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作者のプロフィール

登場人物の紹介

 
2003/09/30  今朝起きたのは八時半、まあ5時に小便に起きたのですが、こんな事は最近は無かったのです。遅くとも7時には目が覚めるのです。昨夜寝たのがシンデレラ時分、5時間+3時間半で、何と!8時間半も寝てしまったのです。通常の睡眠時間は6時間なので年をとってからでは空前の出来事なのです。睡眠は若さの象徴、そう言う意味では実の嫁は大層若いのです。思い当たるのは、昨日は朝から忙しかったのです。6時半に起床、8時20分に弟の入所する港区の老人健康施設へ行き、退所の手続きと荷物の搬出をしたのです。5ヶ月入所していたのです。弟は要介護度3を持っているのです。初めは4だったのですが看護婦が立てると言い、本人が立つのが嫌だと言ったので3に減らされたのです。本当は立てないので今再検査の申請をしているのです。病気の程度が悪くなったので老健施設では無理が有り、堺の病院へ入院する事とし、10時に来院するようにと言われていたのです。しかし、家には嫁の母が居るのです。母は沢山あるリストの中に糖尿病も入れて有るのです。決まった時間にインシュリンを注射し、食事をしなければならないのです。其処で一旦嫁を家まで送り、荷物を下ろし、私は弟を連れて病院へ、嫁は母の世話に帰ったのです。此の病院はパンツからパジャマまで全てリース、私物は何も要らないのです。約束より20分前に着き、手続きをお願いしたのです。呼び込みが有ったのが10時10分、母の世話を終えて嫁が来たのが10時15分、丁度病歴・病状の問診が始まったところだったのです。全ての手続きが終わったのが12時20分だったのです。午後からは隣組「ニコニコ会」の総会の案内と前期会費の集金を「白塗り」と一緒に20軒回ったのです。そしてでんでんタウンから「緊急 パソコンのリサイクルについて」が来ていたので、此を会員に配りに行ったのです。10月1日からはパソコンは只では放せ無くなったのです。店を閉め、ミーティングをして「のら」へ直行しようと思ったのですが、夕食のメニューに「松茸御飯」と「松茸のお吸い物」が有ったので思わず家で飯を食い、其れから「のら」へ出勤したのです。帰ってきたのは11時過ぎ、比較的早かったので寝たのはシンデレラ時分となったのです。
2003/09/29  さっと洗います。焼香の後、腹側、頭と胴体の間に、すばやく包丁を入れ身を切り、すっごく酷(むご)い事ですが、頭と胴体をねじってとります。腹を上に向け、腹の両端を包丁で切り、身を取り出します。キッチンバサミを使うと簡単です。殻から身をはがす時は、念仏を唱えながらスプーンを使うときれいに取れます。器に氷水を用意し、さっとくぐらせ、身を引き締めます。長く入れると旨みが無くなるので注意。皿に頭を置き、胴体の部分の殻を上向きにして、その上に盛りつけるのです。昨日の昼飯は何と!豪華にも伊勢エビの刺身だったのです。あの記念すべき「山椒大夫」と「べべたえ」の結婚式が有った日、セントレークスゴルフ倶楽部で開催された「新木会」の賞品で活け伊勢エビ2匹をゲットしていたのです。其れが昨日の朝、近鉄百貨店からクール宅急便で送られて来たのです。実の嫁はさばき方が分からないので生意気にもインターネットで写真入りの解説を見つけたのです。3人で食べたのですが、ボリュームたっぷりで有りました。昼なのが残念、酒の肴には最高だったのですが・・、でも昨日はノンドリンクサンデーだったのです。意志の固い私としては初志貫徹する為にもお昼にしたので有ります。家で伊勢エビを食ったのは初めての事、此も結婚三十周年記念事業の一環に入れたのは言うまでも無い事なのです。勿論、嫁は抗議したのです。「私が料理したのに・・」と、其処で「俺が稼いで来たんやんけ」と言ったのです。再度嫁が口を開き「私が、俺が、て言うたらあかんねんなあ・・」と、日頃私が嫁を教育している言葉を発したので有ります。
2003/09/28  先日から義母が来てくれているのです。例の「病気の総合商社」の母なんです。実の嫁も、あの年で何となく嬉しそうなんです。昨日、お風呂用の椅子を買って来たのです。丁度、組み立て中にお寺さんが来たのですが、組終えたのです。其れまでは母が入る時はお風呂にブロックを2枚置き、其れにタオルを敷いて椅子代わりにしていたのです。まあ、重みも有って安定していたのですが、何分にも重たいのです。やっぱり専用の椅子、使い心地は良いようです。母は大正10年5月生まれ、満82歳なのです。私は昭和21年生まれで56歳、まあ11月で57歳になるのですが・・。人間はあっちこっち故障しながらも結構丈夫なモノなのです。今月15日夜に4階のトイレの水道の弁が故障したのです。夜中にポタポタと滴が落ち、トイレが洪水になったのです。運良く、早起きの私が6時頃に見つけたのです。慌てて処置したのですが、3階倉庫の商品の一部が冠水したのです。昔、屋上の排水溝が詰まり、プールになって4階から1階まで水浸しになった事が何度か有るのですが、其れに比ぶれば赤子の様なモノだったのですが、大変だったのです。そして昨日、嫁が大声を出したのです。まあ、何時も叫(わめ)くのですが・・。慌てて現場に駆けつければ、またトイレの床に貯まった水を拭いているのです。染み込むところ迄は行ってなかったのは幸いだったのです。聞くと、トイレを掃除していて手洗いの配水管を拭いたら急に水が漏れ出したと言うのです。見ると配水管が腐っているのです。人間で言えば、先日は動脈が破れ、今回は静脈が破れ出血したのです。私の手に負えそうも無いので水道屋に頼む事としたのです。我が家は築30年余り、あっちこっちが傷んで来ているのです。建物とは人間に比べると何とひ弱なモノなのでしょうか?未だ、僅か30歳を超えたところ、人間なら此から油が乗ろうと言う時なのに・・。
