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作者のプロフィール

登場人物の紹介

2003/08/31  今年の夏は最後になって夏らしくなったのです。まあ、今更そんな必要は無いのです。季節というものは其の初めに姿を現してこそ値打ちが有るのです。電気屋にとっても同じで、エアコンなども今頃暑くなっても誰も買わないのです。「もうすぐ涼しくなるさ」と皆が思うのです。勿論、私も・・。夏の初めに暑ければ、皆が仕方なしに買ってしまうのです。其の残暑厳しき折にエアコンの無い我が家の夕食はお好み焼きだったのです。220度に熱せられた鉄板が目の前に有るのです。良く冷えたビールは大変美味しいのですが、暑いのです。出で立ちはと言えばパンツが一枚身にまとわれているだけなのです。本当はブレスレット一つ、とかシャネルNo.5、とかでもええのですけど・・。銘柄は「麒麟一番絞り」、容量は500cc、この500ccと350ccの差は大きいのです。何故なら、この暑いとき、結構一気に飲んでしまうので、500ccは直ぐ無くなってしまうという不安感が少ないのです。嫁は其れを見て、「えっ!大きいの飲むのん?」て言いますねん。わては勇気が有りまっさかいに、「うん、飲むねん・・」と胸を張って言いますねんけどネ。お好み焼きは時間がかかりますねん。其れでついでに厚揚げとネギを焼きまして、先ずネギをポン酢で食べますねん。此がビールのええ肴になりまんねんがな。ほて、厚揚げは6つの面を順に焼いて行きますねん。此の手入れがまたおつなもので、より美味しく頂けるのです。そうこうしている内にお好み焼きが焼き上がって来るんですわ。豚玉モダン焼きです。嫁は決して豚は食わないんですけど、わてには豚をあてがいますねん。好き嫌い言うたらあかん、て言うても、「豚も食べてる、合い挽きハンバーグで・・」と口答えしまんねんがな。大変でっせ。
2003/08/30  「3丁目のオーディオ屋」は防犯の為もあって番犬を飼っているのです。其れが結構手間暇金が掛かるのです。朝晩、交代で散歩に連れて行くのです、ある時は嫁と一緒に・・。旅行に行くときは犬のホテルに預ける事も有るのです。門扉のネジを外し、ガスバーナーで焼き切り、取り外して持っていくまで、一声も発しない物静かな犬だったのです。其れはそうと「山椒大夫」と「新べべのたえこ」の披露宴が9月18日に迫っているのです。何とか其れまではもって欲しいと思うのです。天気の話違いますねん、彼等の婚姻がなんです。仲人の「4丁目のオーディオ屋」はバージンロードのエスコート役で既に出番は有ったのです。あまつさえ、二人に牧師の前で祝辞まで述べているのです。ところが、披露宴専任司会者で有ります私の出番は未だ無いのです。ところが危機は何度となく有ったのです。勿論ハワイでも・・。其れも、「愛は寛容、愛は欲しがらない、愛は慈しむ、愛は・・。死が二人を別かつまで永遠の愛を誓いますか?」と問われ「はい、誓います」と答えた舌の根も乾かぬ間に、「出て行け!」、「出て行ったるわ!」の大喧嘩をしたのです。ところがせっかく喧嘩を初めたのに、其の捨て台詞の最後のフレーズを言うや言わぬ間に彼等は直ぐ仲良くなってしまうのです。「社長から、「もう別かれるかも知れへん。俺一人先帰るねん。」て、電話が有ってん。どうしたらええねんやろ?」と「1号」から電話が有った翌々日には「新べべのたえこ」からの電話で「マウイ島のお星さまってメッチャ綺麗・・」との台詞が私の耳に入って来るのです。まあ、夫婦喧嘩は犬も食わぬ、とは昔から良く言ったもので、心配した自分がアホでした。
2003/08/29  正式名を「浪速区震災訓練」と言うのですが、日本橋から20名ほどが参加したのです。浪速区民センターから立葉町公園へ避難誘導訓練をする組、公園で日本橋連合テントを設営する組、2手に分かれての訓練なのです。其の後、煙中体験、応急救護、初期消火、救出救護、過般式ポンプ操作、炊き出し、配給と各訓練が続くのです。炎天下の糞暑い中でなのです。何とかお昼には終わったのです。「3丁目のオーディオ屋」も参加したのですが、彼は不幸な目に遭ったのです。いや、「震災訓練」で名誉の負傷をしたとかでは無いのです。今回も全員無傷で帰還する事が出来たのです。朝、犬の散歩に出ようと思った時、何か変だな?と思ったのです。玄関を出た景色が普段と違うのです。其れも其の筈、彼の家のアルミ製の門扉が全て無くなっていたのです。そうなんです、夜中に盗まれていたのです。早速警察に届け、現場検証で「うん、これはプロの仕業やなあ。まあ、もう物は出てけえへんと覚悟せなあかんわ」と警官が仰ったとか・・。全てのネジを外し、ガスバーナーで焼き切って有ったのです。「ガスボンベ3本は使ってるなあ」と件(くだん)の警官が役にも立たない事を付け加えたのでした。物見高く無い私としても彼の家の前まで「白塗り」、「事務局のおっさん」共々見学に行ったのは無理も無い事だったのです。聞くところに依ると「工具屋のおっさん」も見学に行ったとか、まあ不謹慎と言うよりは「もって他山の石と為す」の心境だったのでしょう。嬉しいニュースも有るのです。我々が炎天下で難行をしている時、遠征で涼しい北海道の「樽前カントリー倶楽部」へ遊びに行っていた「4丁目のオーディオ屋」が、42/46で何と!ベスグロ優勝したのです。彼は涼しくて横が広いゴルフ場が大好きなのです。暑くて狭い所は私も大嫌いなのです。「PERL」も「太子」も暑くて横が狭かったのです。
