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作者のプロフィール

登場人物の紹介

 
2003/05/31  昨日は朝9時半に帰って来たのです。5時半に目が覚め、テレビのワイドニュースと言うんでしょうか、を見ていたのです。前日が5時に起きていたので其の名残が暫く続いて早起きなのです。今朝も5時半に自動的に目が覚めたのです。昨日の話に戻るのですが、朝食のメニューは、豚、肉、ソーセージ、海老、野菜、餃子・・の鉄板焼、玉子焼き、シシャモ、辛明太子、韓国海苔、味噌汁、白飯、デザートにメロン、パイナップル、オレンジ、キウイ、グレープフルーツだったのです。遠征すると結構食えるものなのです。全て自炊。鍋釜から鉄板、炊飯器まで持って行ってるのです。国道沿いのスーパーや酒屋で食材を仕込んだのです。まあ、私はほとんどお客様状態で「山椒大夫」が采配を振るのです。前の夜(昼?)の宴会は此れをより豪華にしたものだったのです。
2003/05/30  落ち目な時はやっぱり駄目。3連続木っ端微塵だったのです。「砕け散る音もボソボソ落ち目かな」50/66、HDCP23、最下位に甘んじたのです。まあ、其れでも「ゴルフという遊び」は存分に楽しんだのです。優勝したのは「新べべのたえこ」、65/62、HDCP65、何と!10アンダーだったのです。次回ハンデは38とかなりまともなハンデになったのです。準優勝は「1号」これまた68/69、HDCP70、新ハンデは52、三位が「いなちゃん」で58/56、HDCP40と多大ハンデ組みが上位に入賞したのです。「4丁目のオーディオ屋」が47/52、「山椒大夫」が43/59、「2号」は66/83、「京都に嫁の居る電気屋」44/60、「へのもと」44/64、「白塗り」61/69、「パン屋のおっさん」65/61。以上が結果なのです。フロにも入らず「リゾート パラディウ夢」へ直行し、露天風呂で汗を流したのです。「白塗り」がデジカメを風呂に持ち込み、人の粗チンを写しまわってはしゃいでいたのです。4時半頃から表彰式を兼ねた宴会が始り、一番先に寝た私の時間は10時半とか・・。阪神・横浜戦を見ながらの宴会は限りなく盛り上がったのです。途中「山椒大夫」と「新べべのたえこ」の華燭の典を祝ってウエンディングマーチをバックに「ケーキにご入刀」のリハーサルをしたのですが、「妙ちゃん」は涙して喜んだのです。「今、この瞬間が自分の人生で一番幸せ」と信じる事が一番幸せなのです。
2003/05/29  大阪市立日本橋小学校は我が母校なのです。父も祖父も子供達もこの小学校の卒業生なのです。其の小学校から先生をして欲しいとの依頼が有って打ち合わせに昨日行って来たのです。2年生の児童にアーケードに施設された「LED地域情報板」について子供たちに話をして欲しい、そういう話なのです。大人に話をしても難しい、まあ私も良くは分からない話をしなければならないのです。其れも小学校2年生に理解できるように・・。話の元は「洋服屋のおっさん」が「LEDの話やったらさ〜ちゃんに言うたらええわ」と教頭先生に吹聴したのが始りなのです。6月3日(火)午前10時から商店街の事務所に2年生全員を担任の先生が引率して来るそうなのです。まあ、と言っても総勢7名、全校生徒が60人程の学校なのです。其れまでに授業の仕方の勉強をしなければならないのです。其れはそうと、これから「第2回 茶菜会」で「セントレークスゴルフ倶楽部」まで行くのです。午前5時50分に「4丁目のオーディオ屋」が迎えに来てくれるのです。3組11名なのですが、其の連中のハンデキャップを聞いて驚くなや!ハイハンデから、70、70、65、40、40・・・、なのです。あの難しい、バンカーのバーゲンセールのセントレークスへこの連中が行くのです。因みに、私のハンデは23、ハンデ頭は「4丁目・・」の20なのです。如何なる事に相成りますやら。それじゃ、行って来まっす!
