、「べべのようこ」、「新べべのたえこ」、「くっさん」、「たーちゃん」、「なべちゃん」、「白塗り」、「かつおさん」、「みきパパ」、「きらくのおっさん」、「京都に嫁の居る電気屋」等に逢ったんでっけど、知ってる連中全部に逢った訳や無いさかいに、「今日の雑記帳、未だか??」言う奴、きっと居てまんねんがな。
2003/02/10  「工具屋のおっさん」から「ファクスが欲しいよってにカタログを持って来てくれ」と一昨日、電話が有ったのです。其れで昨日、カタログを持って行ったんです。おっさんの指定はオタックス、パナソニックブランドなのです。「画面が出るのがええ」、と言うのです。まあ、本人もあまり解らんねんやろけど、コマーシャルか何かで見たのでしょう。本当の所、無責任な様やけど、ファックスの事 私もよう知らんのですわ。ふと見ると、石油ストーブが新しくなってましてん。「あっちこっち、痛んで来よるねん、商売は暇やのに・・」おっさんはそうぼやきまんねんがな。石油タンクの所に木の切れ端が置いて有るのです。何やろ?思ったんですが見ても解りまへんねん。聞くと「最近のストーブは上が熱なれへんねん。ほて、横に茶瓶を置こうとしたんやけど、斜めになってて置かれへんよってに、其れ置いたあんねん」、見ると木の台の下に斜め補正用の小さな木がもう1個置いて有りまんねん。頼りない事ですわ。そやけど、こうして皆が物を買い換えて行けば、日本経済も活性化する思いますんねんけど・・。まあ、そんな大層な事はおまへんねんけどネ。
2003/02/09  「京都に嫁の居る電気屋」が店のレイアウトを変えたのです。アルバイトの女の子が暮れで辞め、以後 ローコストオペレーションと言う事で、配送に出る時は店を閉めているのです。元々お得意様をメーンとした商売ですので、顧客管理さえしっかりしていればこんな芸当も出来るのです。彼の家は京都で元々旅館をしていたのです。若い頃は其れも嫌で、ジャニーズのバックダンスを踊っていた時期も有ったのです。旅館業を継いでからは一心不乱に働き、身体を壊した程なのです。其処で、旅館を廃業しテナントビルに建替えたのです。此れが順調に行き、管理を実の嫁に任すと、嫁の実家の家業である電気屋を継いだのです。京都のお父様も他界され、お母様も昨年逝かれたのです。今、町内会、商店街の世話役もされ、「20会」の会長としてもボランティアに励んで居られるのです。レイアウトを変えたと言っても、陳列の島に商品を天井近くまで展示していたものを、洒落たテーブルに低く商品を並べ、見通しを良くしたのです。余ったスペースで、コーヒーやお茶のサービスを始めたのです。勿論、無料!お酒類も置くそうなのです。お近くに来られた時には是非「京都に嫁の居る電気屋」へお立ち寄り下さい。
2003/02/08  「三郎さん」と言うおっさんが居ます。飲兵衛で、歌が好きで、週に三日は「のら」へ来てるのです。其のおっさんが、今度 本を出すと言うのです。其処で「出版記念パーディー」を企画したのです。いえ、私が企画した訳じゃ無くて「のら」の主催なのです。もう、日取りも決めて有って、4月19日(土)午後6時半から谷町の何とかと言う所でするのです。何でも、私が其の司会をするそうで、出席者は50名ほどなのです。「三郎さん」は良く喋るのです。私もチョッとは喋るのですが、彼のお話は途中で口を挟む余地が無いのです。機関銃の様に間が無く、滑らかに大して意味の無い事を喋るのです。「ハム屋のおっさん」も間断無く喋るのですが、何れが菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)、なのです。薀蓄(うんちく)を傾ければ、杜若もアヤメ科の多年草で花汁を用いて布を染めたので書き付け花とよばれ、転化してカキツバタとなったというのです。このパーティー、最初は3月に開催する予定だったのです。昨夜 久しぶりに「のら」へ行って、スケジュールが遅れたとかで、其の延期を聞いたのです。所で、司会者の私ですら、未だ どんな本を出版するのかは知らないので有ります。