2003/08/28  「ええかげん」と言う言葉が好きなんです。昔々、次男が小学校に入学した時、初めての父兄会みたいなものに出席した時、男のおっさんは私一人だったのです。まあ、座談会みたいになって「澤田さんとこの教育方針はどんなんでっか?」と問われた事が有るんです。私が「ええかげんですわ」と答えたところ非難の嵐となったのです。其処で言ってやったのです。「お母さんがたは60度も有る熱いお風呂にお入りになられますか?20度のぬるいお風呂がお好きですか?私は42度ほどの”ええかげん”なお湯加減に入るんです。うちの教育方針もそうなんです。まあ、具体的には子供本人が自分で気づく方向に導いてやる、それが方針なんです。」 広辞苑でひくと「ええかげん」は大阪弁で標準語では「いいかげん」又は「よいかげん」になるのです。「いい‐かげん【好い加減】 (1)よい程あい。適当。ほどほど。「―に焼き上がる」「冗談も―にしろ」 (2)条理を尽さないこと。徹底しないこと。深く考えず無責任なこと。「―なことを言うな」 (3)(副詞的に用いて) 相当。だいぶん。かなり。「―待たされた」「―いやになる」(広辞苑)」、同じく「てき‐とう【適当】(1)ある状態や目的などに、ほどよくあてはまること。「―した人物」「―な広さ」 (2)その場に合せて要領よくやること。いい加減。「―にあしらう」」とあるのです。まあ、私が言う「ええかげん」は(1)の意味なんですが、世間では(2)の意味で良く使われているのです。今日はこれから「災害救助訓練」なのです。私は日本橋地区の隊長。隊員には「工具屋のおっさん」、「素手で杵を折ったおっさん」、「京都に嫁の居る電気屋」等々が居るのです。「ええかげん」な連中なので「ええかげんにやったらあかんぜ」と言いながら「ええかげん」にやりたいと思うのです。
2003/08/27  どう言えば良いのでしょうか?あれほど激しく降っていた雨が、ゴルフ場に着く頃には青空まで見えるでは有りませんか・・。まあ此も全て日頃の品行の良さを天が言祝(ことほ)いだ結果だと思うのです。朝、レストランで初めてのビールを飲み、スタートとなったのです。昼飯は鉄火丼・とろろ付き、生ビール一杯にしたのです。あっ!忘れてたのですが午前のスコアは48、OBを二つも叩いてしまったのです。昼からは頑張ろうと固く心に誓ってスタートしたのです。其れが、何と!何と!午後だけでOBを10発叩いて木っ端微塵、65を打ったのです。其れでもハワイの70より5個も縮めた、とでも思わんとやってられないのです。おまけにラスベガスだけで185も負けてしまったのです。其れでも雨を覚悟のゴルフで一滴の雨にも祟(たた)られず、最後までプレー出来た事を喜ぶ、そんな良い性格なのです。まあ、悔し紛れには違い無いのですが・・。大阪まで帰ると又雨、そんな一日だったのです。酔っぱらいの最中に実の嫁から「道頓堀のお寺」でええもん貰ろた、とメールが入ったのです。家に帰って見てみると、何と!「乳首付きおっぱい」が二つ置いてあるでは有りませんか!住職がUFOキャッチャーでゲットしたとか、其れを貰って来たのです。何とも艶めかしい揉み具合なのです。色も形もそっくりなのです。まあ、ボール代わりにキャッチボールも出来るのです。一通り揉んだ後、嫁に投げてやったのです。すると、嫁がまた投げ返して来たのです。これが本当の「ちち帰る」なのです。
2003/08/26  此処まで来たら今夏は頑張るつもりなんですが、事務所のエアコンは依然故障中なのです。ハワイから帰ってきた日が今年最高の暑さとか、心地よい気候に慣れ親しみだした身体には応えるのです。当然仕事中はパンツ一丁、店から呼び出しが有る度にズボンとシャツを着るのです。で無かったらシャツは汗ですぐ濡れ衣、水も滴る良い男になるのです。どんなんやと言えば、じわっと汗が滲み出て水滴になるのです。それがサッと下に落ちるのですが、その途中で他の水滴を巻き込みパンツのゴムの部分を濡らすのです。其れが段々と周囲に広がって行く様子を眺めるのは、また格別のものなのです。冷房手段は旧式の扇風機。まあ、この秋にはエアコンを買おうと思うのです。しかし、汗をかくのも健康には悪くはないのです、ほどほどならば・・。ほて、暑さしのぎに「4丁目のオーディオ屋」と「のら」へ行ったんです。其処には、いつもの「せきちゃん」、「べべのようこ」、「さぶろうさん」、そして珍しく「呉服屋のおっさん」が嫁と娘を連れて来ていたのです。其処へ「たーちゃん」、「4丁目の照明屋」、「太郎」が来て大騒ぎ、深々と夜は更けていったのです。其れは兎も角、今日は「難波会」で「太子カントリークラブ」へ行くのです。此も国民の義務、義務と言うのは辛いものなのです。こんな大雨の中でも行かねばならないのです。止めてくれる人も居ないし、ほたら行って来ます。
2003/08/25  23日、24日は「でんでんタウン 夏休みロボット大会」が大阪市立日本橋小学校で開催されたのです。24日は其の仕上げ「メカドッグ 製作教室」で各自が作ったロボドッグを競争させたのです。押すな押すなの大盛況、キャンセル待ちまで出る次第となったのです。お開きの「卒業証書授与式」も無事終わったのです。其の撤収を見ずに着替えに戻ったのです。「枚方花火大会日本橋見学ツアーコンダクター」としての仕事が有ったのです。浴衣姿に真っ赤なペディキュア、地下鉄、京阪と乗り継いで枚方公園駅へと着いたのです。「嫁の実家が酒屋のおっさん」が迎えに来てくれたのです。「4丁目の照明屋」、「下駄屋のおっさん」、「のら」、「かいちゃん」等、先発隊が3時頃から設営してくれた河原の一等地、ブルーシート2枚の広大な敷地を確保して有るのです。ビールに焼酎、飲み物食べ物も存分に準備されているのです。何故一等地かと言えば、花火を見るのに最適の場所、と言うだけでは条件を満たさないのです。近くにトイレが十分確保されている、これが必要条件なのです。その点この場所は24基有る仮設トイレから徒歩40秒の場所にあるのです。しかも、植え込みで隔てられ落ち着いて観賞出来るのです。花火は其れは素晴らしいものだったのです。特にイタチの最後屁、フィナーレは素晴らしいものだったのです。素人は花火が終わればすぐに帰ろうとするのです。道は黒山の人、電車は超満員、その点我々プロは花火が終わってから一時間以上はゆっくりしてから余裕を持って出立するのです。電車は座れるほどなのです。まあ、お陰で家にたどり着いたのは11時半頃だったと記憶しているのです。