2003/09/27  歯医者は大嫌いなんです。嫌いと言うより怖いんです。あの「シューン」と言う音を聞いただけで震えが来るのです。「口を濯(ゆす)いで下さい」の一言にもおどろおどろしいモノが背筋を走るのです。しかし、人生 大きな決断をしなければならない時が有るもので、ブリッジの一つが一寸浮いた感じになって、清水の舞台から飛び降りるつもりで歯医者に行ったのです。不退転の決意なのです。家から徒歩1分の所に生意気にも歯医者は有るのです。隣組「ニコニコ会」の会員なのです。予約は平成15年9月26日(金)午後4時30分、家を出たのは4時24分。概要は言って有ったのですが窓口で再度聞かれたのです。保険証を震える手で渡したのです。先客は3人、それぞれが死刑囚が13階段を登る直前の表情をしているのです。4時40分に呼び込みが有り、いよいよ勝負の時なのです。「真ん中の椅子に座って下さい」看護婦が無機質な声で言うのです。慈悲の欠片も無い声なのです。コンパートメントが3つ、ずっと前に来た時とは違う真新しい機械がか弱い私を襲おうと待ちかまえ笑みすら浮かべているのです。看護婦も3人、結構阿漕にはやっているのです。医者までが脅しの言葉で「どうされたんですか?」と聞くのです。私の固い決意は決まっているので、3度目の同じ台詞を言ったのです。「デンタル」と言うレントゲンを撮られたのです。其の機械からは殺人光線が出るのです。続いて恐ろしい別室に呼ばれ、顎と頭を固定され、「動かないで下さいネ」と脅迫され、グルッと何かが頭の周りを回ったのです。「デンタル」が一部のレントゲンを撮るのに対しこの機械は全部を撮るとの説明だったのですが、其れは嘘で拷問具だったのです。息まで止めさされたのです。放心状態で歯医者から放り出されたのが5時20分、解放される前に次回10月1日(水)午前11時に来るようにと無理強いされたのです。「工具屋のおっさん」は虫歯が有るのですが、5年以上も歯医者に行って無いのです。聞けば、私の数倍の恐怖心をお持ちで、「歯医者に行く位なら死んだ方がましだ」と明言するのです。
2003/09/26  実の嫁が珍しく6時半に目覚ましをセットしていたのです。何故かと言えば山登りするつもりだったのです。生駒山にするか、金剛山にするかは迷っていたのです。姉と其の友達が生駒山に登るので其れに便乗するか、金剛山へ11度目の登山をするか。でも、大雨だったので嫁が「止めとこ」と言い、そのお言葉で中止としたのです。姉にもその旨連絡したのです。其の後、嫁は何を思ったのか荷造りを始めたのです。何でも次男からメールが来たらしいのです。「お母さんお元気ですか?僕は元気でやってますので心配要りません」といった内容だったのです。其処で急に心配になって、なんじゃかんじゃを送ってやるのだそうです。次男は栃木県宇都宮市に居るのです。出来上がった荷物を持たされてコンビニまで嫁の後ろを歩いたのです。ついでに、映画を見ようという事になって道頓堀の角座で「座頭市」を見たのです。一番印象に残っているシーンは、冒頭でやくざ者が座頭市に斬りかかる際、刀を抜いたら隣のおっさんの腕が一寸切れた、このワンカットが面白かったのです。帰りに田舎蕎麦を食ったのです。其の後、嫁と二人で弟を見舞いに行ったのです。7時からは政治絡みの会合が有り、8時半まで掛かったのです。其処で珍しく昔のソフトボール仲間に出会ったのです。この男、今では教頭先生に出世していたのです。一緒に「のら」へ行ったのは言うまでも無いのです。一寸雨がぱらついたので傘をさそうとしたのですが、取っ手が折れてしまったのです。まあ、それでも何とか雨はしのげたのです。「下駄屋のおっさん」を誘ったのです。アッと言う間に11時になり、自転車で我々は帰途についたのです。「下駄屋のおっさん」が「ラーメンを食おう」と言い、気の弱い私はダイエット中にもかかわらず食ってしまったのです。
2003/09/25  「素手で杵を折ったおっさん」のとこで地鎮祭が有ったのです。集まったのはいつものメンバー。「工具屋のおっさん」、「京都に嫁の居る電気屋」、「下駄屋のおっさん」、「日本橋のフセイン」、「ごろちゃん」、「しばしょう」、「ふーちゃんの父」、其れに彼の兄弟で有ります。彼の店舗は現在借家。三年ほど前に隣が売りに出たのです。其処を買って有ったのです。ところが入ってるテナントが結構高い家賃を払っていたのでそのままにしていたのです。今回、テナントが出たので其の後に入る事としたのです。其処で裏に5坪ほどの空地が有り、建て増す事としたので地鎮祭なので有ります。神事の後、玉串奉奠となるのです。其の作法なのですが、まず差し出された玉串の先端側を下の方から左手で受け、右手は上側からもとの方をそっと持つ。受け終わると、やや左手側を右手より高く保ち、両肘を外側に張るようにして、胸の高さに掲げ持つ。この姿勢のまま、神前まで進む。玉串案前の4歩くらい手前で少し留まり、左足から3歩前進して両足を揃えて立ち、玉串を持ったまま深揖(しんゆう)をする。深揖を終えると、玉串を時計回りに90度回して、根本側を手前にする。左手を根本側に下げ、両手で玉串を立てて持ち、祈念を込める。そして、玉串を水平にし、右手を下側から榊の中程に移して、時計回りに榊の根本を神前に向ける。一歩前進して、案の上に置きます。捧げ終わって、二拝二拍手一拝。そして深揖後、三歩逆行(後ろ向き歩行)して、自分の元の席に帰る。まあ、これが本来の作法なのですが、神主以外は私を含めてこれ以外の作法を採用したのは言うまでも無いのです。ついでに「深揖」を国語辞典で調べると、「朝廷における作法で、両手に笏(しやく)を持ち、腰を折って頭を下げる敬礼の仕方。」と有るのです。でも、神事では45度程度の礼を言うのです。様式と言うのは一つの文化で有ります。長年の間に定着し、しかも僅かずつ変化するものなのです。しかし、実務では何事も「ええかげん」が良いようで有ります。