2003/02/07  昨日は快晴。絶好のスキー日和だったのです。皆が出て行った後、テレビと惰眠の競演をしたのです。勿論、テレビの友、ワンカップ大関が一緒なのです。途中、お掃除のおばさんが来たのですが、諦めて帰ったのです。11時頃にフロントから電話が有って「誠に申し訳無いのですが、10時チェックアウトになっていますのですが・・。」と言うのです。「申し訳無いと思たら、電話するなっ!」と、言ってやろうかとも思ったのですが、其処は穏やかで心優しき私の事、「はい!分かりました」とすごすごと部屋を後にしたのです。フロントにキーを返して、荷物部屋に行ったのです。其処で惰眠の続きをしたのです。荷物部屋と言っても普通の部屋で荷物を預かってくれているのです。ですから、畳の部屋で空調も快調。何の文句も無いのです。ハッと!気が付くと12時、昼飯を食わなければならないのです。折角持って行ったスノーブーツも履いてやらなければならないのです。其れまでは、家を出たときよりズ〜とスリッパだったのです。ゲレンデに有るレストランへと出かけたのです。グータラしていても腹は空くのです。ラーメンに生ビール。まあ、そんなに気に入った組み合わせでは無いのですが、他に食せる様な物も無かったのです。生一杯で止めたのも自制心なのです。帰りのバスの中でも「下関 ふぐひれ酒」を食前食後に各一杯づつだったのです。こうして、自重、自制、節操、の旅は、お陰さまで一人の怪我人も出さずに、予定通り午後8時10分に帰阪する事が出来たの有りました。
2003/02/06  昨夜は8時20分頃に出発し、到着は午前零時15分頃だったのです。途中は、缶ビール一本、燗番娘一本というささやかさだったのです。バス・トイレ付きやったから、いや トイレ付きバスやったから、ビールはなんぼでも平気だったのですが、自重したのです。これが辛い。風呂を一浴びし、おにぎりを一つ、ウイスキーの水割りを250cc飲んでウダウダと同室の連中と喋りながら、寝たのは午前2時半。何故、正確に250ccと判るかと言えば、「サントリーリザーブの水割り」だったからなのです。朝食は洋・和食のバイキング。此処では缶ビール一杯に留める節操を示したのでした。
2003/02/05  昨日は午後2時から「ビジョン策定委員会」が有り、午後6時半からは「インターネット委員会」が有ったのです。そして、今夜8時から「でんでんタウンスキーツアー」の添乗員として随行するのです。行き先は岐阜県群上郡高鷲村の「鷲ケ岳スキー場」。宿屋は「鷲ケ岳高原ホテル・レインボー」。まあ、一応 ホテルなのです。毎年この行事は有るのです。「でんでんタウン協栄会 厚生委員会」の主催なので、それに属している私達が付いて行くのです。例年は複数の委員が同行するのですが、今年は諸般の事情から水曜出発組は私一人なのです。ですから、私が事故る事は出来ないのです。其処で止むを得ず滑る事を断念したのです。スキー場に行って好きなスキーが出来ないのです。ホテルかロッジで嫌いな酒やビールを、其れもヘベレケにならない程度にしか飲めないのです。勿論、行き帰りのバスの中でも酩酊しない程度にしか飲めないのです。地獄の責め苦を味わわなければならないのです。
2003/02/04  昨朝、来週行く工場見学の説明会が有ったのです。JVCマニュファクチャリング(タイランド)なのです。テレビ、部品(偏向ヨーク他)、業務用機器の生産をしている工場なのです。まあ、ついでにゴルフもするのですが、勿論 ついでなんです。クラブは現地で借りる事にしたのです。靴だけは持って行くか履いて行こうかと思うのです。午後からは「事務局長」と 今度、新しく理事になって戴く方の所を三軒回ったのです。三遍とちゃいまんねん、三遍回ったら「ワン!」言わなあきまへんがな。節分の夜の食事は鰯、それに丸齧りの海苔巻なのです。今年は南南西を向き、一心不乱に食べるのだそうです。誰がこんなアホな事考えたんかよう知らんのですけど・・。まあ、アホな事でも長い事続いたら風俗習慣、果ては文化になりまんねんなあ。