2003/08/24  昨日、夕方5時半頃に帰って来たのです。19日に出発してからの模様は20日からの雑記帳に書くとして、昨日はどうだったか?をお知らせしたいと存じます。朝6時20分に実の嫁がモーニングコールをセットしていたのです。荷物は7時半に集めに来るのです。ドアの内側に置いておけば勝手に空港まで運んでくれるのです。朝シャンをして身を清め食事に出たのです。場所は我等が泊まるホテルの隣のホテル。建物も内装もボーイのアロハもメードのムームーも全てピンクで統一してあるのです。「ここのオムレツが美味しい・・」と「新婦のたえちゃん」が言うので私と嫁の「さよならモーニング」をここでする事にしたのです。「4丁目のオーディオ屋」家族と「山椒大夫」夫妻、合計8名での朝食バイキングで有ります。オムレツの中身は勿論、マッシュルームとハム、タマネギにネギの4品を流暢にオーダーしたのです。まあ、指差すだけなのですが・・。2つの卵焼きフライパンを器用に操ってコックのおっさんはオムレツを焼くのです。大方出来たところで「チーズ?」と聞くので「イエスキリスト」と答えたのです。ソーセージにベークドポテト、ワッフルにメープルシロップをかけ、クロワッサンにパイナップル、トマトに胡瓜、それに訳のわからん葉っぱ、ドレッシングをかけてオリジナル三日前のでもサラダが出来上がったのです。皆が思い思いのチョイスで皿を満たしてお別れのお食事会は始まったのです。「オレンジジュース?」と聞かれれば、これまた流暢にうなずくとコップに入れてくれるのです。コーヒーはポットから自分で入れるのです。「山椒大夫」達はまだ仲が良かったので、安心してお別れしたのです。部屋の冷蔵庫には札がぶら下げてあって、ビール4.5ドルとか歯ブラシセット3.2ドルとか書いてあったのです。チェックアウトの時、唯一有料と知らずに使った歯ブラシセットにチェックを入れ出したら、一言「無料です」と言われ、そんなにアコギなホテルでも無かったんやなあ、と胸を撫で下ろしたのです。朝起きて此処までに飲んだ缶ビールは未だ2本だったのです。其の後、空港で1本、飛行機で2本とペースを落し、帰って仕事が出来る体制としたのです。驚いたのは空港でスーツケースを預ける時、鍵を開けておくように言われた事でした。テロ対策でかなりの頻度で中身をチェックするとか、もし鍵が掛かっていたらスーツケースを壊されるとか言うのです。私が一寸旅行をしている間に大変な時代になっていたのです。
2003/08/23  21日はゴルフ。日本より早い5時に起きたのです。6時に「山椒大夫」のホテルで待ち合わせなのです。リムジンに乗って一路真珠湾へ。車の中で先ずはバドとハイネケンで祝杯をあげたのです。メンバーは「山椒大夫夫妻」、「オーディオ屋」、「たえちゃんの妹婿」の5人、交渉して5人で回らせて頂く事としたのです。「PEARL Country Club」では乗用カートでセルフだったのです。しかし、「このホールは英語を言うたら罰金や・・」とか「今度は日本語無しや・・」とかやってると集中心はゼロ、午前中だけで7OB、23パットで何と!70も叩いてしまったのです。結局スコアは、70/56、「オーディオ屋」が、59/56、「山椒大夫」が56/52、「たえちゃん」は、71/67、「義弟」は、58/56が結果だったのです。スコアは兎も角おもろいゴルフでは有りました。勿論、帰りの車の中でも祝杯をあげたのです。何て言っても今回の旅行中に飲んだビールは全て「なべ・たえ」への祝杯なのです。ホテルに帰り着いたのは12時30分、シャワーを浴び近所の和食レストランへ6人で出かけたのです。実の嫁は朝から昼まで別行動。「ダイヤモンドヘッド」へ登山に行ったのです。バスを降りてから往復で1時間余り、まあ腹ごなしには丁度良いのです。彼女はその為に入念に準備をしていたのです。途中のトンネルが電灯が無いとか、懐中電灯まで用意していたのでした。午後からはトロリーバスで「アラモアナショッピングセンター」へ。アホほど広い所なのです。まあ、お買い物に興味の無い私と「オーディオ屋」にとっては難行苦行のようなもの。幸い嫁が適当なモノが無いと早々に切り上げたのです。帰りのバスに乗ろうとした時、「オーディオ屋」と息子二人が追いついたのです。何でも、無題解放になったとか。一緒にホテル方面まで帰ったのです。夕食は十分散歩の後「千房」でお好み焼きを食したのです。豚キムチ、焼きそば、豚玉を肴に国産のバドを飲んだのです。まあ、余り日本での生活と変わりが無いのでした。寝る前に祝杯をあげたのは言うまでも無い事で有ります。
2003/08/22  20日はいよいよメーンイベント、「山椒大夫」と「たえちゃん」の結婚式なのです。早起きの私は6時過ぎには起きたのです。シャワーを浴び、風呂上がりのバドワイザーを美味しく頂いたのです。8時にバイキング形式の朝食。ダイアモンド・ヘッドを見ながら砂浜を散歩したのです。二人の居るホテルでの約束の時間10時30分までには少し間が有ったのです。2本目のバドが空けられたのです。彼等の部屋に行くとまだ着替えの真っ最中。「山椒大夫」などは未だアッパッパのまま、「たえちゃん」はメークさんが付きっきりなのです。OKが出て部屋に入ると眩いばかりの「たえちゃん」とホテルのボーイのような「山椒大夫」が居たのです。彼はグレーのタキシード姿、腹巻きのようなものを巻いているのです。「4丁目のオーディオ屋の嫁」が「これ、何?」と異様に膨れたお腹の部分を突っついたのです。しかし、其れはまさしく肥満した「お腹」だったのです。二人の写真を「たえちゃん」を中心に撮りまくったのです。生意気にもお迎えのリムジンが正面に止まり、彼等は乗り込んだのです。我々はバス。10分ほどで目的の教会に着いたのです。