2003/09/24  急に涼しくなって東京では凍死者も出たとか。我が家の室温は24.5度。昨日など寒いので靴下まで履き窓を閉めたりもしたのです。まあ、ちゃんと服を着れば良いと言う説も有るのですが・・。部屋に大型冷蔵庫が有るのです。そいつが熱風を吹き出していたのですが、涼しくなって稼働時間が短くなり室温を上げる要素が減ったのです。ですから気温の低下以上に室温が低下したのです。今朝、一回目に目が覚めたのが午前3時、小便に行きアクエリアスを飲んでまた寝たのです。昨夜の就寝時間は11時前。寝る前に飲んだビール、冷酒、酎ハイが小便を呼んだのでしょう。普通は夜中には目を覚まさないのです。早朝に目を覚ますのです。5時をまわると早朝、4時までが深夜、その間は中途半端なのです。再度起きたのが午前7時、丁度良い時間なのです。何を思ったのか、起きてから爪を切ったのです。手足の爪を丁重に。そして爪ヤスリを掛けたのですが、此が舶来のギヤマン製。凄く細かくてしかも良く削れ、おまけに歯がこぼれしないのです。親子孫三代に渡って使えるとかの効能書きが付いていたのです。実の嫁がどっかへ旅行に行った時のお土産なのです。お風呂で足を洗い、手も洗い、セラミド配合のハンドクリームを擦り込んだのです。勿論、嫁は白河夜船。新聞を取りに行き、今 雑記帳を書き、UPの後じっくりと新聞を読むのです。トップは産経が「大量破壊兵器 拡散防止 米大統領が新決議要請」、日経が「りそな最終赤字1兆円超」、毎日が「内閣支持率急伸 65% 阿部新幹事長76%評価」だったのです。丁度8時になりました。
2003/09/23  「大阪市立日本橋小学校」が廃校の瀬戸際に立っているのです。先週の金曜日、PTAが主催して、小学校校下の関係が深い連中が集められたのです。「連合町会長」を初め町会幹部、PTAのOB、民生委員等々40名余りで有ります。皆様存じ寄りの「工具屋のおっさん」、「ハム屋のおっさん」、「難波の陳列屋のおっさん」、「ふーちゃんの父」、「工具屋の鉄人28号」とかも居たのです。7月の末に大阪市教育委員会が小中学校の統廃合に付いて「市学校適正配置審議会」に諮問したのです。現在、市内に有る小学校の数は299校。内児童数が300を切る「過小校」は89校、一番少ないのが北区に有る「大阪北小学校」で42名。次が同じく北区の「中津南小学校」の62名。我等が「日本橋小学校」は銅メダルに輝く70名なのです。想像ですが30校程度が廃校になろうかと思うのです。このままでは祖父、父、私、子供達と4代に渡って通った学校が無くなってしまうのです。勿論、学校の適正化に付いては総論賛成なのは言うまでも無いのです。しかし各論に付いては此も又当然反対なのです。参加者全員の意見は一致したのです。児童数を増やす算段をした上で残して貰うよう運動する事となったのです。どうするかと言えば此からの検討を待たなければならないのですが私見を言えば。1.子連れ優遇策の付いた公営住宅をぼこぼこ建てる。2.産めよ増やせよ運動をする。3.週6日制に戻す。4.英語、コンピューター、エコロジー、道徳等々魅力有るカリキュラムを組む。5.その上で学区制を外し広く市内全域から児童を募集する。以上の事が実現出来るように陳情に及ぶ事としたのです。まあ、どうなるかは時の運、努力しなければならないのです。
2003/09/22  今朝の事務所の気温は25度、快適そのものなのです。一寸前までの36度は何処へ行ったのでしょうか?出で立ちもパンツからシャツにステテコに進化、段々と正装に近づいているのです。昨日は日曜日、休刊日なのです。何だかんだと言いながら会合が有ったり、外食したりで休刊日を休んでいたのですが、久し振りに休刊日したのです。ディナーのメニューは「もやし炒めピーマン入り」、「鰺の焼いたのを酢に漬けたもの」、「冷や奴洋辛子添え」、「白御飯」、「野菜沢山の味噌汁」、「辛子明太子」、「香の物三点盛」、「巨峰と巨峰のシャーベット」だったのです。テレビを見ていたのですが間が持てず、仕事をしたのです。11時前には寝てしまったのです。多分、実の嫁は其の後直ぐ寝たと思うのですが、いつものように8時にならなければ起きないと思うのです。「秋眠暁を覚えず」、いや彼女の場合は「春夏秋冬お昼をも過ごす」が適当かと思うのです。何?「春眠」やろて?まあ、地方によって色々言うのです。よく寝られるものです。私など今朝は5時半に起きてしまったのです。暫く「ニコニコ会(隣組20軒の親睦会)秋の旅行」を何処にしょうか?(幹事の一人なのです)パンフレットを見ていたのですが、6時前に新聞を取りに行ったのです。未だ入って無いのです。仕方なく仕事をしていたのです。もうすぐ七時。一寸待って下さい。新聞を取りに行きます。(・・・・・)どうも、3紙とも入っていたのです。毎日・産経・日経を取っているのです。読売は巨人が嫌いなので取ってないのです。朝日は左右のバランス上取ってないのです。思想的には毎日は左、産経は右、日経は中道、みたいに思えるのです。同じ事案でも書き方がまるで違うので面白いのです。今、七時。今週も忙しいのです。ほたら、また明日・・。