2003/05/28  「ご高齢でいらっしゃったから、心配していたんですけど、綺麗に上がってはりますねえ。」葬儀屋の言葉なのです。「上がっている」は「骨が焼き上がっている」の意味なのです。其の後おんぼが「一寸お待ち下さいね、今喉仏さまをお探ししますから・・。」箸で骨を掻き分けり引っ繰り返したりするのです。暫くして「有りました、有りました。本当綺麗に仏さまになってますよ。」皆に菜箸を配りながら説明が始るのです。「え〜、お足元の方から骨壷に入れてやって下さいね。あっ!指仏さんがこれまた綺麗に、ネ分かるでしょ、仏さんが座ってはる形になってるんですよ。喉仏さんの小さなやつです。ほて、此れが足の指の骨で、これが大腿骨。このごついのが骨盤でございます。」まあ、言葉の丁重さの度合いは時々刻々変化するのです。「肋骨も入れたって下さいね。顔の周りも、ええと此れが耳のところで、これが上顎、ほて分かるかなあ〜、有りました有りました、これが下顎ですわ。最後にこの頭の皿を乗せてやって下さいネ」皆が恐る恐る骨壷に入れていくのです。まあ、年よりは手馴れたものなのですが、若い人は経験が浅いので大胆にはなれないのです。最後に満杯になり、一部溢れ出している骨壷を一寸離れたところへおんぼが持って行くのです。ポンポン、バシバシと叩いてはみ出た骨を骨壷に納まるように砕くのです。強引に蓋をして一件落着。葬儀屋が後を引き受けて言うのです。「まあ、悪いところが色付いて直ぐ分かるなんて言いますけど、そんなことは無いんですよ。この足元の黒いのはお茶碗に御飯を盛って一緒に入れさせて頂いたもので、御飯なんですよ。」まだまだ説明は続いたのです。南無阿弥陀仏。
2003/05/27  昨日は朝から会合が2本続けて有り、終わったら1時前。食事を10分で済ますと堺の病院へ行ったのです。弟を大阪市内の老健施設へ転院さすためなのです。堺からの帰り、阪神高速住之江から乗って弁天町で降りるつもりだったのですが、喋っていて住之江を行きすぎ玉出から乗ることになったのです。今回は傷が浅かったのですが、過去にも良く似たことは多いのです。酷(ひど)い時はインターチェンジを4つも行き過ぎたことも有ったのです。横に乗ってる奴が喋りなのです。この施設は昨年暮れに出来てマッサラ、色々レクチャーを受けたり手続きをしたりで、家にたどり着いたのは5時直前。その間、親戚のおばさんが亡くなられお通夜が有る、との知らせが入ったのです。場所は今里の光泉寺。でも、5時からは「日本橋まちづくり振興株式会社」の発足役員会が有り、略礼服に着替え参加したのです。6時半に失礼して今里へ向かったのです。このおばさん、父の伯母の長女なのです。華道の師匠をされていて母も習っていたのです。子供の頃は毎週我が家に来られていて、随分可愛がって頂いたものです。「宝塚温泉病院」に長らく入院されて居て、急逝されたのです。通夜の席で古い写真を見せて頂いたのです。其処にはおばさんと、若かりし私(多分7歳)と我が家族4人が写っていたのです。父より三歳下の明治45年生まれ、享年90歳。心よりご冥福をお祈りしたいと存じます。南無阿弥陀仏。
2003/05/26  どっか気の利いたホテルで食事をとの考えも過(よ)ぎったのですが、行く宛も無くの出で立ちは何時もの格好。やっぱり事前に予約とかしてドレスアップ、キャンドルライトの光の中で愛を語らうのが良いのでしょうが、今回をクライマックスに持って行けば30年目はどうするねん?の気持ちも有ったのでしょうか・・。おまけに日曜日、これはと思うところは全てお休み。其れでも結局、何時も行く「てっちり1,500円、更に2割引」の「勇吉」よりは髪の毛一本高級な「下関ふぐ」に決めたのです。何時ものセットに加えて「焼ふぐ」をも注文したのです。此処は前回長男夫婦を連れて来た時までは瓶ビールだけだったのですが、今回生ビールが有ったのです。其れに鰭酒(ひれざけ)。雑炊が二人前で、一寸食いすぎたのでした。腹ごなしに清水町まで歩いたのです。急な階段を3階まで上がれば其処はショットバー「坂口」。雰囲気は悪く無いのです。愛を語らいブラブラ歩きで家にたどり着いたのはシンデレラ前、まあ其れなりの「プレ30周年記念日」で有りました。光陰矢の如し。
2003/05/25  昨日、歩いていて歩道の敷石の5ミリほどの段差で躓(つまず)いたのです。其処でハッと思い出したのが今日が結婚29周年の記念日だと言う事です。何故其の状況でそうなったのかは分からないのですが、これはラッキーな事なのです。早速実の嫁にさり気無く言ったのです。「明日、結婚29周年を記念してどっか気の利いたところで豪華食事をしようや。」この言葉はかなりの点数を稼ぐのです。当然我が家もポイント制なのです。貯めれる時に貯めておかなければならないのです。もし躓いていなければ思い出す事も無かったのです。其れは直接マイナスポイントに結びつくのです。そうなれば朝食にトリカブトの田楽なんてのが登りかねないのです。そして愈々(いよいよ)30周年に入って行くのです。色々な企画をローコストオペレーション且つ省エネで立てなければならないのです。こうして私はこの厳しい時代を生き抜いて行く覚悟を固めているのです。愛する嫁の為に・・。