ステンドグラスが綺麗な瀟洒な教会。パイプオルガンまで装備されていたのです。リハーサルでエスコート役の「4丁目のオーディオ屋」の足がなかなか合わないのです。バージンロードを歩む二人、「山椒大夫」に「たえちゃん」を無事引き渡したのです。其れで彼の役目は終わったかに思えたのですが牧師に促されて「山椒大夫」、「たえちゃん」に直ぐ側で向き合い、祝辞を述べたのです。事前には聞いていなかった話、「オーディオ屋」もリハーサルの時初めて言われたとか・・。其の祝辞は「なべちゃん・・」で始まったのです。新郎新婦が誓詞に署名、続いて「たえちゃんの母」、「オーディオ屋」が署名したのです。此で結婚の儀式は滞りなく終わったのです。印象に残るのは式中にプロの歌手が歌ったハワイ語での「ハワイアンウエディングソング」と「アベ・マリア」オルガンをバックにマイク無しで朗々と歌い上げたのです。写真撮影会のお開きはリムジンをバックに熱い口づけ、どこからともなく、「舌入れたらあかんぜ・・」と声が聞こえたのです。其の後ホテルに戻って祝宴が開かれたのです。
2003/08/21  19日20時10分発のジャンボは19日11時に無事ホノルルに到着したのです。JTB ルックを利用した我々にはアロハタワーでの旅行説明会が2時間ほど有るのです。「山椒大夫」夫妻は別ツアーなのです。彼らは早速明日の打ち合わせ、衣装合わせ、・・合わせにホテルへと急いだのです。彼らの家族はアロハタワーへ。我々6名はダックスフンド型タクシー(8人乗りリムジン)で「日立の木(モンキーポッド)」を見に空港から15分のモアナルア・ガーデンパークへと急いだのです。急いだと言っても流暢な英語を話す我々は「日本語の出来るタクシードライバー」を、と注文したので少々の待ち時間が有ったのですが・・。写真で見る通り、見事な木が一本では無く10本以上も有るのです。日向は少し暑く感じられるのですが、日陰のそよ風は気持ちが良いのです。大阪よりは確実に涼しく、過ごしやすいのです。木のオーラを吸い込み、写真のモデルになった後、「シェラトン・ワイキキ」へと向かったのです。チェックインは1時。昼食を何処にしょうか?会議を開いたのです。慎重審議の結果、プールサイドのファーストフードショップでピザとチーズバーガー、それにビールと定番のメニューとなったのです。食い物のサイズが大きすぎたのです。外人と言うのはよっぽど口が大きいのでしょう。其のチーズバーガーは親子3人掛かりで1/3を残したのです。私が注文したハワイアンピザ小も嫁と二人がかりで1/3が残されたのです。此処で飲んだバドワイザーが2本。皆がショッピングやスイミングに行った後、私一人がプールサイドに残されたのです。段々と気持ちよくなり、ウトウトとサーフボードを漕ぎ出したのです。どれぐらいの時間が経ったのかは定かでは無いのですが、係のお姉ちゃんが来て、「どんと、すりーぷ。ゆーきゃんのっとすりーぷ、ひやー」と仰ったのです。暫く間が有って後、「わかった」と言ってやったのです。じっとしていると眠たくなるので、本を読むことにしたのです。暫くして、「どんと、すりーぷ・・」と耳慣れたフレーズが聞こえてきたのです。本を持ったまま寝てしまったのです。其処で部屋に引き上げビールを飲んで眠る事としたのです。夜のメニューは「東京 田中屋」と言うステーキハウス。13名全員が勢揃いしたのです。「山椒大夫」が新婚と知るとケーキを持ってきたのです。勿論、有料で有ります。蝋燭を吹き消す二人の顔は幸せが一杯だったのです。ABCストアでバドワイザーを6本買ってホテルに戻る私の顔も幸せが一杯だったのです。
2003/08/20  今日から夏休みなのですが、そうは簡単にいかないのです。午前中「歩行者天国」関連の会議に費やしたのです。午後からは28日(木)におこなわれる「災害救助訓練」の説明会に呼び出されたのです。出立は午後6時10分。「4丁目のオーディオ屋」と彼の嫁が一人、息子が二人、総勢6名様ご一行となったのです。スーツケースをガラガラと押しながら南海難波駅中央改札口へ。南口ではホームに上がるのに階段をスーツケースを持って登らなければならないのです。金券ショップで買うよりも往復を買った方が安い。勿論、事前に調査してあるのです、「オーディオ屋の嫁」が・・。ラピートベータがガタンと動き出すと同時にバッグから、其の瞬間まで氷と同居していた缶ビールを2本取り出し飲んだのです。旅立ちに飲むビールはギンギンに冷えてなければならないのです。我が家の家訓なのです。関空に集まったのは主役の「山椒大夫」夫妻。新婦の母上と妹夫婦に其の高一の長女と中三の長男。此処で勢力は一挙に13名と膨れ上がったのです。発車の笛の音が鳴るのが22時10分、時間は有り余るのです。何でこんな早よ来んなんねん・・、とかボヤキながら先ずは腹ごしらえ。枝豆、蛸天、小海老のから揚げ、鳥のから揚げと生ビールが2杯、長々とヘタって居たのです。光陰矢の如し。ジャンボのアッパーデッキに乗るのは初めてで、座席横に収納スペースが有り、其の上をテーブルにも使えるのです。階下よりも一寸だけゆったりしているのです。勿論、ビールを注文するのは国民の義務。私は立派に義務を果たしたのです。次が白ワイン、赤ワインと続けたのです。仕上げのビールを飲む頃には上の瞼と下の瞼が目出度く挙式の段取りとなったので有ります。