2003/09/21  「電子工作教室」のスタッフからアニメのCDが無いか?との要請が有ったのです。勿論、無かったのですが「調べて返事する」と答えたのです。あては有線440chなのです。有ったのです。C・G27chにアニメ・ステーションというプログラムが有って、その時間帯は「TVアニソンHIT'Sスペシャル」だったのです。此を2時間分録音して届けたのです。今日の「電子工作教室」の受講者は大半が小学生なのです。アニメ世代にBGMで其れを流し雰囲気を盛り上げようというスタッフの心配りだったのです。来週の土日は「赤札市」。地域情報板のプログラムをしなければならず、テープを届けたついでに今月分をプログラムして来たのです。昨夜のメインイベントは「日本橋麻雀倶楽部」。12名が参加していたのです。弁当は我等が「日本橋のフセイン」がオーナーを勤める「ポミエ」の「ハンバーグ定食」。食べきれないのです。もし「ポミエ」へ行かれる機会が有れば「御飯、半分」と言っておく必要が有るのです。先日、「ポミエ」で斜め向かいに座った女の子が「豚冷シャブ定食」を注文したのです。持って来られた定食の量を見て驚いた様子で有りました。とても食べきれる量では無いのです。食事を終え、コーヒーを飲みながら見ていると、驚いた事に最後の一口まで食べてしまったのです。まあ、若さとは大したモノで有ります。でも、体重45Kg程度に見えた其の女の子、「ポミエ」に3ヶ月も通えば多分60Kg位には成れそうだと思ったのです。麻雀の成績ですが、根性で四暗刻を積もった私が前回に引き続き優勝をしたのです。阪神タイガースに先駆けての二連覇で有りました。
2003/09/20  「1.19:00/司会者:大変お待たせいたしました。ただ今より渡辺・木中ご両家の結婚披露宴を開宴したく存じます。ただ今より新郎新婦が媒酌人の先導にてご入場なされます。どうかご臨席の皆様方の暖かい拍手でお出迎えしたく存じますので、宜しくお願い申し上げます。其れでは、新郎新婦ご入場・・。2.19:03/司会者:先ずはお二人の華燭の典を言祝ぎ、末永きお幸せを祈って乾杯をしたく存じます。本日は白ワインにて乾杯を致しますので、ご用意の方宜しくお願い申し上げます。乾杯のご発声を、お二人が初めて出会い、愛を育まれ、皆様方にご婚約を発表されました思い出の場所、高級割烹「のら」のオーナー平田範子さまにお願いしたく存じます。平田さま、宜しくお願い申し上げます。3.・・・」以上の様な進行表をお開きの9時30分まで詳細に準備していたのです。ところが緊張してしまい、声が上ずったのです。心臓はドキドキするし、どうしてかなあ・・、と思ったら進行表の通り読もうと思ったからと気づいたのです。大きなミスをしていたのです。一言一句を記述しては駄目だったのです。大まかな記述で良かったのです。話し言葉にならなかったのです。其処で急遽アドリブに切り替えたのです。そうすると進行表の細かな記述が邪魔になり、あまつさえ字が小さく老眼の私には読みにくい事に気づいたのです。まあ、色々反省し次回の「なべ・たえ」の披露宴では完璧に仕上げようと心に固く誓う今日この頃で有ります。
2003/09/19  素晴らしい結婚披露宴でした。「ホテル日航大阪」32階、ジェットストリームにご臨席賜ったのは110名で有りました。新婦は綺麗し、新郎は面白いし、挨拶は色々有ったし・・、最高の盛り上がりでした。いきなりの乾杯、媒酌人の心の籠もった本当の話、主賓の「工具屋のおっさん」の挨拶、新郎の手品、手紙の朗読、どれをとっても素晴らしかったのです。司会者としては色々不手際が有り、反省しきりなのですが・・。「挨拶は絶対せえへん」と言うてた連中も挨拶してくれたのです。祝辞と言うのは心がこもって居れば何を言っても良いのです。美辞麗句、教訓を並べ立てても心が無ければ虚しいだけなのです。短い言葉、朴訥(ぼくとつ)としたお話にも愛が有れば素晴らしさは伝わるのです。時間が有れば、全員にご祝辞を頂戴するつもりだったのです。披露宴がお開きになり、名残惜しく色々お話をし、綺麗なお花を新婦から頂いたのです。帰り道、一番近いのは「バー坂口」。先客は「子供を食い物にするおっさん」。お互い自分を褒め有ったのですが、彼の挨拶もブラックユーモアが効いていてなかなかのモノで、私もあの芸風を取り入れようと思うのです。其の後、新郎新婦、媒酌人が来て話は佳境に入ったのです。そして、「ふーちゃん」、「ほっさん」、「べべのようこ」、「ゆみちゃん」、「まりちゃん」、「よしこちゃん」が来て、盛り上がりは最高潮。帰りに「のら」へ寄ったのですが、酔いは絶頂期、誰が居ったのかすら覚えが無いのです。勿論、家にたどり着けばトンコロリ、白河夜船。今、目が覚めたのです。
2003/09/18  「向かいの洋服屋のおっさんB」と「のら」へ行ったのです。初めての事でした。彼の兄貴が引退して後を継いだのです。引退と言っても兄貴の年は私と同い年、若すぎる引退なのです。まだまだ青年と言っても良い年なのです。話の中で出た彼の年は「のら」と同じだったのです。「のら」には「さぶろうさん」を初め「かっちゃん」、「せきちゃん」、「めーさん」と後誰か居ったような気がするのですが思い出せないのです。別に騒ぐ訳では無いのですがいつの間にか時間は過ぎたのです。彼は飲み友達としてはなかなかのものなのです。其れはそうと今日は「第173回 新木会」で「セントレイクスゴルフ倶楽部」へ行くのです。そして帰ってくれば「なべ・たえの結婚披露宴」なのです。私が司会をするのですが、先日来電話やメールで「私は挨拶しない」とのコメントがほとんど脅迫状に近い文体で届くのです。一部をご紹介すれば、「ちょっと、雑記帳よんだけど、私も「挨拶あんねんやったら行けへんよ」明日、お腹いたくなって、風邪ひいて、熱だすから、私喋るの苦手やからね。喋るの好きな人に喋らしたげてぇ。もう、絶対!」とか、「meは何も代表じゃないけど一応言うとくけど、挨拶なんか絶対できへんで!突然あてたらその場で帰るからな!行くだけでも気が重いのに。でも、もう明日やねんなぁ・・。第一何着て行くねん!まったく!絶対あてんなよー(>_<)」とかのメールなのです。でも、挨拶なんて上手にしようと思ったら気が重いけど、心を込めて「おめでとう!」の一言で十分なんやけどなあ・・。ほたら、行って来ます。お迎えは「3丁目の電気屋の専務」なのです。ありがとう!