2003/05/24  最近は何でもかんでもインターネットなのです。例えば、運送屋なんかも随分前から此れを利用していて、不十分では有りますが荷物追跡システムなんかも有って、運送屋に出した物が今何処に有るのかが分かるのです。つい最近から送り状の印刷システムもインターネットとドッキングしたのです。今まではパソコンで入力し送り状をプリントアウトするのですが、其のデータはフロッピーに入れ運送屋に渡す、其れを元に請求書が来る、そう言う具合になっていたのです。其れがフロッピーに変わってインターネットでリアルタイムに運送屋にデータが行くようになったのです。勿論、この雑記帳を書くにあたってのデータ集めにもインターネットが活躍しているのです。此れ無しでは多大の時間を要する、逆に言えば随分と検索システム及びデータ数が充実し、ほとんどをインターネット上で素早く済ます事が出来るようになったのです。未だ「雑記帳」を読むぐらいにしかインターネットをご利用されてない方は老婆心ながらインターネットの有効活用をお奨めする次第で有ります。
2003/05/23  あかん、あかん、俺の負けや。2週連続でシュン太郎だったのです。56/55と安定した下手さで小波、まあ小波の前に人並みになれ!との声が聞こえてくるのです。HDCP20、44名中37位、ハンデ頭の「工具屋のおっさん」も36位と不振を極めたのですが、テンションは何故か高いのです。優勝は「はるよしの客」で1アンダー、準優勝はお馴染みの「素手で杵を折ったおっさん」が42/46、HDCP15でゲットしたのです。其れよりも何よりも驚いたのが「新べべのたえこ」が何と!60/70、HDCP50で総合9位、女子の部優勝という快挙をなしたのです。もうそろそろ「べべ」の称号を返上しなければならないかも・・。でも元祖「べべのようこ」は64/63、HDCP45、19位とグロスでは勝ち、名誉を保ったのです。特筆すべきは、あの「太郎」が仕事が有るとかで宴会に出席せずビールも飲まず帰った事でした。因(ちな)みに成績は62/61、HDCP36、27位で有ります。其れは兎も角、私としては何とかこの低迷期を脱出しようと地獄の苦しみに足掻(あが)き続けなければならないのです。
2003/05/22  「第13回 のらの会」で「オークモントゴルフ倶楽部」へこれから行くのです。正式コンペは年に二回、ですから6年半になるわけです。店がオープンしてこの暮れで9年、来年は10周年記念として泊りがけで行こうという事になっているのです。他に、番外編として正月の4日に「お正月コンペ」とお盆に「お化け大会」が有るのです。何故「お化け」と呼ぶのかと言えば、夏場でお化けが馴染みなのと「どうにもならん顔でも化粧塗りたくって綺麗に見せようとする」女性の多いコンペなので会長の「工具屋のおっさん」が命名したのです。今回も12組、45名なのです。毎回感心するのですが、カウンター10席の居酒屋がよくもまあ集めたものだと思うのです。私の場合45名中、35名を良く知っているのですから結構楽しいのです。今回のハンデは20、まあ優勝を狙えるポジションでは有りますが、ここのところ欲を出したら酷い目に遇っているので自重しようと思うのです。其れでは行って参ります。
2003/05/21  SARSの話題で一杯なんです。「京都に嫁の居る電気屋」に行くと「白塗り」、「工具屋のおっさん」、「4丁目の照明屋」が居たのです。「京都・・」が体調を崩したと聞けば「SARSやろ・・」とか「もう、何人にうつした?」とか「なんぜ?隔離されへんねん?」とかの会話が行き交うのです。まあ、稚拙な話では有ります。彼等は「日本橋麻雀倶楽部」の今後の運営方針について長々と話していたのだそうです。6月からは賭け麻雀をするのだそうです。千点10円、3万点持ちの3万点返し。箱で300円なのです。今まで緊張感の無い麻雀をしていたのですが、これからは張り詰めた雰囲気になる、そんな議論がなされていたのです。300円で張り詰めるんかいな?とは素直な意見です。SARSの話なんですが、現在の患者数が全世界で1万人にも満たず亡くなられた方も千人に満たないのです。伝染力もインフルエンザに比較すれば全く強くないのです。1919年から1920年に掛けて日本で流行したインフルエンザは罹患者は約2,300万人、死者は約38万人に達したのです。また、1918年に世界中で流行した「スペイン風邪」は罹患者約6億人、死者約3千万人にものぼったのです。今回のSARSに対する厚生労働省の認識、情報の出し方の遅さは非常に鈍感では有りますが、まあ我々とすれば1週間も経過した所を消毒するなどの大騒ぎをする必要も無いのではと思うのですが・・。