2003/08/19  昨日「山椒大夫」から結婚披露宴の案内状を貰ったのです。文面が「この度 「4丁目のオーディオ屋」ご夫妻のご媒酌により結婚式を挙げました つきましては新しい二人の人生の出発にあたり今後とも末永くご指導いただくようささやかですが披露パーティーを・・」となっているのです。其処でこれは20日の結婚式以後に皆様に到着するようにしたのです。案内状の一部を預けるため、最終打ち合わせも兼ねて「のら」へ行ったのです。「せきちゃん」、「くっさん」、「たーちゃん」、「嫁の実家が酒屋のおっさん」、「ハム屋のおっさん」等々披露宴に来て頂く面々が団体で居るのです。「たえちゃん」の話では「今朝、魚を焼いて其の後始末の時、足に一寸火傷をしてん。ほたらなべちゃんが何て言ったと思う。「お前アホか・・。」ちょっとひどいと思わへん??普通、「大丈夫か?」とか言うやんなあ・・。」其処で私は言ったのです。「まあ、火傷が大したこと無いのはその場に居ったら分かる。それよりも次回からもっと注意せなあかん、本当の意味で妙ちゃんの身を案じて「アホか」と言う言葉が出たんや」 他に「納涼枚方大花火大会」の話も有ったのです。8月24日(日)午後5時地下鉄日本橋地上集合。5時30分京阪改札口集合。6時京阪枚方公園駅集合。制服は浴衣にペディキュア(強制では無い)と、決まったのです。まあ、こんなんをワイワイガヤガヤ言いながら夜は更けて行ったのです。そして今日の午後6時からいよいよ関空に向かうのです。何?って、「山椒大夫」と「新べべのたえこ」の結婚式に出席するためなのです。実の嫁共々ハワイに行くのです。22時10分のJALに乗るのに何ぜ18時に家を出るのか?まあ疑問では有るのですが・・。19日の夜出て、ホノルルに到着するのは同じ19日朝の11時、日本とハワイの間にあるマイナス19時間の時差でこうなるのです。ほたら、雑記帳は暫くお休みなので決して催促しないようにお願い致します。
2003/08/18  「京都に嫁の居る電気屋」もお盆に東本願寺にお参りしてお説教を聞いてきたとか。お盆は所謂シーズンで私もお墓参りに行ったのです。お盆の語源なんですが、百科事典によると、「釈迦(しやか)の弟子の目連(もくれん)が、死んだ母が餓鬼道(がきどう)に落ち逆さに吊()るされて苦しんでいるのを救おうとして、釈迦に教えを請い、715日(旧暦)に供養して祭った。倒懸(とうけん)の梵語(ぼんご)ウランバーナullambanaが「うらぼん」となり、略して盆となったという。別に、供物をのせるほとぎという器物の古称をボニとよんだのが、その語源だという説もある。」 倒懸(とうけん)は国語辞典によると、「(1)逆さまにかけること。(2)手足を縛って逆さまにつるすこと。転じて、非常な苦痛のたとえ。」とあるのです。お墓参りと言えば、ひたすら自分の縁者の墓を目指し他の墓を鑑みる事は無いのです。「親鸞は父母の孝養のためとて、一辺にても念仏もうしたること、いまだそうらわず。そのゆえは、一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり」と歎異抄に書かれているのです。要するに無縁の人とは単に自分が知らないだけなのです。私が今この世に在ると言うことには計り知ることが出来ない過去が有るのです。その事を改めて知らしめて頂く、これがお盆の仏事なので有ります。
2003/08/17  15日の午前中に義父のお墓参りに今里まで行って来たのです。さすがお盆、押すな押すなの大賑わい。花は真新しくなり、あちこちから線香の煙が立ち、墓石に水をかける姿が見られたのです。実の嫁は13日にもお参りしたそうで綺麗な花と槇が供えられていたのです。小さな菊の花を二輪づつ槇に添え、お線香をあげさせて頂いたのです。難波まで戻りお昼にしたのです。私は「海老おろし蕎麦とかやく御飯セット」を、嫁は生意気にも「レディースセット」をそれぞれ注文したのです。私のおろし蕎麦を持ってきた仲居さんが「え〜と、つゆかかってるかなあ・・」と言うのです。えっ!と思ったのですが、「待ってな、一寸食ってみるわ」と一口運んだのです。「おばちゃん、つゆかかってへんわ」 彼女は慌てて奥に消えたのです。次に持って来たとき「つゆ、かかってますから・・」と言うたのです。横から嫁がそっと「そんなんつゆかけに戻ったんやから言わんでも分かってるやん、なあ・・」と言ったのです。昨夜は嫁の薦めで四天王寺の万灯籠を見に行ったのです。飯を食って、阪神がほぼ勝ったのを見届けて出たのです。運動靴に履き替え、着いたのは9時10分。係のおっちゃんに「今日はもうおしまいですわ」と言われたのです。嫁は不服そうで「9時20分までやってるて案内板に書いてあったけど・・」と食い下がるのですが、所詮終わりは終わり、すごすごと帰途についたのです。其れでもライトアップされた荘厳な5重の塔を見させて頂いて私は満足したのです。「此は説教とちゃうねんぜ、ええか 今、幸せと思うのが幸せなんやぜ。こうして四天王寺さんまで散歩に来させて貰って、二人で元気なんやから本当に幸せやねんぜ。幸せは小さいからいつもいつも捜したらなあかんねん。お前は本当に幸せやねんぜ・・」といつもの台詞を道々お話するのでした。
2003/08/16  一昨日の大雨のゴルフ、スタートの時から合羽の上下を着ていたのです。そして、傘も差していたのです。ところが朝の最終ホールはやや小雨になり、4人共が傘を差さずにプレーしていたのです。しかし、突然雨足が強くなったのです。でも、傘はうんと離れたカートの中、しかたなく傘なしで居たのです。と、言うかそんな余裕も無かったのです。私など4打目をピン左のバンカーに落し、そこから何とかオンさせたのですが、其の絶妙のロングパットが僅かにカップに蹴られ下り坂をトロトロと再び同じバンカーに嵌ってしまったのです。まあ、ファインショットで乗せ、惜しくも外したので9打となったのですが、この場合2パットなのか?4パットと言うのか?どっちなのでしょうか?他の3人もずぶ濡れとなったのです。何故って?3人のスコアは9、9、11だったのです。まあ、私と同じかそれ以上の苦労を重ねられたのでしたから・・。そんな訳で昼食は着替えをした「泉佐野のおばはん」を除いて濡れ衣を着せられたままとったのです。昼からのスタートではこの季節に合羽を着ていても「寒い!」と思うほどだったのです。もう夏は終わったのでしょうか?我が家は、今年もエアコン無しで夏を越したのでしょうか?