2003/09/17  今朝の事務所の気温は30度、メッチャ快適な状態なのです。だって、あの恐怖の38度を体験した時に比ぶれば冷蔵庫の中に居るようなものなのです。当然執筆も捗(はかど)るのですが、こんな時に限ってネタが無いのですが・・。昨日、あの「のら天然呆け協会会長」こと「泉佐野のおばはん」から電話が有って、「私、挨拶なんて出来ないわ。だって、「日本橋麻雀倶楽部会長」なんて肩書きで挨拶するの嫌やし、挨拶有んねんやったら行けへんわ」と仰るのです。其処で、「まあ、沢山挨拶して貰うよってに、そんなに難く考えんでもええぜ」とは言ったのですが、なかなか挨拶するとは言わないのです。予め挨拶をお願いしたのが間違いだったのです。天然呆けの彼女には当日いきなり指名するのがベターだったと反省するのです。彼女には言って無いのですが、「20会 婦人部長」の肩書きでご挨拶賜ろうと思うのです。あの「日本橋のフセイン」も、日頃言いたい放題言うくせに、いざ挨拶をお願いしたら、「そんなんやったら、もう行けへん」と同じように駄々をこねるのです。でも、中には俺に挨拶させろと言ってくれる人も居るのです。昨日も最終の打ち合わせをしていたのですが、順序としては、1.新郎新婦ご入場。2.乾杯の音頭(白ワインで)「のら」(乾杯の後、司会者がご参列の方々に飲食をお勧めする)。3.仲人による新郎新婦のご紹介等々「4丁目のオーディオ屋(新木会会長)」。4.主賓挨拶「工具屋のおっさん(のらの会会長)」。5.新郎側主賓挨拶「松下のおっさん」、新婦側主賓挨拶「ジュン・アシダ 御堂筋店 店長」、新郎側主賓挨拶「隣の松下のおっさん」、新婦側主賓挨拶「べべのようこ」。6.ウエディングケーキにご入刀。7.各会ご代表者挨拶「京都に嫁の居る電気屋(20会会長)」。「泉佐野のおばはん」(20会婦人部長)・・・。まあ、以上のような手順になってるのですが何分にもライブ、どんな事になるのかは蓋を開けてみなければ分からないのです。
2003/09/16  全世界100億阪神タイガースファンが待ちに待った優勝の一瞬を昨夜見る事が出来たのです。仕事をしながらチラチラと見ていたテレビで横浜ベイスターズが天晴れにもヤクルトスワローズを下した瞬間を見たのです。その前にワンアウト満塁から赤星のライトオーバーのサヨナラ打もチラチラと見ていたのです。思い起こせば苦節18年、あの優勝は私が丁度物心が付いた頃の事でした・・。前監督の野村が仕掛け、星野が大きく育て、花開かした優勝で有ります。阪神のぬるま湯を熱く熱く熱湯にまで湧かした星野監督で有ります。昨夜、道頓堀に行くとそこいら中で飛び込んでいたのです。あの汚い川へです。まるで打ち上げ花火を見ているように水柱が次々と上がるのです。一寸見ていたのですが1分間に10人以上は飛び込んだでしょう・・。這い上がって来た薄汚れ悪臭をまき散らす連中からは距離を取って通り抜けたのです。嫁を連れて飯を食い、「バー坂口」まで行く途中での出来事で有ります。念の為に言っておきますが、わざわざ行ったのでは無く、単に通りすがったのです。「坂口」から岸和田のだんじり祭りを見に行っていたのら達を誘おうと思い電話すると、疲れてこれから家で寝るとこだったのです。年を取ると段々と弱って来るものなのです。そう言えば、「山椒大夫」も最近めっきりと夜が弱くなって来ているのです。明後日には結婚披露宴を開こうと言うのに、新婚生活を始めたばっかりなのに、人生はこれからなのに・・、なのです。
2003/09/15  18日の披露宴に着て行く服装をどうしょうか迷っているのです。司会者をするのです、歯科医者ではないのです。だから白衣は着ないのです。迷っているのはタキシードにするかモーニングにするかアロハにするかなのです。先ずタキシードは候補から外れたのです。何故かと言えば持って無いからなのです。其処でモーニングとアロハが残るのですが、ハワイでは正装のアロハも日本ではどうか?の意見も有るのです。新郎新婦はタキシードとウエディング、仲人夫婦はモーニングに留袖、だったら司会者夫婦はアロハとムームーなのか?まあ、もう少し迷ってみようと思うのです。結婚式で使うネタを色々考えているのですが、一寸こましなのを仕入れたのですが、どうなんでしょうか?顰蹙(ひんしゅく)を買うかも・・。「新婦はなかなか面白い方で、先週も犬を散歩に連れて行くのに、マナーの良い彼女は小さなスコップと袋を持って出かけたところ、近所のおばさんに「奥さん、スコップ持って芋掘りですか?」と言われたのです、彼女は犬を連れて行くのを忘れたのです。」、ほてから「新郎新婦が先日夫婦喧嘩をしていて、新婦が新郎に、「どいてよっ!」と言うところを、「だいてよっ!」と言ったとか・・」、次が「新婦は結構そっそかしくて、こないだ歯医者に行った時、先生に「治療しますので口紅をふいといて頂けますか・・」と言われ、口笛を吹いたとか・・」、もう一つ「新婦は筋金入りの天然呆けであらせられ、”のら”では三番目に位置されるのです。一番が「じゅんちゃん」、二番が「くっさん」なのです。先日も新婦は友達に新郎を紹介するのに、「あそこに立っているのが私の亭主なのよ」と言うところを、「あそこが立っているのが私の亭主なのよ」と言ったとか・・」此を本番で使えるかどうか、悩み多き年頃なのです。
2003/09/14  今、我が家に生けられている花はススキなのです。まあ、九月と言えばそうなんでしょう。しかしこの残暑は何なんでしょうか?お盆過ぎまでは冷夏だったのに、ハワイから帰って来た日から猛暑なのです。まあ、今朝は比較的涼しいと言ってもええのですけど・・。其れでもやっぱり事務所の気温は33度なのです。しかし、今日はパンツ一丁では無いのです。其れに加えて首にタオルを巻いているという比較的ホーマルな姿なのです。昨日はメッチャ忙しかったのです。午前中、複雑なお話で人に会う予定が入っていて、午後からは一時帰宅していた弟を老健施設まで送り届けなければならないのです。先週の火曜日に病院での診察を受けるために老健施設を退所したのです。本来、弟に合った薬を飲んでいれば問題無かったのですが、そうで無かったため病気が悪化したのです。今の介護保険制度というモノは摩訶不思議な事が多いのです。主治医が一番良いと思われる薬を処方しているのですが、老健施設は其れをそのままは処方してくれないのです。其処で主治医の居る病院で薬を貰い其れを飲ますように頼むのですが、それなら退所して貰いたいと言われるのです。病院で診察を受ける為には退所しなければならないのだそうです。そして今までのロングステイでは無くショートステイにして欲しいと言うのです。そうすると自由に病院に通う事が出来るのです。しかし其れだと月に数日は自宅に連れて帰らなければならないのです。狭い我が家で難病を二つも抱えている弟の介護をするのは大騒動なのです。しかし本来の病気の治療を優先させると其の選択しか無いのです。何とも不合理なお話なのです。まあ、こちらとしても勉強に勉強を重ね、色々な選択枝の中から最良の方法を選ぶ努力をする決心なのです。