2003/05/20  「日本橋筋商店街振興組合」と言う長い名前の会の総会が昨夜「サウスタワー」で有ったのです。現在の私の住所は日本橋4丁目10番1号なのですが、住居表示が変更になるまでは、日本橋筋4丁目68番地だったのです。其の「筋」が組合の名前にも入っているのです。総会開催場所のこのホテルは外資系が経営権を取得しビジネスホテルに変わるとか、今年が此処でする最後の総会になるかも知れないのです。誰や?「そうかい」と言ったのは?来賓の挨拶は行政を代表して「浪速区長」、地域を代表して「日本橋連合振興町会長」(「日東連合振興町会長」と一年交代でご挨拶頂いているのです)、其の後御来賓の方々のご紹介が続いたのですが、出席会員数よりも御来賓の方多かったのです。そして乾杯の音頭を「でんでんタウン会長」がとられたのです。酒が入ると其れなりにどんな会でも盛り上がるものです。中締めの挨拶を「日本橋駐車対策協議会会長」がされたのですが、其の出で立ちは「頭に猛虎タイガースの鉢巻、首から笛」、そして三々七拍子を笛を音頭に応援団スタイルでしたのです。まあ、毎年うけ狙いのおっさんなのですがタイミングは良いのです。実はこのおっさん「4丁目の照明屋」の親父なのです。帰りに「へのもと」と一緒に一寸「のら」に寄ったのです。帰る寸前に「4丁目のオーディオ屋」が来て一緒に帰ったのですが、メールには「山椒大夫」が「新べべのたえこ」との新居を決めたとのニュースが入っていたのです。
2003/05/19  今、我等1億8千万阪神ファンの間では、今年から何連覇するのか?が話題の中心なのです。それはそうと、ヤフーがプロ野球の全試合をインターネットでライブ中継しているのです。まあ、ややかったるい部分は有るのですが、中々役に立つのです。アドレスは、http://sports.yahoo.co.jp/baseball/なのです。テレビ・ラジオで放送をしていない試合も見られるのです。ほてから、今朝、懸案事項を一つ解決したのです。何?て、うちの三軒ぐらい隣なんですが、其の歩道と車道の境目に6ヶ月位前から「どんごろす」の袋が放置されていたのです。中身は建築廃棄物、まあ残土の類(たぐい)なのです。重たくて其のまま捨てる訳にも行かず、袋が固く分割して処理するのも出来ずに居たのです。其れが10日ほど前に袋が破れたのです。毎日、一寸づつ中身をカラスの様に穿(ほじく)り出し捨てていたのが、今朝完了したのです。すっきりした、と言いたいところなのですが、直ぐ傍に新たなゴミの山が出現したのです。まあ、人生いたるところ山有り、山有り、なのです。
2003/05/18  「でんでんタウン協栄会」と言うのが日本橋界隈の電気屋の組合なのです。当初、「電化製品小売業」がコンセプトだったのですが、時代と共に変わりつつ有るのです。当社の場合「ポータブルAV」、「海外向け免税店」の二枚看板なのです。「オーディオ専門店」も今では「オーディオ&ビジュアル」に変わって来たのです。「パーツ店」、「電気材料」、「無線機器」、「照明器具」、「PA機器」ここらはまあ在来型と言うんでしょうか。これに「パソコン」、「ゲーム」、「ホビー」、「音楽ソフト」、「映像ソフト」、「PCソフト」等々も参入したのです。「業務用電化製品」、「電動工具」、「厨房機器」等々の販売店も電気屋の括(くく)りに入れ、「でんでんタウン協栄会」の正会員として加入のお誘いをしようという動きが始ったのです。当然、新たな業種の仕入先の皆さんには賛助会員として加入のお誘いをしよう。まあ、こちらの方がどちらかと言えば先なのでしょう。
2003/05/17 同窓会と言うんでしょうか、30年以上も前に英会話を一緒に習っていた連中が道頓堀の「自安寺」に集まったのです。「お寺のおっさん」、「宝石屋のおっさん」、「スティーブ」夫々(おのおの)が夫婦で私等を入れて合計8名。うだうだととりとめのない、役に立たない話を続け、気が付けばもう11時半、「お寺のおっさんの嫁」には随分とお世話になったのです。この集まりは此処のところ、年に一度か二年に一度不定期に定期的に開いているのです。昔、膝に抱いた「スティーブ」の娘が子供を生んだとか「時計屋のおっさん」が脳梗塞で倒れ、嫁はんの献身的な介護で復活したとか、「お寺のおっさん」は食えないものが多いとかの話題が中心でも4時間もつのです。帰りに、久々に実の嫁を連れて「バー さかぐち」でデートしたのです。見ず知らずの客に「ドレミ」、「鶴の恩返し」、「インディアン」、「白い犬、黒い犬」の話を延々として、まあ素人相手では有りますが一応の受けを得て、何時に帰ったかは良く分からない今日この頃で有ります。