2003/08/15  今朝も雨が降ってるのですが昨日のゴルフは思い切り雨が降っていたのです。52/50、HDCP22.8、24名中8位、まあこんなもんかなあと言う成績でした。優勝は「工具屋のおっさん」で、42/43、HDCP12、2位が「ハム屋のおっさん」、45/43、HDCP14.4。3位「素手で杵を折るおっさん」47/43、HDCP13.2。「山椒大夫」が54/48、「のら」は53/53、「子供を食いもんにするおっさん」が59/63、「京都に嫁の居る電気屋」、51/48、「太郎」58/61、「べべのようこ」63/63、「くっさん」61/69、「4丁目のオーディオ屋」56/57、そしてブービーは「泉佐野のおばはん」が71/68でゲット。勿論、今後も当分定位置となるべべは「下駄屋のおっさん」が89/88で予定通りとなったのです。私、昼からのSOUTH5番のミドルでサードショットを一寸のことでバンカーに入れ、次を反対側のバンカーに入れ、其処で4発叩き、1パットで入れても9として万事窮したのです。しかし、圧巻は其の後の7番ショートだったのです。ピン位置は右奥、私は手前のバンカーに入れ2パットのボギー。「呉服屋のおっさん」は奥のバンカーから強めで手前のバンカーへ、其処で2回叩いて2パットの6。「泉佐野のおばはん」は左の池、次をバンカーに落し、2度目で出て2パットの7。「4丁目のオーディオ屋」も奥のバンカー、次を手前のバンカーへ、なんと!此を3回繰り返し、最後のバンカーを3度目にやっと出し、3パットで12を叩きご臨終なされたので有ります。雨で締まったバンカーの怖さを改めて認識させられた一日で有りました。南無阿弥陀仏。
2003/08/14  今日は雨やけどゴルフやねん。「お化け大会」て言うねんけど、お化けが出るねん。どんなんやて言うたら、「どうにもならん顔でも化粧塗りたくって綺麗に見せようとする、これが男と女のホンマの姿ちゃいまっか?」と歌の台詞にも出て来る通りですわ。夏場のゴルフの化粧は厚い、そっからこの「お化け大会」て言う名前が付いたんですわ。場所は「オークモント」、6組ですわ。ダブルペリアでっけど優勝者がええ賞品貰えるのとちゃいまんねん。まあ、名誉だけですわ。抽選みたいなもんで賞品当たりまんねん。ほんならゴルフなんかせんでもええやんけ、て声聞こえました。その通りで、今年の正月は雪でクローズ、そやからボーリング大会に切り替えましてんがな。ほて今日の副題が「下駄屋のおっさんデビュー戦」となってますねん。このおっさん、正月にデビューしたんでっけど、雪で2発打っただけで終わりですわ。其処で、まあ再デビュー言いまんのでっかな、今日もっかい仕切直ししまんねん。今日も雨か雷でクローズなったらお笑いのんですわ。ほたら、行って来ますわ。
2003/08/13  毎日何かと忙しいのですが、昨日の朝、何気なしに屋上に上がってみると嫁が汗だくで洗濯物を干していたのです。盆休みで長男・次男の二人ともが家に居るのです。洗濯物の量が普段の倍以上有るのです。ところが、昨日は姉等と生駒山に登る約束をしていたとか、「時間が無いねん」と言うので、「分かった、残りは干しといたる」と言い、手慣れた洗濯物干しをしたのです。午前中仕事でバタバタしていて「かまど」でざるうどんを食ってと思っていたら「かまど」は盆休み。仕方がないので王将へ。午前11時43分に注文して出来上がったのが11時49分。6分でラーメンと焼飯を食って集合場所に着いたのが約束の12時1分前。未だ全員揃って無かったので小便をしたのです。ジャンボタクシーに6人が乗り込んで途中一人を迎えに行き、着いたところは大阪府庁。「歩行者天国」の陳情に府議会議長、警察常任委員長に面談したのです。大阪市経済局長等も来ていて市長の親書をも手渡したのです。いよいよ警察との出入りは佳境に入るのです。まあ、何分相手は飛び道具を所持、一筋縄では行かないので有ります。
2003/08/12  「新べべのたえこ」と「山椒大夫」の結婚式が来週に迫って来たのです。其処で仲人の「4丁目のオーディオ屋」と彼らの新居にお祝いをお持ちしたのです。お祝い事は午前中が決まりなのですが、仕事の関係で午後6時40分出発となったのです。まあ、昨日は友引。お葬式は午前中に、お祝い事は午後からが良い、そんな話も有るのです。地下鉄「日本橋」から堺筋線、長堀で鶴見緑地線に乗り換え「横堤」で下車するのです。礼儀正しい我々は「今、地下鉄日本橋で乗った」と「山椒大夫」からの電話に答えたのでした。気が付くと「北浜」。まあ話に夢中になり二駅乗り越したのです。発車間際にホームに飛び降りたのです。予定より15分ほど余分に時間を掛けて「横堤」に到着したのです。二人でお出向かえしてくれたのです。近道と言う「通り抜け禁止」を通り抜け5分も掛からぬ内にマンションに到着したのです。彼らの部屋は4階と5階。家の中に階段のあるメゾネットタイプなのです。リビングが吹き抜けになり生意気にも雰囲気が良いのです。2階のベッドルームにはウォークインクローゼットまで有るのです。ビールとワインと焼酎しか飲まなかったのに気が付くと11時。私は一寸ソファーでお寝んねしていたらしいのです。駅の改札まで二人でお見送りしてくれたのですが、二人はものげっつう仲が良いのです。手を振ってお別れをしたのでした。
2003/08/11  昨夜のメニューは鉄板焼き。特にタマネギは私の好物なのです。勿論、肉も好物なのです。一頻り食って、5切れほど肉がトレイに残っている時点で実の嫁が「未だ食べるの?」と言ったのです。実は栃木に居る次男が昨夜10時頃に帰って来るとのメールが嫁に有ったのです。至極上機嫌なのですが、既に心の9割は子供の方に行ってるのです。タマネギも肉も子供のモノなのです。私が「うん、食べる」と言った瞬間の嫁の心の言葉が聞こえたのです『信ちゃんの分無くなるやん』。「信ちゃん」とは信治・次男の名前なのです。メールでは晩飯は食って来る、と有ったのですが母親は子供には無制限のサービスをするのです。勿論、亭主へのサービスは期間限定、無くなり次第終了なのです。別に私は僻(ひが)んでいるのではないのです。羨(うらや)んでいるのではないのです。嫉妬しているのではないのです。差別を詰(なじ)っているのでもないのです。ただ、事実を淡々と書いているのみなのです。早起きの私は、嫁と信治の寝顔をかわるがわる見ながら思わず微笑んでしまったのです。