2003/02/03  自家製の鳥団子と言うか鳥のつくねと言うのか、材料は地鶏のミンチ、玉ねぎ、人参、椎茸、葱、生姜、其れにつなぎの卵と片栗粉、此れがメインの鍋が昨夜の我が家のメニューだったのです。白菜と菊菜に葱、榎にシメジ、マロニーに生麩、其れに豆腐が入っているのです。酒は「本醸造 黒松 白鹿」なのです。小さくて可愛いグラスに6分目残っている時に引っ繰り返してこぼしてしまったのです。どてらの袖がコップを倒したのです。前にも有ったので、学習効果の薄い奴とお笑い下さい。勿論、実の嫁には笑い者にされたのです。次からは袖を襷(たすき)で邪魔にならないよう、覚悟して酒を飲むようにしようと思うのです。でも、不思議と全部はこぼれ無かったのです。2分程残ったのです。瞬間芸で起こしたのです。でもええのです。其れに継酒して、又 元の9分目に戻したのです。そっとコップを口に運ぶ、単純な作業なのですが、何と無く楽しいのです。お風呂に入って、寝る前にビールなのです。幸せを噛み締める、今日この頃で有ります。
2003/02/02  此処のところ、朝 6時ごろから落語を読んでるのです。「聞く」と違って「読む」のです。落語作家というのはまあ、ええ加減な話をでっち上げるもので、其れがまた面白いし、作家の付け目なのでしょうが・・。一つご紹介すると、「表に洗濯物が落ちてましてんけど、名前が書いてあったのでこちらさんのや思いまんねんけど・・」と玄関口で若い男が応対に出た奥さんに言いましてん。ほたら、奥さんえろう喜びはって、ありがとう、ありがとう言うて感涙に咽びはるのですわ。ほたら、旦那はんが奥から出てきはって洗濯物泥棒と勘違いして怒りまんねんがな。男が「こんな男物の股引みたいなもん獲りまっかいな」そう言うと「いや、そんなもんを獲るから変態言うねん、変態にセオリーなんかあらへん」旦那が言い返しますねん。そやけど、やっと奥さんが事情を説明すると、旦那さんは身の不明を心底詫びて、「是非 お礼がしたいので上がってくれ、松子 客人をしゃぶしゃぶで持成したいから上等のロース肉買って来てくれ」奥さんが肉買いに行く金が無い、言うて泣き出したら、旦那が「松子、床の間の刀を持ってこい、私が腹掻っ捌いて恩人に侘びを入れるから」と話は飛躍し、不細工な娘の小百合まで出てきて「お父さまの命には替えられないから、私を吉原か飛田に売って、しゃぶしゃぶの肉を買ってください」と言い出す。男が「何も其処までしてもらわんでも、肉やったら私が買って来ますがな」と言うと、「客人に其処までしてもらっては・・、家に他にやるものは無いので、この小百合を貰ってやってくれ」 と、近所では其の家の事を「美談屋敷」言うて、わざと洗濯物を落としといて其れを届けに来た若い男を生け捕りにする作戦に気付いていて、誰も近寄らんかった・・。そんなお話ですねん。1997年の初めに出た本ですねんけど、この年の5月13日から50日、A型肝炎で私、入院してましてん。退屈しのぎに実の嫁に買って来て貰うた本ですわ。今、読み返してまんねんがな。
2003/02/01  二年ぶりに大学の同窓生が集まったのです。実は毎年やってるのですが、去年は風邪曳きで出られなかったのです。思い出したんですが、去年の其の週には 九州2ラウンドの旅が有ったのです。それもキャンセルしたのです。健康が一番なのです。もう、健康の為なら命もいらないのです。大阪丸ビルの二階「しゃぶしゃぶ桂」が昨夜の会場なのです。集まったのは9名。四方山話に花が咲き、午後七時に始まった会が追い出されたのは十時半、其の時既に 他には客は誰も居なかったのです。帰りに「高級ショットバー 坂口」にチョッと寄ったのです。「べべのようこ」と「新べべの妙子」が居たのです。彼女らは「高級割烹 のら」でビールニ杯、熱燗4合を飲まれた後なのです。ハイテンションな連中には付いていけないのです。其れでも12時半まで頑張ったのですが、上の瞼が下の瞼を恋しがり始めたので、「もう、電車が無くなるよってに、先 帰るわ・・」と言い、一足お先に帰ったのです。昨夜も品行方正な私で有りました。