2003/09/13  事務所の今朝の気温は33度、風も爽(さわ)やかだし結構涼しく感じるのです。冷房の手段は首振り扇風機が一台、此が一日中活躍しているのです。羽の直径は25センチ、色は黒、強弱の切り替え付きでおまけにタイマーまで付いているのです。残念ながら此のタイマーなるものは使わないのです。何故って動きっぱなしなのですから。此の環境の中でこの文章を書いているのです、パンツ一丁で・・。昨夜は焼き肉を食ったのです。此の話にも時々出てくる上汐町の「喜楽亭」と言う中学校の同級生が親方の焼肉屋なのです。結構流行ってる店で、直ぐに煙が充満するのです。すると、入り口に座ってるおっさんが肉を食いながら器用にドアを開けるのです。煙が無くなるとまた閉めるのです。冷房が掛かっているのですが開けると熱風が入ってくるし、閉めると煙が籠(こ)もるのです。其の阿吽の呼吸が難しいのです。勿論、換気扇は2個も付いているのですが、空気の取り入れ口が無いのです。其処で入り口を開けると一気に新鮮な空気が入ってきて、煙が換気扇で排出される、そんな理屈なのです。先ず食ったのは塩タン、ハラミ、続いてバラ、ロース、カルピ、此がビールには最高の肉なのです。入り口が開いてるその僅かな瞬間に、表を通り過ぎようとした、「ビクターのおっさん」と目が合ったのです。目と目で通じ合うと言うか、勝手に入って来たのです。此のおっさん、此の隣のマンションに住んでいるのです。一緒に盛り上がったところで、もう一軒と話は進み久し振りにスナックなるところへ行ったのです。よせば良いのに其の後「のら」にまで寄ったのです。零時を回っているにも関わらず「くっさん」と「下駄屋のおっさん」が居たのです。光陰矢の如し、とは良く言ったもので有ります。
2003/09/12  「山椒大夫」が地下鉄恵美須町駅に現れたのは6時35分だったのです。待ち合わせ場所をうちの前と思っていたらしいのです。バッグと靴袋を持ち、キャディーバッグを担ぎ、汗を流しながら歩いている姿を「工具屋のおっさん」に目撃されていたのは後で知ったのです。定刻に着いた「1号」を乗せ、予定通りに出発したのです。彼は組み合わせの案内状も忘れて来たのです。まあ、私も持って来るのを失念したのですから偉そうな事は言えないのですが・・。ダブルペリアでの20組「第24回浪速区民健康づくり親善ゴルフ大会」の中にハンデ戦6組の「第42回 日本橋会」が組み込まれたダブルコンペなのです。私のスコアはお恥ずかしい、46/56、31位と10位だったのです。「山椒大夫」は、49/48、39位にもかかわらず「敢闘賞」なるモノを理由もなく貰ったのです。おまけに「1号」さい、83/70で「ブービーメーカー賞」をゲットしたのです。「工具屋のおっさん」は42/47、7位、11位。「素手で杵を折ったおっさん」、41/45、12位、9位。「日本橋のフセイン」、56/64、67位、12位となったのです。表彰式の司会進行役を仰せつかったのでゆっくりと食べる間も無かったのです。まあ、運転手の身分、ビールが欲しくなる間が無いと言う事は良い事と思う事にしたのです。暑さ最高潮のゴルフで有りました。
2003/09/11  色々大変ですわ。昨日は朝9時20分に「3丁目のオーディオ屋」が迎えに来てくれたのです。「4丁目のオーディオ屋」と共々タクシーで伊丹に向かったのです。着いたのは10時前、フライトは11時、45分ほど時間が有るのです。其処でいつものように「コーヒーハウス」へ。此処の生中は美味しいのです。良く小便を絞って飛行機に乗り込んだのです。羽田からは京急、品川まですぐなのです。新高輪プリンスホテルが展示会の会場なのです。まあ、かなりの大規模で有りました。先ず腹ごしらえ、カレーと鰻重と焼きそばが有るのです。一緒に行った三人は流れで同じ焼きそばを選択したのです。「3丁目のオーディオ屋」は上に掛ける具を3杯も掛けるようにと強要したのです。掛かりのコックは続く何も言ってない我々にも2杯ずつ掛けたのです。残さず食べるのに四苦八苦、ダイエットをしているのを思い出して焼売を一個残したのですがソバも残した方が良かったのではとは後の祭りで有りました。会場には「スゴ録」とか言うDVD+HDDレコーダーとか、IPムービーを初め700万画素のデジカメ(でばがめでは有りません)も出ていたのです。あと、61吋のプラズマテレビとかも有ったのです。3時半には足は棒、歩き回る事には耐えきれなくなったのは自然な事なのです。我々は日帰りなのですが、泊まりの連中が四人ほど居たので、「両足を複雑骨折した電気屋」の部屋に行き、ビールを飲む真似事をしたのでした。6時からはお食事会、ナイフやホークが沢山並んだので有ります。ところで今日は、「浪速区民ゴルフ」と「日本橋会」のダブルコンペで「聖丘カントリー倶楽部」へ行くのです。私は運転手で、「山椒大夫」と「1号」を乗せて行くのです。ほたら、結果はまた明日・・。
2003/09/10  「第二回なべ・たえ正式結婚披露宴企画委員会」が鶴橋の高級料亭「はるよし」で開催されたのです。メンバーも増えて「なべ・たえ」、「4丁目のオーディオ屋」、「べべのようこ」の5人となったのです。まあ、色々決まったのですが手の内を明かすのも脳の無い話なので、飲み放題の中身が「ビール」、「日本酒」、「白ワイン」、「赤ワイン」、「焼酎」、「ウーロン茶」に決まった事を報告したいと存じます。ウエルカムドリンクをやろう、という話も出たのですが飲み放題の時間制限は2時間半、開宴又は誰かが最初に飲み始めた時間が基準になるのです。其処で、乾杯の音頭で一斉に飲み始める方が有利、そう言う結論に達したのです。新郎新婦が仲人にエスコートされながら入場し、着席するや否や乾杯をしようという事になったのです。飲兵衛ならではの発想で有ります。まあ、普通の披露宴を想定して居られるご親族を初め比較的真面目なご出席者にとって多少の戸惑い・ご批判は有ろうかと存じますが、大半の連中には喜んで貰えるのではと存じる次第で有ります。其れはそうと今日は東京日帰り出張なのです。では、行って参ります。