2003/08/10  昨夜は実の嫁と久しぶりに外食したのです。何時もとちゃうとこへ行こう、との企画で色々考えたのです。安くて、嫁にうけて、美味しくて、ビールが飲めるとこ、これがコンセプトなのです。今まで飛び込みで入った店で良かったのは稀(まれ)だったのです。計画性の皆無な私としては歩きながら考えたのです。行き着いたところが「自由軒」という洋食屋。まあ、雑誌やテレビで取り上げられ結構有名で流行っているのです。8時半頃なのに店内はほぼ満員、ミーハーな若者、特に女の子が多いのです。マスコミの影響は大きいのです。昔から知ってはいたのですが入るのは初めて、何を注文するのかで悩んだのです。此処の名物は「混ぜカレー」、店の符丁では「インディアン」と呼ぶのです。織田作之助がよく食し、夫婦善哉の中でも主人公の柳吉に 「自由軒のラ、ラ、ライスカレーは御飯にあんじょうま、ま、ま、まむしてあるよって、うまい」と喋らせているのです。初めからルーと御飯をよく混ぜて有り、その上に小粒の生卵を落として有るのです。場所は千日前を西の国際劇場の方に入ったところ「難波センター街」に有るのです。店内にはおださくの他、半袖スーツで有名な元首相の羽田さんの写真も飾って有るのです。私が注文したのは「ビーフかつ」700円と「キリンビール」500円、嫁は「混ぜカレー」600円と「野菜サラダ」600円、例の「三日前のでもさらだ」なのです。お味の方はそこそこ、カレーとサラダは美味しかったのです。メニューに「一級酒」と有ったのはレトロなのでしょうか?バヤリースオレンジ等の表現も懐かしいもので有りました。
2003/08/09  昨日は午前11時から「歩行者天国」関係の会合が有り、「3丁目のオーディオ屋」、「でんでんタウン事務局長」と出かけたのです。会合が終わった其の足で難波の「光明ホール」での某メーカーの展示会を覗いたのです。帰りに天丼とざるうどんのセットを食い、アップル紅茶を啜り、一寸仕事をするともう2時前。日本橋連合防災委員長に「日本橋小学校」と「日本橋中学校」の鍵を届けたのです。昔、区役所よりお預かりしていたものなのです。お役所というところは自分らの為に沢山役職を作るだけでは満足せず我々にも沢山役職を作るのです。防災関係では「日本橋連合地域防災リーダー隊長」なんてなのも有って、此を私がさせて頂いているのです。隊員には「工具屋のおっさん」、「素手で杵を折ったおっさん」、「京都に嫁の居る電気屋」、「3丁目のオーディオ屋」等が居るのですが、いざという時に役にたつんかなあ・・、と時々不安になるのです。8月28日(木)には大阪市をあげての防災訓練が有るのです。此で貴重な木曜日が一つ消えるのです。2時からは「日本橋筋商店街振興組合」の理事会。4時からの「夏休みロボット大会実行委員会」には一寸顔を出すだけにしたのです。6時からもスポーツ関係の会合が有ったのです。台風の接近も有って今朝は4時から起きて警戒にあたったのですが幸い被害は無かったのです。
2003/08/08  池に4発入れ、OBは1発。47/48、HDCP16、9位(会長賞)が昨日の成績だったのです。ようやくクラブに慣れ出したのかなあ、でもまだまだかなあ、といったところで有ります。参加20名、「レイクフォレスト ザ・センチュリーコース」での「草踏会」で優勝したのは「素手で杵を折ったおっさんの兄」で43/42、HDCP14。ブービーも「素手で杵を折ったおっさんの長兄」で57/62、HDCP24。べべは「日本橋のフセイン」が66/65、HDCP28と安定したスコアでゲットしたのです。因みに「ごろちゃん」は53/54で11位、「工具屋のおっさん」は46/46で14位、「素手で・・」は50/46で15位だったのです。「京都に嫁の居る電気屋」は比較的良く、46/47、HDCP19で5位にのたれ込んだのです。行きのバスではおにぎり、パン、ビール、酎ハイが配られたのです。小便休憩もとらず、ノンストップで目的地まで行けたのです。着いてから時間がたっぷり有り、白塗りをし、酎ハイを飲みつつ待機したのです。お昼の休憩時間も1時間半有り、ビールがすすんだのは言うまでも無いのです。表彰パーティーでは幹事が「ここではあんまり飲むな!バスにビールや酎ハイを山ほど積んで有るんや!」と叫(わめ)くのです。まあ、せこい話では有りますが、経済合理性から言えば無理からぬところで有ります。こうして一日が終わろうとするバスに雨が降り出したのは香芝でラーメンを食った頃からでした。
2003/08/07  「新べべのたえこ」のお母様が昨日ご挨拶に来られたのです。単なる司会者に大変ご丁重なご挨拶、只々恐れ入るのみなのです。夕方からソニータワーへ行ったのです。「QUALIA大阪」の内覧会だったのです。効率では無く「感動価値」を見いだす、がコンセプトの商品、クオリア。まあ、早く言えば珍しモノ好き、嬉しがり向き、自慢したがり向き、の商品なのです。現在16以上の開発番号が有って、その016が小型デジタルカメラなのです。200万画素CCD、18万ドットTFT液晶モニターと言うスペックでメモリースティックデュオ、リチュームイオンバッテリーを含めた重さが50g、サイズが突起部を入れて69.1*24.0*16.8mmなのです。お値段が38万円。現在4種類のQUALIAが発売されていてこの他に、液晶プロジェクター(240万円)、トリニトロンカラーモニター(130万円)、スーパーオーディオCDシステム(150万円)が有るのです。勿論、興味は有るのですが、私的には一切縁の無い商品なのです。それはそうと今日はこれから京都府相楽郡の「レイクフォレストゴルフ倶楽部」へバスで行くのです。「第174回 草踏会」なのです。ハンデは16と厳しく目的は「参加」なのです。ほたら、行って参ります。
2003/08/06  昨日はお昼までに「地域情報板」の原稿作成をし、午後1時から「歩行者天国」の会議が有ったのです。午後4時からは「日本橋まちづくり振興(株)」の取材が有り、写真の被写体になったのです。会議中の写真と歩道橋の上での写真とを撮ったのです。色々注文が有って、ディスカッションをしている雰囲気を出して欲しいとか、未来を見つめている目つきをして欲しいとか言われ合計で七八十枚は撮られたのです。我々の写真集でも出すのかなと思うほどだったのです。残念ながらヘアヌード写真は無かったのです。引き続き「ビジョン委員会」、「まちづくり会社取締役会」と続き、夜にはミーティングまで入ったのです。未確認では有りますが、ヤマギワ跡地が7億9千万円で売れ、下駄履きマンションに建て替えられるとか、うどん屋が廃業するとか、名古屋銀行が9月6日で出て行くとか、JTの跡地利用をどうこうとか、街の美化の為電柱の地中化・歩道の拡幅とか、店舗診断・従業員診断とか、話題には事欠かないのです。阪神の試合は雨で流れ、早々に帰宅就寝したので有ります。