2003/05/16  折角上昇の兆しが有った私なんですが挫折してしまったのです。58/54、HDCP19、32位、現実は厳しいもので有ります。優勝は「セブンイレブンのおっさん」、2位は「引退したおっさん」だったのです。二人とも電気屋を引退した連中なのです。「今止めると元気になる!」なんてコピーが思い浮かぶのです。一方「茶菜会」の連中はと言えば、30位が51/61の「4丁目のオーディオ屋」、31位が53/61の「山椒大夫」、ブービーが73/72の「2号」、べべが82/70の「1号」とべべからのワースト5を占めたので有ります。これに「新べべのたえこ」とか「白塗り」が加わるのですから、あの難しい「セントレークス」から無事生還出来るや否や?乞御期待で有ります。
2003/05/15  「第171回 新木会」が今日「万壽ゴルフクラブ」で開催されるのです。9組36名のエントリーなのです。連続優勝狙いで入れ込んで出場した前回、木っ端微塵に野望が打ち砕かれたので(56/52、HDCP19、27位)、今回は其のリベンジ、頑張らなければならないのです。どない頑張るかかと言えば精神力しか無いのです。技術も道具も努力も無い私にとって頼るは此れ一つ。運転手で「3,4丁目のオーディオ屋達」、「1号」の三人を乗せて行くのですが、こいつ等のハンデは28、22、45 と山の様に有るのです。今回、私欲を捨てて「馬」のみに専念できるかどうか?やはり欲が出て自分から買うなんて事をしないように出発前から戒めるのですが、所詮人間は弱い生き物、どうなる事やら、まあ兎も角行って参ります。あっ!ほてから、ゆうべ「毛皮屋のおっさん」からアドバイスを得たのです。1.クラブは一寸短めに持て。2.バンカーまで届くクラブは持つな。3.パーを狙うな。4.グリップは思い切って優しく握れ。5.距離を出そうと思うな、ドライバーは150ヤードでええ。ぶれの少ないクラブを握るまでは5つの誓いを守れと言うんですわ。そやけど、ピンを狙える距離でそんな辛抱出来るんかいな?何時もの俺は190ヤード以内は必ずピンをデッドに狙うんですわ。
2003/05/14  我等、一億5千万阪神ファン期待の今年のタイガースが予定通り強いのです。今、話題になるのは9月上旬になるのか?中旬に胴上げがずれ込むのか?この一点なのです。勿論、去年に其の兆しが有ったのですが、今年 花開いたのです。4番目浜中がやっと4番打者となりつつ有るのです。打点は45でリーグトップ、直近4試合で12打点を稼いでいるのです。打率も.275と上がって来たのです。これで貯金は12、昨年 6月に出した最高貯金に早くも並んだのです。打線が快調、金本が3番バッターとして十二分の活躍をしているのです。昨夜、5回に2アウト、ランナー2,3塁の場面で広島先発佐々岡に根気勝ちして選んだ四球が浜中の2塁打を誘ったのです。ビッグイニングはこうして生まれたのです。ピッチャーも打線に助けられつつ、登り調子になって来たのです。ムーア、伊良部、井川が夫々6勝、5勝、5勝とハーラーダービーの1、2、3位を独占しているのです。私が甲子園へ応援に行く日が近づきつつ有るのです。
2003/05/13  実の嫁がまた二泊三日の家出をしたのです。母を連れて、いや母に連れられ、姉共々、六甲へ行ったのです。昨夜は、六甲ケーブル山上駅より山上バスで15分に在る「六甲オリエンタルホテル」へ泊まり、今夜は有馬の「御所坊」へ泊まるのです。母は病気の総合商社なんですが、旅行に行くと頗(すこぶ)る元気になるのです。其れはそうと、何故ルビを打ってるかと言えば、先日漢字が難しくて読めない!、とクレームが入ったのです。まあ、私も知らない漢字をドンドン使っているのです。ワープロというのは便利が良いのです。書けなくても辛(かろ)うじて読める漢字が簡単に出て来るのですから・・。そんな訳で、現在鰥夫(やもめ)なのです。あっ!意味も分からない人の為に説明すれば、「やもめ(やもお)」=「妻のいない男。妻を失った男。男やもめ。仁徳紀「是を以て里に―寡(やもめ)無く」(広辞苑)」。其処で、炊事・洗濯・お掃除もしなければならないのです。丁度午前八時、これから洗濯物を干しに行くのです。