2003/09/09  ダイエットをしなければ、と思っているのです。最近、急に体重が増え始めたのです。今朝も計ると66Kgも有るのです。2週間前には65Kgだったのです。此はえらい事なのです。其れもお腹に贅肉が付き出したのです。恐らく内蔵に脂肪がタップリ付き、フォアグラ状態に近くなっているのでしょう。高校時代から36歳ぐらいまで、ズーッと52Kg前後だったのです。其れがタバコを止めてから肥だし、3年ほどで60Kgを超え、その後63Kgほどで去年まで来たのです。ところが、今年に入ってからスーッと増え始め、アレヨアレヨと言うまにこの体重までなってしまったのです。先日「のら」でアパレル関係(あばれる関係では有りません)に努めている「泉佐野のおばはん」に、「さーちゃん、其のシャツあって無いよ、太ったんとちゃう?」と言われてしまったのです。お通夜の帰りに寄った時の事で白い半袖のカッターシャツを来ていたのです。確かにご指摘の通りシャツの肩の線が首に近い部分に移動していたのです。しかし、食事が美味しく残さずに食べてしまうのです。勿体ないとかの感情も有って、つい平らげてしまうのです。ビールも飲み過ぎなのです。運動不足なのです。今日からビールは一杯、食事は残す事にしようと思うような気がするのです。努めて歩くようにしようと思うようにしようと思うのです。決意は固いような気がするように思うのです。
2003/09/08  9月14日、15日は岸和田の「だんじり祭り」なのです。漢字で書くと「檀尻・楽車・山車」と何種類か有るのです。其の試験曳が昨日有ったのです。初めて知ったのですが、有料の観覧席が有ったのです。主催者は、「岸和田だんじり祭観覧席設置実行委員会」と言う分かり易い名前なのです。S席2,500円なのです。だんじりが方向を変える「カンカン場」其の真ん前の最前列、一番ええ席で此のやり回しを見たのは私では無く実の嫁だったのです。一緒に行ったのは友達三人、何でも弁当を用意する役とかで高島屋の地下で迷う時間が居るからとお昼前に出たのです。初め言っていた時間より30分早く出かけたと言う事はお弁当を30分も掛けて吟味するつもりなんでしょうか・・。14時から16時の間に20台ほどのだんじりが何回か回るので延べ50台ほどのだんじりが見られるのです。嫁の話では凄かったらしいのです。一台が大きく膨らんで観客が逃げ惑ったのと、回りすぎて電信棒にぶつかったのが一番良かったとか・・。まあ、単に物見高いだけなのです。言葉には出さなかったのですが横倒しにでもなれば小躍りして喜ぶのではと思うのです。帰りに、私など滅多に行けない「銀平」で飯を食い、雰囲気が良い喫茶店で長々お喋りをし、ご帰宅なされたのは10時頃だったのです。その間に私は一人外食し、お風呂を沸かし嫁のご帰宅をお待ち申し上げたのです。
2003/09/07  予定より7分遅れで出発したのです。約束の時間は8時45分。私の計算では40分で着くのです。やっぱり鯖を読んでると鯖まで読んでしまうのです。京阪古川橋駅からタクシーでワンメーター一寸、止まる寸前に740円になったのです。実の嫁等は開式前に故人の自宅まで行く仕事が有るのです。今回の葬儀での中心人物は故人の昭和23年生まれの従姉妹と14年生まれの其の姉、24年のうちの嫁、此の三人が全て仕切ったのです。もう一人居たのですが岡山で法事が有るとかで5日のお昼過ぎには離脱してしまったのです。イトコは他にも居るのですが高齢なのです。現に嫁の母も従姉妹なのですが、81歳。集まった親戚は10名余り、ご友人、ご近所の方々が30名ほど。町内会が受け付け等を仕切ってくれたので大変有り難かったのですが、内々の事は親戚でしなければならないのです。ところが、普段ほとんど行き来が無いので何処に何が有るやら、どうすれば良いのやら、何処に連絡すれば良いのやら・・。私と故人の関係は、故人の母の腹違いの姉の娘の次女の旦那なのです。其の遠縁が立礼に立ち、剰(あまっさ)え骨壺まで持たせて頂く事となったのです。まあ、此もまたご縁、ご冥福を心よりお祈り申し上げるもので有ります。南無釈迦牟尼仏。
2003/09/06  10月7日にオープンする複合商業施設「難波パークス」の見学会が有って午後3時半から約1時間半勉強したのです。「六本木ヒルズ」には比べるべくも無いのですが南に出来る久々の大型施設なのです。テーマは都心に緑をと言う事で最上階にはレンタル家庭菜園まで有るのです。申し込み殺到で、月額3,000円の区画が40倍の狭き門だったとか・・。6時からは政治がらみの会合が有り、前からの約束で司会をする羽目になったのです。守口市でのお通夜は7時から、遅れて行く事にしたのです。嫁は朝から病院、故人の自宅、葬儀場等々を巡り、現地に居続けなのです。今回の入院は20日ほど、窶(やつ)れる間も無い急逝だったので今にも息を吹き返しそうな綺麗な仏様で有りました。懇ろに手を合わさせて頂いたのは言うまでも無いのです。お葬式は9時半から、家を7時45分に出るのです。
2003/09/05  お葬式が終わったのが2時、急いで帰宅し2時20分に出発。登り始めたのは3時30分、途中の休憩は6回、何時になく多いのです。実の嫁が車酔いして調子が悪かったのです。まあ、途中で引き返す事に躊躇(ためら)いは無かったのですが、リュックを持たせて頂いたりしながら頂上まで登ったのです。汗だくのシャツを着替えた時刻は4時50分、山頂の気温は21度、クーラーで冷やして有ったリンゴは殊の外美味しかったのです。おにぎり4つの内3つを私が食ったのです。此が記念すべき第10回目の金剛登山、10個目のスタンプを押して貰い、記念のバッジを頂いたのです。暫く景色を眺めていると、「どっから下りられるのですか?急に暗くなるから・・」掛かりの人が声を掛けてくれたのです。「本道を下ります。懐中電灯も有りますが、急ぎます」そんなやり取りをしたのです。予定より早く、5時20分に頂上を後にしたのです。帰りの足は快調、1時間で麓まで下りてきたのです。此処で又着替え、6時半に出立、家にたどり着いたのは7時半。早速、風呂に飛び込みさっぱりしたのです。そして、出るや否や振珍のまま一目散に2階へ、4階のエアコンは2台とも故障しているのです。せっかく汗を流したのに此処に留まると3分でラーメンになってしまうのです。パンツを履く間も惜しいのです。嫁と外食し、一人「のら」へ寄り帰ってみると、二足先に帰った嫁が半泣きなのです。件の遠縁の方が午後10時頃亡くなられたとの訃報が有ったのです。昨日の今日で有ります。人の命の儚(はかな)さ、生かされて居る事の不可思議さを感じずには居られなかったのです。合掌。