2003/08/05  7月17日入籍、8月20日結婚式、9月18日披露宴。これが「山椒大夫」と「新べべのたえこ」の日程なのです。披露宴は会費制で、男性一万円、女性8千円。ホテル日航大阪 32階 ジェットストリームで午後7時開宴なのです。披露宴の発起人は「べべのようこ」と私、媒酌は「4丁目のオーディオ屋夫妻」なのです。現在、案内状の最終稿をチェック中、明日にでも印刷に回すのです。ただ、案内状の到着日が結婚式の前後で文面が変わるので調整が必要なのです。まあ、何かをするというのは結構手間暇の掛かる事なのです。昨夜は久しぶりに「のら」へ行ったのです。「ハム屋のおっさん」が居たのです。何時もなら結構早目に帰るのに私が来る前から帰った後も長々と居ったのです。本人の曰く「10曲ほど歌って来た」と言う事は何処かで30曲は歌って来たのです。随分とご機嫌さんで有りました。其の筈で明くる火曜日は彼の店は定休日なのです。「せきちゃん」もご機嫌で、私が出勤した時に帰ると言いながら、結局私が帰る寸前まで居たのです。前日に散髪に行ったとかで短い髪の毛がより一層短くなっていたのです。
2003/08/04  本町の「PiPA」(06-6121-9850)で開かれた披露宴は午後1時から延々と続いたのです。受付を済ますと、先ず写真を撮られるのです。そしてグリーティングカードを渡され、名前、住所、電話、E-mail、お祝いの言葉を書かされるのです。そのカードには先ほど撮った写真を貼るスペースが有るのです。「おめでとう・・」と書き出すつもりが「おむで」と書き出してしまったのです。其処で「おむで、じゃなくて、おめでとうございます。ぼくも結婚したくなっちゃった・・」と続けたのです。皆が揃うまでの間、ウエルカムドリンクにビールを飲んでいたのです。新郎の上司の挨拶で披露宴は始まったのです。乾杯の音頭を「子供を食い物にしているおっさん」がしたのです。後、スピーチは「のら」と私だけ、其れも極短いもので、「え〜、これから船出しようという若いお二人に三つの袋を差し上げたいのです。先ず、一つ目は・・」と言うお決まりの挨拶も無く、飲むのには大変良い雰囲気で有りました。座るテーブルもフリー、我々のテーブルには「せきちゃん」、「さぶろうさん」、「山椒大夫」、「4丁目のオーディオ屋」、「くっさん」とどういう関係か解らない(一応、新婦の友人となってるんですが・・)ような連中が揃っていたのです。「二人の馴初めゲーム」とかをして、いよいよフィナーレ。二人から記念品を渡して頂いてさよならをしたのです。此処までが1次会だったのです。これからが長いのですが・・。
2003/08/03  痛みは未だ取れないのですが朝から公務が有り頑張ったのです。特に階段を下りるとき、自転車が止まって足を着くとき、何とも言えない痛みが脹脛を襲うのです。其の仕事はお昼の中断を挟み結局4時頃まで掛かったのです。昼休みの間にもでんでんタウンの配りモノが有り、食事時間を削ってこなしたのです。通常の仕事は朝6時に起きて2時間ほどしていたのです。夕方5時から予定が入っていたので、4時から5時の間、目一杯仕事をしたのです。5時からの予定というのは「大阪市立日本橋中学校」の同窓会なのです。彼らは丁度、私が商店街の理事会で田辺に行ってるときバーベキュー大会をやったらしいのですが、日を置かず、結構好きな連中なのです。「法善寺がんこ寿司」が会場で、集まったのは8名。牛しゃぶなのですが、豆乳を使っているのです。突き出しとお造り盛り合わせが出て、冷や奴、豚の角煮、茶碗蒸し、うどん、寿司盛り合わせが出てお開きになったのです。是で4千円だったのです。二次会は同じく同級生がしているスナックへ。一人振り落として7名。まあ40年以上のお付き合い、有る事無い事、盛り上がるものなのです。是が3千円。そして、今日も午後から結婚式の披露宴が有るのです。会費制で、是が7千円。結構物いりなのですが、小人閑居して不全を為す、忙しいのが一番なのです。
2003/08/02  脹脛(ふくらはぎ)はやっぱり昨日より痛くなっているのです。年を取るほど痛みが後で出てくると言うのは本当の話なのです。三週間前もそうだったように、痛いのです。マッサージをするのですが手加減をしなければ痛みが強いのです。こんな身体に誰がした。其の痛い身体を押しての東京行きは「歩行者天国」実現の為の陳情なのです。国会議事堂の向かい側に位置する衆議院第一、第二会館の大阪市選出の議員事務所を4軒回ったのです。ついでに秋葉原の実情を具(つぶさ)に見て帰途についたのです。同行したのは合計8名。まあ、結構気疲れするもので有ります。私にしては珍しく帰りの新幹線でもビールは一滴も飲まなかったのです。仕方なしに「のら」へ寄り、生ビールをグイとあおり、やっと人心地がついたのです。何時もの「せきちゃん」、「さぶろうさん」、「かつおさん」が居て適当に盛り上がったところへ、「白塗り」、「たーちゃん」、「泉佐野のおばはん」が来て、もう一段盛り上がったのです。やはり大阪でこうしているのが私にはお似合いなのです。
2003/08/01  昨日の金剛登山は何時もと違う「黒とが谷(セト)ルート」で登ったのです。此処はかなり急な場所も有ってロープを伝って登る場所も有るのです。初めはトロトロと川沿いを登るのです。途中「金剛山横穴」との銘板が有る金網で囲まれ鉄の扉に守られた所が有るのです。其処には「形式:馬蹄形」、「延長:20.3m」、「着手:平成元年6月21日」と書いて有るのです。何のための穴なのか、随分と興味は有るのですが解らないのです。林道脇の小さくて急な登山口から登り初め小川の丸木橋を渡り暫く行き、次に杉林の中をひたすら登るのです。登り切ったところが「セト」なのです。此処にはベンチが有り暫時休憩。後、30分余り掛かってやっと山頂。今回が9回目の金剛山。カードにハンコを押して貰うのです。握飯を3個、卵焼き、ほうれん草のお浸し、南京を食ったのです。其れだけでは足らず、実の嫁はソフトクリーム、私はカップヌードル(カレー味)を食ったのです。帰りはいつもの千早本道。階段の数は3000段は有るのです。今朝の脹脛はやや痛いのです。でも、今月初めと比べればかなり抑制されたモノと思いたいのです。今日はこれから日帰りで東京出張なのです。