2003/05/12  長男は学生時代陸上部に居て長距離をやっていたんです。まあ、あんなん黙々と走って何がおもろいんやろ思てましたんやけど、やってる人はそれなりにおもろいんやろ思いますわ。其の陸上部から長男に往復葉書が毎年来ますねん。新人歓迎コンパの案内状なんです。新しい住所をお知らせしてあるんやけど、今年も私の方へ来たんです。此処何年間は仕事が忙しいとかで欠席の返事をしているのですが、去年も「実の嫁」が書いて出したのです。幹事の方のお名前が「船越 政行」さんと言うんです。其れが返信用の葉書の宛名になってるんです。嫁は其の「行」を斜線で消して失礼にも「船越 政 様」として出したんですわ。この話、夕べ嫁が今年来た往復葉書の宛名を見て、「今年の返信の宛名「船越 政行 宛」になってるわ。去年、私が「行」の字消したから今年は消されんように「宛」を足したんやわ。消した後、気付いたんやけど、どうにも訂正出けへんよってに其のまま出したんや。」と言ったんですわ。俺も消されんように気い付けよ。
2003/05/11  「山椒大夫」と「新べべのたえちゃん」が結婚するんやけど「とうげちゃん」も結婚するねん。フラフラと「のら」へ行ったら「子供を食い物にするおっさん」が居て「ターちゃん」、「みきパパ」と喧(やかま)しい声で喋(しゃべ)ってるねん。其処へ「工具屋のおっさん」も来たんや。トーンはもう一段上がるのは当然の事や。この22日に「第13回 のらの会」が有って其の打ち合わせに行ったんやけど。一応、案内状の下書きが出来て、其の馬の予想蘭に印を付ける役を奴等に振ってやると真剣に考えてんねん。12組48名やから予想のしがいが有るねん。まあ、あれ位真剣に商売すればええのにと思た。其処へ「山椒大夫」と「4丁目のオーディオ屋」が来て、益々話は盛り上がったんや。ショットバーの「さかぐち」に「たえちゃん」が待ってる言うからのこのこ行ったんや。此処は3階やねんけど、ものげっつう急な階段が一気にストレートで3階まで続いてるねん。前に落ちかけた事も有るねん。ほんまに落ちた奴も居るらしい。ほて、それから手すりを付けたとか・・。ほたら其処には「たえちゃん」の他「とうげちゃん」も居て8月3日に結婚披露宴をする言う話や。其の他に女ばっかり15人ほど居て、異様な雰囲気や。なんでも「バー さかぐち」の10周年記念やとか。花束がよけ有ったんや。シャンペンを開けたりしてつい飲みすぎたんはしょうないやんけ。
2003/05/10  「フーちゃん」の父親で「工具屋のおっさん」の斜め向いで同じく工具屋をやってるおっさんが居るのです。昭和4年9月生まれですから73歳、まあ元気なのですが高血圧と腰痛、他にも色々お持ちなのです。1年7ヶ月、好きなゴルフを止めていたのです。ところが、好きなものは好き、一度思い出すと居ても立ってもいられなくなって先月、練習に行ったのです。其処でまた腰痛を再発、その後のコンペには出られなかったのです。しかし、だいぶましになって来たのです。先日の「日本橋会」にはどうしても出たい、出たい、出たい!ギリギリまで迷っていたのですが、当日の朝、薄日が差して来たのです。「うん、行こう!今日は天気や」。勇んで出発したのです。ところがゴルフ場が近づくに連れて雨脚は強くなって行ったのです。着いた頃には激しい雨、豪雨、驟雨。其れでもスタート時には小雨となったのです。天気予報では午前中は寒冷前線の影響で雨。最近の天気予報は良く当たるのです。途中から十姉妹の雨、いや降る雨はカナリヤ。それでも、無事朝のハーフをホールアウトしたのです。そして午後も出るつもりだったのですが、すっごく寒くなって来たのです。おまけに彼の昼食は良く冷えた生ビールにざる蕎麦、身体の芯まで冷え切っていたのです。リタイアしてお風呂に入り、止せばええのに水割りを二杯。「かごの屋」での表彰式は欠席となったので有ります。
2003/05/09  「日本橋会」の結果なんですが、優勝は「たもっちゃん」で、40/40、HDCP 6、NET 74 だったのです。彼は日本橋一の飛ばし屋、短いミドルでワンオンを狙ったのです。ドライバーではオーバーするとスプーンを握ったのですが、やっぱり力が入りチョロ、飛距離であの「日本橋のフセイン」にまで負けてしまったのです。準優勝は「素手で杵を折ったおっさんの兄」で、HDCP 16、NET 76 なのです。最近、このおっさんの挨拶が一番長いのです。私も、48/50、HDCP 22、NET 76 だったのですが、ハンデ上位なので3位となったのです。出だし、大雨の中 パー、パー、ボギー 楽勝で優勝と思ったのですが、連続OBで崩れてしまったのです。午後もボギー、ボギー、ボギーと我慢していたのですがOB、4パットでミドルを9叩き木っ端微塵となったのです。表彰式は最近定番の「かごの屋」、「のら」へ行ったらワイワイガヤガヤ、珍しく「スーちゃん」が2人連れて来たのです。「のら」で偶然会うのは多分初めて、「スーちゃん」と言ってもおっさんなんですが・・。