2003/09/04  昨日午前中に病院から電話が有ったのです。実の嫁の遠縁の方が入院されて居られ、2時に病院まで来て欲しいとの主治医のお話なのです。その方は早くにご主人を亡くされ、子供もご兄弟も居られないのです。ご両親も他界されていて、従兄弟が一番近い親戚なのです。月曜日に嫁はお見舞いに行き、その時はお話も一寸出来たのです。何度か入退院を繰り替えされて居られるのですが、骨髄腫と言う病気で白血病に近く、最初に診察した時既に手遅れの状態で、治癒の見込みが無い難病なのです。嫁一人では心細そうなので付き添ったのです。今までの経過、治療の実態と現在の治療方針、今後の見通し等々を1時間近くに渡って説明頂いたのです。要するに危篤状態で何時どうなっても不思議で無い状態との説明なのです。其処で求められたのが今後の治療方針の決定を頂きたいとの話なのです。沢山の選択肢の中から説明を受けながら決めて行くのです。人の命を小さな人間が左右する重すぎる選択なのです。お元気な時のご本人のお言葉、自分だったらこう思う、自分の連れ合い親子ならどうする、そんな事を基準に一つずつ決めて行ったのです。どの選択をしてもきっと後悔するのだろうと思える事なのです。最後に署名を求められ、そっと嫁を前に押し出したのです。夜には小中学校の同級生のお母様のお通夜が谷町のお寺で有ったのです。子供の頃から可愛がって頂いたのです。享年92歳、ご冥福を心よりお祈りするものです。南無阿弥陀仏。
2003/09/03  昨夜、「なべ・たえ」の第一回正式結婚披露宴企画委員会が高級料亭「漁民」で開催されたのです。事前に決まっていた事は、新婦は純白のイブニング、新郎はグレーのタキシード。年寄りが多いので椅子席にする。沢山食べる人にも安心の中華テーブル方式にする。料理は西欧料理。沢山飲む人が多いので呑み放題は絶対付ける。まあ、日航が赤字になるのはかまわないのです。時間は7時開宴、9時半まで。服装は自由、好きにすれば良いのです。人数は未だ確定してないのですが約100名。ここからが会議で出た意見なのです。テーブルの割り振りは名札さえ作っておけば直前で間に合う。割り振りの基準はアホはアホ同士。新郎新婦はウエディングマーチに乗って登場する。仲人が二人の馴初めを含めて挨拶。主賓の挨拶は出来れば一人、しかも崩れた奴が良いので、「工具屋のおっさん」なんかええんちゃうか?乾杯は本当に酒が好きな奴がええので、「のら」なんかどうや?新郎にはポールモーリアのバックで手品をして貰う。出来れば鳩を出すのがええ。(単にグレーのタキシードが手品師のイメージやから。ゼンジー渡辺の芸名にする。)ケーキカットもするねんけど、4回目やしナイフより小さいケーキが良い。1回目は「リゾートパラデュー夢」、2回目はハワイの鉄板焼屋。3回目は結婚式の後でんねん。軽いアトラクションもええのんちゃうか。出来るだけ沢山の人にご挨拶頂く。お開き前に新婦のお母様にご挨拶頂く。此処では泣きをとる。新郎より御礼の言葉。此処では泣き笑いをとる。まあ、第一回目ですからちっとも決定では無いんですがこんな話が出たのです。次回には当日までに何回企画委員会を開催するか?を決めたいと思うのです。
2003/09/02  昨夜、「きらく」へ実の嫁を連れて飯を食いに行ったのです。焼き肉の「きらく亭」とは又ちゃいまんねん。近所の昼は飯屋の居酒屋ですわ。其処には既に、「日本橋のフセイン」、「素手で杵を折ったおっさん」、「京都に嫁の居る電気屋」がかなり出来上がって居たのです。彼等の話題は多岐に渡るのですが内容は無いのです。自動車の話題が出て、日野コンッテサに昔乗ってたとか、あの車はドアが横開きやった、マツダのRX7は上開きや、そんなんは無い、RX8が出た、前のドアは横開きで後ろは縦開きやった、それは可笑しい・・。まあ、聞いていてアホらしなる会話が延々と続くのです。会話だけや無しに身振り手振りが入るので余計に面白いのです。阿波踊りの話になると、椅子から降りて踊り出すのです。其処へ、「京都・・」の3女が加わったのです。彼女は大学の3年生やったかいな?「京都サンガ」のチアーガールをしているとか・・。ラッタッタに乗りたいと言うので、皆寄って集って、「そりゃ、絶対あかん。車にしたらええ、お父さんに買って貰え。何?免許が無い?ほたら、とらんかいな。金が無い?ほたら、アルバイトせんかいな!する間が無い?一番したいんは何か、順番決めんかいな。」まあ、皆親切心で言うのですけど、五月蠅い事ですわ。「北ちゃん」が帰って来て、ラストオーダーになったのです。其れから暫くして、まだ出汁巻きを注文しとる奴が居った。先付けが冬瓜の煮付け、トリ貝の酢の物、それに料理が蟹サラダ、貝柱とちんげん菜の炒め物、黒豆豆腐、お茶漬け、ウーロン茶、生中が二杯、以上二人分のお勘定が2,850円やったんですわ。ほて、帰りに一寸「のら」に寄ると、「もりもり」、「せきちゃん」、「くっさん」、「べべのようこ」達が居て、此処も姦(かしま)しかったのです。
2003/09/01  昨日、小学校の同級生から何年ぶりかで電話が有ったのです。何でも、大江神社で狛虎の片割れが出来たので奉納の式典が有ったとか。其処で、私の話が出て、電話したとの事でした。狛虎の話は前に新聞にも出ていたのです。タイガースファンが願掛けに来るとか、阿吽の片一方しか無いので四国の石屋に注文してあるとか、三百何十万円もするとか・・。此の同級生も幾らかの寄付をしたとの事です。寄付の話、何でうちに言うて来えへんかってんとかの話もしたのですが、別に言うて来えへんでも怒ってはいないのです。其処で、今晩暇か?と話は続いて、彼の知ってるとこへ飲みに行こうと結論が出たのです。御蔵跡に「より道」と言う串カツ屋が有るのです。ここのおっさんとは腐れ縁で日東幼稚園、日本橋小学校、日本橋中学校、浪速高校とず〜と一緒だったのです。電話の主とも小学校の同級生なのです。年輪を重ねると昔話が多くなるのです。串かつ屋のおっさん、其の嫁も交えて禿の話、病気の話、体力が弱った話とネガティブな話題には事欠かないのです。其処へ谷町の焼き肉屋、「きらく亭」の一族が来たのです。此のおっさんも中学校の同級生なのです。ほっとけば益々暗い話になるのですが、努めて明るく振る舞ったのです。「きらく亭」には何度も行ってるのですが、このおっさんの印象に残っていたのは「太郎」なのです。何でもビールの飲みっぷりが見事やったとか。また連れて来いと言い、先に電話しといてくれと言い、ビールを十分用意する準備がいるからと言ったのです。