2003/05/08  久しぶりに「のら」へ行ったら、「さぶろうさん」と「きもっちゃん」が居たのです。「きもっちゃん」に逢うのは久々。彼はあの倒産した「伏尾ゴルフ倶楽部」のメンバーなのです。22日の「のらの会」に初参加するそうなのです。昨夜は、「日本橋中学校 新旧校長歓送迎会」が「天王殿」で有ったのです。まあ、其の流れで仕方なく「のら」へ行ったのです。彼は心斎橋の呉服屋さんに自転車通勤なのです。「おおかわさん」も居ったのです。「くっさん」も来たのです。其れはそうと、今日は「第41回 日本橋会」で「工具屋のおっさんが」会員権を750万円で買った「ロータリーゴルフ倶楽部」へ行くのです。現在の相場は20万円。其れでも未だつぶれていないのです。「工具屋のおっさん」は少しだけ損をしたのです。でも、彼はもう一つ「奈良 若草ゴルフ倶楽部」も持っているのです。其処も20万円なのです。彼は其処に特別縁故で250万円という破格の安さで入ったのです。きっちりした性格の彼は両方とも年会費を払い、年に一度は行くのです。私なども連れて行って貰うのですが、メンバーの彼は昼飯を奢ってくれるのです。本当に良い人なのです。
2003/05/07  昨日、「ビジョン委員会」に引き続き「日本橋まちづくり振興株式会社」(株主19名、資本金1,900万円)の取締役会(準備会)の初会合が有ったのです。代表取締役に「へのもと」を選出し、今月中の発足を決めたのです。大きな目標としては日本橋の活性化、其れへの具体的なタイムスケジュール、行動計画の策定の準備をしたのです。取り敢えずの具体的活動として空き店舗対策を取り上げたのです。次回迄に夫々が行動し結果を持ち寄る事としたのです。日本橋は予想通り今激変の真っ只中、高度な小売集積地としてのより良い質を求めてのまちづくり会社の発足なのです。日本橋の様な都心地での商店街は放って置いても消滅は無いのです。ただ、其の質は関与する事によって大きく変わる可能性が有るのです。元々の日本橋は紀州街道の宿場町、旅籠、木賃宿、長屋だったのです。旅人の用に足す古着屋、傘屋、炭屋、雑貨屋等が点在したのです。昭和になって御堂筋が完成するまで堺筋が大阪のメインストリートだったのです。その後、古本屋街を経て現在の電気屋街へと変貌して来たのです。今後の更なる発展を願い行動する事を此処に改めて誓うので有ります。結構シリアスに決まりましたやろ・・。
2003/05/06  4月4日から5月19日迄は「月組」の公演なのです。まあ、いきなり宝塚では戸惑うでしょうが、あの「太郎」が昨日「宝塚大劇場」へ行ったのです。宝ジェンヌに成る事を夢見ていたようで、今はファンらしいのです。「花の宝塚風土記(ふどき)」−春の踊り−「シニョール ドン・ファン」が出し物、レオ・ヴィスティを「紫吹 淳」、ジルを「映美くらら」が演じるのです。「東京宝塚劇場」では『春麗の淡き光に』−朱天童子異聞−を「雪組」が演じているのです。「星組」は「日生劇場」で「雨に唄えば」なのです。実の嫁の姉も昔宝塚ファンで追っかけをしていて、学校をサボって新幹線で東京まで行った事も有るのです。嫁がお供したとか・・。追っかけの相手は「内重のぼる・サッチャン」なのです。彼女の当たり役は「霧深きエルベのほとり」なのです。其の頃「寿美花代」次に「那智わたる」等も活躍していた頃の事です。まあ、人夫々思い掛けないモノなのです。因みに私は「リカちゃん人形」を集める趣味は無いのです。
2003/05/05  端午の節句には一日有るのですが、昨日菖蒲を頭に巻いたのです。我が家では古(いにしえ)の昔からこの風習が有るのです。今帰省している次男も頭に巻かれたのです。彼は彼女を連れて帰って来たのです。USJに行って来たとか、不祥事が有ったにも関わらず超満員で花火の時間も遅くなったとかでご帰宅は午前様だったらしいのです。行って来たのはUSJで潰れかけているUFJでは無いのです。其の頃には品行方正な私は白河夜船、知る由も無いのです。昨日、二人はお昼に帰ったのです。実の嫁は彼女に言ったのです「新大阪まで送って行っていい?」と、彼女は「ありがとうございます、お願い致します・・。」ところが次男は言ったのです、「おかあはん、ええ、送って貰らわんでもええ」嫁の心は木っ端微塵、哀れを極めたのです。でも、立ち直りも早いのです。昨日は義母の誕生日、上本町近鉄に義姉と義母が来ていて、「飯、食えへん?」の一言に、私までつき合わされたのです。其の席で、「長男の嫁も、次男の彼女も、俺の好みや無い」そう私が言うと、すかさず義姉は言ったのです「ほたら、どんなんが好みなの?」、勿論、私は言ったのです「俺の好みは麻由美や!」。結婚三十周年記念事業なのです。
2003/05/04  昨日の「日本橋麻雀倶楽部」は大盛況。遅刻組みも入れて13名フルメンバーが揃ったのです。中でも「太郎」が光っていたのです。彼女はお昼から飲んでいたのです。飲み続けて三千年の「太郎」には怖いもの無し。素面でも喧しいのに(素面の時は少ない)本当にパワー全開。場は大いに盛り上がり、彼女の役目を十分果たしたのです。素面になると彼女は五月蠅かったかなあ?と反省するのですが、其の必要は全く無いのです。火の消えた様な「麻雀倶楽部」は願い下げなのです。ただ黙々と麻雀に専念するのなら麻雀大学にでも行けば良いのです。酒が入ると皆喧しいのです。中でも「京都に嫁の居る電気屋」、「素手で杵を折ったおっさん」、「工具屋のおっさん」は三馬鹿トリオで特に喧しいのです。天然呆けの「泉佐野のおばはん」も五月蠅いのです。私も喧しいと言われる時が偶に有るのですが、この連中に比べると静寂が服を着ているようなものなのです。因みに私の法名は「寂定」なのです。すなわち静かに定まるなのです。侘び寂びの世界に生きているのです。
2003/05/03  世間ではこの4月末から5月初めに掛けてを連休と言うのです。まあ、私どもにとっては縁遠いものなのです。強いて言えば多少商売が忙しいくらいのモノなのです。我が家で連休と言えば正月三ヶ日と八月後半の夏休みが4日、この二度なのです。正月は例年行事が決まっていて、あっ!と言う間に過ぎ去ってしまうのです。子供が小さい時、夏休みにはあっちこっちに連れて行ったものでした。沖縄へ行って、飛行機の故障で帰りが一日伸びて、帰って来たら家から店から倉庫まで水浸し、大雨で屋上の排水溝が詰まって溢れた水でそうなったのですが、そんな事も有ったのです。この旅行も子供たちが高校時分で終わってしまったのです。まあ、寂しいと言うか、独立して行って嬉しいと言うか、気持ちも別かれるところなのです。今、連休で長男、次男が出入りしているのです。この二人のニアミスはこの正月以来の事なのです。長男は所帯を持っているし、次男は遠くに住んでいるし・・。実の嫁を大事にして余生を暮らそうと思う今日この頃なので有ります。このリップサービスも結婚30周年記念事業の一環なのです。
2003/05/02  私の事を毎週ゴルフに行っているように言う人が居るのですが、そんな事は無いのです。現に昨日も大人しく家で仕事をしていたのです。お昼には実の嫁と次男を連れてお好み焼きを食べに行ったのです。(30周年記念事業の一環)道すがらデジカメで写真を撮るのですが、次男は嫌がるのです。子供の頃は写真を撮って欲しくてポーズしていたあの子が嫌がるのです。まあ、思い返せば中学校時分から嫌がり出したようなのです。勿論、長男も同じ様なものなのです。ですから、我が家の写真館には小さい時の分は沢山有るのですが、大きくなってからの彼等のは少ないのです。長男用、次男用と夫々別々にアルバムが有るのです。子供たちのは綺麗に整理され整然と年齢別に何冊にも別けて堂々と有るのです。一応私の分も有るのですが、アルバムの間に未整理の写真が雑然と挟んで有り、お粗末なのです。差別の撤廃が叫ばれて久しいのですが、これが厳然とした事実なのです。所詮嫁から見れば彼等は実の子、私は赤の他人、仕方の無い事なのです。まあ、ええのですが・・。
2003/05/01  一昨日の夜、次男が帰って来たのです。宇都宮に単身赴任しているのです。単身赴任と言っても未だ独身なんで、どう言うのでしょうか・・。実の嫁は何時帰って来るのか気を揉んでいたのです。「電話すればええやんけ」と言えば、「あんまり電話したら嫌われるやんか」と言うのです。私に対しては無い心遣いなのです。其処で私が次男にメールを送ったのです。「お久!今、何処や?お母さんは首を長くして信ちゃんを待っていてキリンさんになっています。言い出したらキリンがないけど。乳。」すぐに嫁に電話が入り、声を聞けた彼女は喜んだのです。細かく点数を稼がなければならないのです。来年が結婚30周年になるのです。何時も嫁に言うのです。「普通の人は、一寸世界一周旅行とか連れてって、其れ1回でお茶を濁そうとするけど、俺はそんな事はしない。毎日が記念行事みたいなもんや。」まあ、嫁は「そんなん詭弁や!」と言うのですが・・。昨日は弟を病院に見舞ったのですが、ついでに艶やかに咲いたつつじ見物をしたのです。この時期、浅香山浄水場で「つつじの通り抜け」が有るのです。「ひらとつつじ」の巨木が見事に咲き揃っているのです。今年は5月5日までとか、南海高野線「浅香山」下車東徒歩10分。これも30周年記念事業に入れたのです。